シン・マサマル
「怪我は無いかい?」
「あ、ありがとう……」
クソガキどもを追い払うと、賢丸様が奪われた包みを拾って少女に手渡した。
「大切な物だったんだろ」
「うん、おっ母に食べさせてあげなさいって」
「食べ物か。乱暴に扱われていたが大丈夫か」
「割れたり崩れたりするような物じゃないから」
そういうと少女は、包みを広げて中を見せてくれた。
「お武家様は知ってる? これ、干し芋って言って、最近作られた新しい食べ物なんだって」
……あのガキどもは干し芋が珍しくて奪い取ろうとしたのか?
たしかに十三里なんかと並行して、甘藷周知のために干し芋作りも始めたが、なにしろ始めたばかりで流通量はそう多くない。考案者としては庶民の食べ物として広めるつもりなのだが、現時点では贅沢品という扱いも分からなくはないか……
「お嬢ちゃんに怪我がなくて何よりだ」
すっかりと威圧する雰囲気は消え、人懐っこそうな笑顔になった男がこちらに声をかけてきた。
「助太刀感謝します。銕三郎殿」
「おうおう、まだその名前で呼ぶんかい」
「お父上と混同しますから」
そういうと武士らしからぬケラケラとした笑い声で、男が「違えねえ」と返すのを見て、賢丸様が俺に知り合いかと聞いてきた。
「火付盗賊改方頭、長谷川殿のご嫡男です」
「父と同じく平蔵と名乗っておる」
「どちらも平蔵殿か、それは混乱するな」
長谷川平蔵
で、その偉大な父の息子である平蔵の方はと言うと、お世辞にも素行は宜しくなく、若いころから放蕩三昧で「本所の銕」なんて二つ名を付けられた無頼漢である。
何年か前に将軍にお目見えして、長谷川家の家督相続人になり、昨年には嫡男も授かった妻子持ちなのだが、未だに遊び歩いているようで評判は良くないんだけど、腕っぷしだけは滅法強く、破落戸がその名を聞けば裸足で逃げるといった寸法なので、手が付けられないといったところである。
……長谷川平蔵と言ったらあれよな、「鬼平」だよな。親子揃って平蔵だから、モデルは父君の方だと思いたいのだが、たしか鬼平の諱は宣以だったから、こっちの平蔵さんが御本人様だろうな。
あの話では松平定信が筆頭老中で出ていたから、年齢的に父君では年を取りすぎている。となると、この人も後に火盗改に就くのだろう。
おそらく若かりし頃の経験が鬼平としての観察眼、推理力の源なんだろうけど、実際にこの人を目の当たりにしてそのナリを見ると、鬼平のイメージダウンもいいところなんだよな。勝手なイメージをこっちが持っていただけなんだけど、思ってたんと違うみたいな感じだ。
「麒麟児、友連れで遊びにでも行くのか?」
「一緒にしないでください」
「かーっ、相変わらず小生意気なガキだね。何だったら御指南してやるぞ」
ほらね。これ見よがしに、指で作った輪っかに向けて人差し指を出し入れしちゃって下品なこと……
「安十郎、何の話だ?」
「賢七郎殿は知らなくていい世界です」
この人はすぐこれだ。どうせ今日もこの人は吉原に行く気なのだろう。昔っから俺をそっち方面には疎い初心な子供とからかってくるが、一応知識も経験もあるのです。
前世での体験だけど……
「っと、こんなところで油を売ってる場合じゃねえ。じゃあな若様、本所が生んだ天才少年を是非とも御贔屓にってな」
さすがに俺をからかうのも飽きてきたのか、平蔵殿は行くところがあるからと言ってヒラヒラと手を振って去っていった。
「あやつ、私の正体を……」
「そういうところの観察力はあるんですよね」
脅し文句に中納言様の名前を出したこと、そして若様と言ったことを思えば、間違いなく賢丸様が田安の若君だと認識していたのだろう。ディープな世界に通じているとそういう嗅覚が運命を左右することもあるのだろう。
「ああいう旗本御家人は多いのか?」
「少なくはありません。ただ、平蔵殿は別格というか……」
「別格か。方向は違えど、お主と同じく別格か」
