やれば出来る子、日本
昔、中国の奥地に夜郎という国があった。王は自分たちこそが最強と信じて疑わず、後に漢から使者が来たとき、「漢と夜郎国とでは、どちらが大きいか」と尋ねたという。
後に世間知らずの自信過剰な者を"夜郎自大"と言うようになったのは、中国全土を支配した漢の力を知ることも無く、『夜郎自らを大なりとす』とした夜郎王の故事が由来となっている。
史実、夜郎国は後に漢王朝に服属したものの、彼我の力の差を知ろうともせず反乱を起こして滅ぼされたのだという。
そして、今俺の言葉に激昂する小姓の姿は、その夜郎の王と何が違うだろうか。いや、違いなど無い(反語)。
「洋夷ごときに我ら武士が負けるわけなどなかろう!」
相手のことを良く知らなければ足元を掬われると言った俺の言葉を、どうやらこの国が蹂躙されると受け取ったようだ。
「思い違いをされるな。西洋がこの国に来るとすれば、目的は貿易のため。それでも相手をよく知らねばならぬと申し上げたいのだ」
「そのような輩を相手にする必要など無し! 一戦交えて追い払えばそれで全て解決ではないか」
「意気軒昂なのは結構にございますが、相手の国力も兵力も戦術も知らずにどう向き合うと仰せか。まして我が国は外洋での戦など久しく行っておりませんぞ」
海戦となると、近いところでは文禄・慶長の役がそれにあたるが、それだって百数十年前の話だし、大砲でドンパチやったわけではない。軍船を仕立てることを禁じている現在、西洋海軍が如何なるものかも知らず、どうやって戦うというのか。
「敵が陸に上がってきたところで一網打尽にすれば良い」
「その前に艦船からの砲撃でこちらの陣地が撃たれます。後に町は焼かれ、田畑は荒らされ、無辜の民が大勢命を失いますぞ」
「こちらも打ち返せばよいだけではないか!」
「双方それまで!」
話が白熱する中、家基様が双方を止めに入った。長い間に培われた彼らの認識がそう簡単に変わるはずもないし、むしろ俺の考えの方がこの時代では異端だということは良く分かっていたつもりだが、未来を知っているが故に彼らの主張を聞く度に、「そうじゃないんだよな~」という思いが拭えず、出来るだけ論理的に話そうとしたものの、ついつい語気が強くなってしまった。
それを若君に止められたのはまだまだ未熟だな、反省。
「最初から一戦交えるような物言いはよせ。外記がそうではないと申しておろう。違うか?」
「大納言様の仰せのとおりにございます。先程も申し上げましたが、最初から攻め込む腹積もりで来るわけではございませぬ」
話が不穏な方向へ進んだのを感じたのか、家基様が間を取り持ってくれたので、本来話そうとした内容に移ることが出来た。
「彼らは交友を求めてやって来るのです。さりながら、その相手をするにも、彼を知り己を知れば百戦殆うからず。を忘れてはならないと申し上げたい」
「孫子か」
「左様にございます」
孫子曰く、己を知っていても敵を知らなければ勝ったり負けたりで、敵も知らず己も知らずならば必敗。負けないためには彼我の実力を良く知ることだと論じている。
「兵法の一節ではございますが、何も戦に限ったことではございません。例えばですが、何かの交渉だったりお願い事をするとき、お歴々は無為無策で挑みますか?」
「それはないであろうな」
「その通り。頼み事をするということは、己に足りぬ何かを他者の手や財力などを借りて解決しようということです。即ちそれは、己に何がどれくらい足りていないのか、物事を成すに何が必要か、協力の見返りに何を出すことが出来るかなど、現状をよく知らねば出来る話ではありません」
ここまでが己を知るということだ。これでようやく相手と向き合うことが可能だが、こちらが完璧な筋書きだと考えていようとも、相手方から見て必ずしもそうとは限らない。必勝とはいかないのはそういうことだ。
「必勝を期すには相手のことをよく知ることです。相手の性格や現状を知れば交渉の仕方も変わってきますし、こちらが提示しようとする見返りを、相手が価値のある物と思ってくれるかも分かりましょう。さらに言えば、向こうから見返りの条件を提示される場合でも、相手をよく知ることでおおよその予測がつきますし、それに対する返しも準備出来ます」
