大納言家基

「大納言様がお待ちにございます」


 無事に将軍家治公への御目見が済んでホッとしたのもつかの間、西の丸付きの小姓が俺の戻りを待っており、そのまま家基様へと目通りすることになった。




「外記、無事にお役目を果たしたようだな」

「治察様?」


 家基様の居るという部屋に入ると、治察様が待ち構えていた。


「会いたかったぞ、外記。一人では心細かろうと、大府卿だいふけいを呼んでおいた」


 大府卿とは大蔵卿を指す唐名。現在治察様は従三位大蔵卿兼左近衛権中将なので、そう呼ばれている。

 

 近衛中将の方も、大河ドラマで源実朝がそう呼ばれていたように羽林という唐名があって、武士的にはそっちの方がカッコいいんじゃないかと思うのだが、一橋と清水の当主も左近衛権中将だし、大将や少将の職でも羽林呼びされるので、混同しないように大府卿と呼んでいるらしい。


 ちょっと俺も和田ナントカさんみたいに「羽林!」って呼んでみたかったわ。




 そして、その奥に座する若者……と言うにはまだ幼い少年。顔を知らずとも、それが誰か分からないわけがない。


「ご尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じます」


 将軍継嗣、徳川家基様。


 齢五歳にして元服し、そのときに従二位権大納言に叙任された御方も今年で十二歳。幼年期より聡明で文武両道と謳われたお姿にさらに磨きがかかっているようだ。


「よい、楽にせよ。今日は聞きたいことが山ほどあるゆえ堅苦しい挨拶は抜きじゃ。菓子でも食しながら、ゆるりと参ろうではないか」


 取って食われる……とまでは思わなかったが、それ相応の礼は取らないとと挑んだものの、家基様がそう固くなるなと仰せになる。そしてその目配せに従い、小姓が何やら持ち込んできた。


「ぽてち……?」

「そうじゃ、余はこれが最近お気に入りでの。大府卿に聞けば、蘭書を訳したり新しき菓子を生みだしたり、色々やっておるようだな」

「恐れ入ります」

「解体約図とか申すものも見せてもらった。余には理解出来ぬところも多いが、あれは真に蘭書を訳したものなのか」

「相違ございませぬ」


 おそらく"ぽてち"に関しても治察様が持ち込んだのであろう。その話の流れで田安家に献上した約図も見せてもらうこととなり、結果、俺に興味を抱いて呼び出した。というところが真相のようである。




 解体約図の献上については、田安家の皆様に成果を見せることで、蘭語和訳が公権力の指示で動いていることを示す狙いがあった。


 いつの時代にも新しい文化を忌避する者は多い。特に今回の事業に関しては未知の西洋医学が相手であり、特に自分たちの権益が侵されると危惧するであろう漢方医たちは難癖を付けてくるだろうし、それに繋がる武士階級も多いだろうと予見していたから、彼らがゴチャゴチャ騒ぎ立てる前に手を打った形になる。


 無論治察様も俺がそれを考えていたことは重々承知しておられたからこそ、自分たち以外にも知ってもらったほうがよいだろうとの思いで、大納言様にも書をお目にかけたのだ。


 そこまでは想定通りだったのだが、思った以上に食いつきが良かったのであろう。和訳チームにとっては名誉なことだが、いざ会うとなれば唯一の直参である俺に白羽の矢が立つのは自明の理だったな。


「さて、では何からお話しすればよろしゅうございましょうや」

「西洋の話を聞いてみたいの。そなたから見て彼の国は信ずるに値するや否や」

「カピタンの謁見にご同席された大納言様の方が良くご存じでは?」

「あれはただの見世物じゃ。真の西洋を現したものではない」

「ほほう……」




 家基様は最近政に関心を持ち始めていたと聞く。なんでも……老中田沼意次の政策に思うところがあるらしく、全部とまではいかないが批判的なご意見をお持ちのようで、西洋のことを聞いてきたのもその辺に関係があるのかもしれない。