「一緒にしないでください」
たしかに考えとか行動とかが武士とはこうあるべきと皆が考える概念から外れているという意味では同じだけど、俺は吉原には行かないぞ。
「あ、あの……もう帰ってもいいですか?」
「おおすまない。置いてきぼりにしてしまったな」
男たちの話が何のことか理解できないまま、そこに取り残された少女が恐る恐る俺たちに聞いてきた。
「安十郎、家まで送ってやろう」
「そんな、そこまでしてくれなくても……」
「いや、そのほうがいい。一人になってまたさっきの連中に出くわしてはいけない」
そう言われれば、少女も先ほどの出来事が怖くなかったわけはないので、遠慮がちではあるが、俺たちの言葉に従って一緒に家に向かうのであった。
「のう、安十郎」
「何でございますか」
街で助けた"綾"という少女を家に送った帰り、賢丸様が神妙な面持ちで俺に声をかけてきた。
「私は恵まれた家に生まれたのだな」
「それを言うなら某もです」
綾は生まれて間もなく父を亡くし、母一人子一人の暮らしであった。そして彼女を守り養うべき母もまた、先日の大火で大怪我を負い、今は床に伏せる時間が長いらしい。
それでも勤めていた店の主人が人格者なのか、暇を出されることなく怪我が癒えたら戻っておいでと籍を残し、幼い綾も時々面倒を見てくれているとか。干し芋もその主人にもらった物らしい。
「決して楽な暮らしではなさそうだった」
「それでも、店の主人が目をかけてくれているだけマシです。二親を失い、孤児となって街を徘徊する子供も少なくありません」
「国を治めるというのは、ああいう民草のこともよくよく考えて為さねばならぬと思い知ったわ」
「お忍びで街に出た甲斐がありましたな」
机上の学習だけではどうしても見えないものはある。大所高所から見下ろしたとき、地上がどうなっているかを全て知ることは出来ないだろう。
「基本的にそういうのは家臣に任せればよろしいですが、その言が真か否か、上に立つ者がよくよく目を凝らして見つめなければなりません」
「そういう意味では、あの平蔵とか申す者も耳目として役に立ちそうだな」
「使いどころ次第ですね」
遊び惚けているようで、その筋に知り合いが多いというのは、街の様子を知る役には立つだろうな。本質は劇薬だから、俺はあんまり関わりたくないけど……
しかし、俺の知る松平定信とはえらい違いだ。何だか歴史を歪めてしまったような気がするな……
「ときに話は変わるが……あの親娘、我らで引き取ることは出来ぬものか」
賢丸様が突然そんなことを言い出した。実際にその目で貧民の暮らしを目の当たりにして、情が沸いたのだろうか。
結論から言えば、引き取ることは出来る。だけど為政者という観点から見れば、彼女たちだけを引き取ったところで何の解決にもならない。所詮自己満足のための情けでしかない。
「お主は冷たいの」
「私から言わせれば、賢丸様の変わりようの方が驚きです」
「分かってはいる。だが、あの娘は何だか捨て置けぬように思えてのう」
もしかして、賢丸様ってば……
「そういうご趣味で?」
「違うわ! 種を相手に鼻の下を伸ばしておるお主と一緒にするな」
「私がいつ伸ばしましたか!」
「いいのか? 父上に知られても……」
「ひ……卑怯なり!」
「で、どうにか成るや否や?」
「ああもう……私がどうにかいたしますよ」
「そうか、それは重畳」
ったく、こんなところで借りを返す羽目になるとは……まあ仕方ない。俺も打ち首は御免被るからな。
しかし、引き取ると言ってもどうしたものか。徳山の家でどうにかなるかな……
◆ ◆ あとがき ◆ ◆
鬼平さん取りあえず顔見せで登場。この後すぐに京都に行ってしまうんで、再登場はしばらく先です。
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