そうすることで、相手のことをよく知りもせず臨む場合と比べ、格段に交渉はスムーズに進むだろう。
その方法論は多々あるし、条件もそのとき次第で様々だろうが、何にせよ相手のことを知らねば話は上手く運ばない。これ即ち彼を知るということであり、戦に限らず貿易を行うという関係にあっても必要なことだ。
「そのために我が国も他国の情報は多く持たねばならないと申し上げたいのです」
ペリーが来たとき、彼らは少ないながらも日本に関する情報を入手し、その中から交渉を有利に運ぶにはどうしたらいいかを熟慮した上で、武威を見せつけるのが最善と至り、大型の蒸気軍艦を用意したらしい。
一方で日本側はと言えば、オランダの警告があったにもかかわらず、相手を知ることもなく、黒船の威容を目の当たりにしてアタフタしたわけで、孫子の兵法的にはアメリカの圧勝だわな。
そんな状況で開国したものだから、攘夷派と言う名の夜郎自大な連中が大勢発生することになった。洋夷打ち払うべしと叫び、各地で外国人を襲い、下関戦争や薩英戦争のような武力衝突まで起こした。
未来人からすると、それでよく日本は独立を守れたものだと思う。
西洋の植民地支配って最初は友好的な交流から始めて、後々相手国内で不和の種を撒き散らして内乱や反乱を誘発し、最後に武力をもってこれを制する……みたいな流れだったと記憶しているから、一歩間違えれば植民地支配を受けた可能性も十分にあったよな。
それでも……独立を維持出来たのは、日本人に底力があったからだろう。
ペリーが去った後、翌年の襲来に備えて幕府は江戸を守るための砲台を作ることにした。
およそ半年ちょっとという短時間で作られた品川砲台は、再来航時点では半分くらいの完成度だったらしいが、その存在が故に米国艦隊は江戸から横浜に寄港先を変えたというし、ペリーは日本人の底力を目の当たりにしたのだとか。
つまり、日本人はやれば出来る子なんですよ。もっとも、そう言ってしまう時点で、それまではやらなくて出来ない子だったと言っているわけですが……
何かを成す才能があったのに、やらなかったから幕末のグダグダ……維新志士とか日本の夜明けとか美辞麗句で飾っているが、その裏で多くの血が流れた過程を見ればグダグダと言わざるを得ない。
将来的に日本人同士で殺し合いになるのを防ぐには、今から西洋研究の規模を史実以上に進歩させ、海外に対する基礎知識を多くの人に持ってもらうこと。そうすることで夜郎自大な攘夷派の発生を極限まで抑え込み、冷静に他国と交渉する下地を作ることに尽きると思う。
「海外の国のことを知るには、まずその言葉を解するべきなのです」
「ゆえに蘭語を学んでいると?」
「一番の目的は吉宗公がお考えになられた、この国を豊かにするための知識の導入にございます。医学でも農学でも優れているものがあればこれを取り入れ、我が国の国力を高める一助にと考えております」
まずは未来に向けて、この国の疲弊の度合いを出来るだけ軽減しておきたい。そのためには食べる物と病気になったときのケアだ。
腹が減っては戦はできぬと言うし、普段の生活に余力が無いと新しい知識を取り入れる余裕は生まれないだろう。まずは生活に密着した分野の知識を広め、それが有用と分かれば自然と他の学問にも目が向くことになるはず。
兵学や造船のような軍事知識は今のところ御法度かもしれないが、それだっていつかは学ぶ日がくるかもしれない。そのときに培ってきたオランダ語が活躍するだろう。
俺がやろうとしているのは、それら多くの知識を得るための土台作りなのだ。
「興味深いな。まずは内を固めつつ、外に目を向けよ。と申すのだな」
「御意。人が歩くには健康な足腰が必要なように、国が立ち行くには精強なる兵と、それを下支えする民の暮らしの安定が肝要です」
「なるほど。其方の言、中々に面白い。気に入ったぞ」
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