 ただ田安家で話した内容は、俺という異物に慣れた彼らだからこそ違和感なく受け入れてくれたが、予備知識の無い若君にそのまま話すのは刺激が強すぎるはず。


 なので、オランダのことは下々の者よりよくご存じでは? と謙遜した形で話を逸らしてみたものの、カピタンの謁見がエンタメのようなものでしかないことを、この年齢にしてよく理解されておられるようだ。


「心配要らぬ。多少は大府卿に話を聞いておるからの。それで、実際のところはどうなのだ」

「時と場合によりけり……でしょう」


 それはいかなる意味か? と家基様に問われたので、同じ日の本の民でも、島津や毛利などの外様の諸藩を心から信じられるかと尋ねれば、油断の出来ぬ相手だと仰せになる。同じ日本人でも敵と味方を区別しているのだから、西洋は信用出来るかという質問はあまりにも漠然とし過ぎているのだ。


「信が置けるか置けないかの区別に国は関係ないのです。相手とどう付き合うかはこちらの考え次第。そして相手がこちらにどう向き合うかは、こちらの状況次第にございます」




 西洋諸国は世界各地で現地民を征服し植民地としているから、一義的には油断の出来ない相手と言える。だが、それはこちらが相手に対し友好的にいくか敵対的にいくかを決めるように、向こうも同じことを考え、そうすることで得られるメリットとデメリットを天秤にかけた結果なのだ。


 植民地支配というのは、本国の製品を売る市場の拡大や原材料の供給、現地民の廉価雇用などによって、単に貿易をするよりも自分たちにメリットが大きく、そのために行使する武力やそれによる被害等のデメリットを勘案しても、征服した方がお得だと判断したからだろう。


 ではそうさせないためにはどうするべきか。攻めるのは難しい国、もしくは友好的な繋がりが自国の益になると思わせることだ。そしてそのためには相手のことをよく知らなくてはいけない。


「まずは政の安定にございます。我が国が乱れていると思われれば付け入る隙を与えますし、貧しければ貿易の相手にもしてくれませぬ」

「己の足元を固めるが肝要ということか」

「御意。さらにもう一つ大事なのは、相手の力を見定める目を持たねばいけません」


 この時代、海外情報はカピタンから毎年もたらされる"オランダ風説書"が主な情報源である。


 オランダ視点の話だから多少偏りはあるかもしれないが、外の世界を知らない幕府にとっては大事な情報源であり、実際にペリーがやってくるという話も、風説書で事前に入手していたという。


 ただ……受け取った幕府がそれを活かせなかった。当時既にオランダ以外の国が日本に何度も接近を図っていたという事実があるにもかかわらず、多くの武士は傍観するか、恐るるに足らずとこれを無視し、海外事情を知る者たちの声はかき消された。


 つまり、情報があってもそれを活かせる素養が多くの支配層の共通認識にならないと、未来は変わらないということだ。




「某が蘭語を学んでいるのは、そういった海外の情報を我ら自身で精査出来る力を養うという目的もございます」


 幸いにして日本はアジアでも最東端にある。攻めて来るにしても膨大な時間と費用を費やすことになるし、攻めるのも難しく、仮に征服してもその後安定した統治が出来ないと思わせれば、利に聡い西洋人は無理押ししてこないだろう。


 まずは日本という国が一枚岩で統治されており、そう簡単に付け込むことの出来ない国だと思わせることが重要だし、そのためには相手が何を考え、どう動くかを予測出来る力は養っておいて損はない。


「某は占い師ではござらぬゆえ、次にいつ外国船が到来するかまでは読み切れませんが、そうなったとき、我らに相応の知識が無ければ彼らの良いようにされる恐れがあります」

「待たれよ藤枝殿。貴殿は我らが洋夷に勝てぬと言うのか!」


 俺の話が一区切りついたと思ったのか、家基様付きの小姓の一人がそう声を上げた。見れば他の者も追随こそしていないが、俺の言葉に怪訝そうな顔をしている。


 洋夷恐るるに足らず、と言いたいのだろうが、俺が危惧しているのはそういうところなんだよ……

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