<第三章>蘭学者藤枝外記

我が名は藤枝外記

 旗本藤枝家。その興りは三代家光公の時代、その正室である鷹司孝子様付の女中であった「お夏」という女性が、将軍が入浴する際の世話係をしていたときにお手つきとなり、男子を出産したことに端を発する。


 お夏は元々京都の町人の娘であったが、このことで家光の側室として迎えられ、それと共に父と弟も士分に取り立てられた。この弟が藤枝方孝かたたかという方で、この人の代にそれまでの岡部姓から藤枝姓に名乗りを変えたそうだ。


 方孝はこのとき生まれた将軍の子、後に長松と名付けられた若君の小姓を務め、長じて主が甲府藩主に任じられると、その下で家老として二千石の知行を得るまでに出世したそうだ。


 ちなみにこの長松という若君は、後に参議に補任され、治める領地から「甲府宰相」と呼ばれた徳川綱重公。つまり、六代将軍家宣公の父親である。


 ということで家宣公の将軍就任と共に甲府藩は消滅したため、藤枝家は甲府藩士から転じ、武蔵と相模に都合四千石の知行を持つ旗本として今に至る。




――安永二(1773)年一月


「……で、私がその跡取りにと?」

「後継がおらず、是非にもということだ」


 今年の正月に、藤枝家の当主であった貞雄殿が後継のおらぬまま亡くなり、俺に養子入りの打診がきたことを父上から聞かされた。


 ちなみに俺に白羽の矢が立ったのは、一応彼の親戚だから。俺の父方の祖母と貞雄殿の2代前の当主が兄妹の関係にあり、系譜で言うと再従兄弟はとこにあたる。栄螺さんで言うなら、鱈ちゃんと鮭卵ちゃんの関係だ。もっともあの二人とは違って、会ったことは一度も無いけど……


「よりによってこんなときに……」


 父上が頭を抱えている。実は養子の話が徳山家に舞い込んでくるのと時を同じくして、この家の跡目を継ぐはずだった俺の兄、貞中が男子を残さず亡くなってしまったからだ。


「この家はどうするのですか。私が継がねばならんでしょう」

「そうは言ってもな、藤枝家の申し出はそれより前の話であった。既にほぼほぼ話がまとまりつつあるものを反故にしてはのう……」


 決まっていた話を蹴飛ばせば、面子とか義理とか体裁とか、とにかく色々と面倒なことに巻き込まれることになるのは明白。だからこそ、よりによってこんなときに……と恨み言の一つも言いたくなる。


「そこでだ、儂は養子を取ろうと思う」


 父上が仰るには、二千石の旗本竹本越前守殿のご次男を徳山の養子として迎え入れ、俺は当初の予定通り藤枝の家を継ぐ手はずだという。


「実の子が居るというのにですか? その方を藤枝に入れれば……」

「藤枝がお主を望んでいるのだ」


 あまり偉そうなことは言いたくないが、甘藷や蘭学の件で、良くも悪くも俺の名は世間に知られている。また武士たちの間では、俺が田安家の面々と懇意にしていることは周知の事実であり、俺という個人を取り込むことが、大いに家の益になるだろうと思う者が出てもおかしくはないだろう。


「儂としては跡を継いでもらいたい想いもあるが、それ以上に実の息子が四千石の大身に後継として望まれたことを誇りに思う」

「父上……」

「それに……新しきことを成さんとする者は多かれ少なかれ、妬み嫉みを受けやすいものじゃ。大名……とまでは申さぬが、五百石より四千石の方が当たりは少なかろう」


 父上は俺のことを評価してくれているが、世間では直参の子でありながら、何やら怪しいものに手を出す異分子と見る者も少なくない。ゴチャゴチャと周囲が騒がしいときに、四千石の当主という格が身を守ることもあるだろうと仰る。


 ……なんだかな。身分制の枠を超えた国づくりを唱える俺が、その身分に守られるというのも変な気分だけど、これはこれ、それはそれ。俺は聖人君主ではないから、批判する声が少なからず存在する現状を見れば、使えるものは使わせてもらおうと思う。





「ほほう、見違えたな」

「恐れ入ります」


 それからしばらくして、会ったこともない養父の五十日の忌明けを過ぎ、久しぶりに田安家に顔を出した。


 ……どうにもみんなの視線が気になる。主に俺の頭頂部に集中しているような気がするのは気のせいではないだろう。


「そんなにこの頭が気になりますか?」

「見慣れぬからの」


 でしょうね。この月代さかやきのせいでしょうね。俺も頭がスースーしてまだ慣れておりませんよ。


「いやしかし、あの安十郎が今や四千石の当主じゃ、めでたい話ではないか。ときに仮名はなんとした」

「藤枝の家では帯刀もしくは外記を名乗ることが多かったようで、私も外記と名乗ることにいたしました」

「藤枝外記……よいではないか」

「恐れ入ります」

「そうなると……まずは上様に御目見おめみえをせねばな」


 御目見。簡単に言えば将軍に直接拝謁することであり、それが許されるか否かで旗本と御家人の区別となる。


 そして旗本の場合、これを経なければ正式に家督を継いだとは認められない。たとえ元服を済ませていようともである。


「私の場合、特にお役に就いているわけでもございませんし、急ぐことはないのでは?」

「今はそうでも、お主が当主となったからには話は別だ」


 この時代、幕府の役職には格というものがあり、家禄に比べてあまりにも役高が低い職に就く事例はあまりない。


 二千石や三千石を超える役高のポストなんて限られているから、そうなるとどうしても三千石以上の大身旗本には無役の者が多くなるわけで、そんな彼らは寄合席という枠組みに含まれる。それ以下の家禄の者たちの小普請と同じ、無役の集まりである。


 そして残念ながら、藤枝家の代々の当主もほとんどが寄合席のままで、役職に就いた者は聞く範囲で駿府加番を務めた先々代しかいない。

 

 領地からの収入で十分な暮らしが出来る持高務めというやつなので、無理に役職を求める必要もないことも理由なのだが、それはつまり、俺にも先代の跡を継いでこの職に……というものが無いということなので、御目見はそう急がなくても良さそうなものだが……


「大納言様がお主に会いたいと仰せだ」

「それはまた……」


 この時代、大納言の官位を持つ武士と言えば、将軍家治公の世子家基公ただ一人。


 将軍のただ一人の後継男子であり、幼名の竹千代が表す通り、徳川の次を約束された御方である。


 ……が、何でそんな人が俺に会いたいと?


「私が吹き込んでおいた」

「若様が?」

「例の解体約図であったか。大納言様にお見せしたところ、とても興味を持たれたようでな。蘭語を和訳した過程の話を直に聞きたいと仰せであった」

「それはまた……畏れ多いことで」

「というわけで、大納言様にお目通りするのであれば、御目見はしておいたほうがよいからな。老中に申し付けて、其方の御目見の日取りを決めさせておる」


 そうか……田安の皆様に蘭書和訳のことを知ってもらったのはいいが、そこから派生してとんでもない大物がかかってしまったようだ。


 あまり急に話が大きくなるのも、期待される側としてはややシンドいところもあるね……

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