陽気な商館長フェイト

〈前書き〉


前話に続き、本話で『 』内のセリフはオランダ語による発言となります。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 吉雄殿に色々と教示してもらったが、やはり医学の専門用語は通詞殿でも難しいらしく、思ったほどの収穫は無かったのだが、そんな中、部屋に一人のオランダ人が現われた。


『ホーイ』


 商館長カピタン、アレント・ウィレム・フェイトその人であった。んーと、ホーイって軽い挨拶だったよな。随分と陽気なオッサンだな。


 ええと、ええと、それに対して答えるとなると……普通に返せばいいか。


『こんにちわ』

『……!! オランダ語を話せるのか?』

『簡単な挨拶くらいなら』

『クソ野郎?』

『そうです』

『ハッハッハ、面白い。で、吉雄さんは彼らと何の話をしていたんだ?』


 フェイト氏が俺たちの話の内容に興味があるらしく、吉雄さんに事の次第を確認していた。


『なるほど……ならばこういうのはどうだろう……』

「カピタンが医官に話を聞いてみてはどうかと申し出ております」


 これは望んでいた展開だ。直接話せるかどうか分からなかったけど、オランダ人の医師に話を聞ければこれ以上の成果はないだろう。


「杉田殿、是非にも」

「おお前野殿、ありがたい話じゃ」

「では早速医官殿のところへ……」

「えーと、徳山殿はこのままで。カピタンが是非お話ししたいとのことなので」


 おっと、これまた急な話だぞ。なんだかカピタンがワクワクした顔をしているな。なまじオランダ語を話してしまったから変に期待されているのだろうか。


 正直、自己紹介と、こんにちは、さようなら、ありがとう、クソ野郎くらいしか喋れないんだけど……


「徳山殿、大丈夫でござる。こちらはオランダ語の意味さえ分かれば、杉田殿でも話は通じますから」

「前野殿、手厳しいですな……」


 俺がどうしようかと前野さんを見たら、大丈夫だと念押しされた。たしかにオランダ語の意味が分かるのなら、俺より医術に明るい杉田さんたちの方が和文に意訳するには適任だろう。


「安十郎、折角だからカピタンと話をしてみよう。西洋のことなど聞いてみたいことは色々あるからな」

「賢丸様がそう仰せならば」


 こうして、前野さんたち三人は小通詞と共に医官のところへ向かい、俺と賢丸様は吉雄殿の通訳により、フェイト商館長と会談することになった。




『さあさあ、適当なイスに座って下さいな』


 フェイト氏に招かれて入った部屋は、まさに異国という感じだった。家具や調度品などを見ても、言うなれば中世から近世のヨーロッパといった、クラシカルな雰囲気を感じる。


 この時代では、これが流行の最先端のデザインなんだろうけどね。


 そして壁には、長崎屋の入口にもあった赤・白・青のオランダ国旗……をベースにしたオランダ東インド会社の旗が掲げられていた。


 国旗と何が違うかというと、真ん中の白地部分に入ったVの字の両辺にOとCが乗っかったようなロゴ。オランダ東インド会社――Vereenighde Oost Indische Compagnieの紋章である。


「ヴェレーニヒデ・オースト・インディヒェ・コンパニー……」

『……!! 発音は少し違うようだが、ちゃんと読めているね』


 ボソッと呟いた発音がフェイト氏の耳に入ったようで、目を見開いて驚いている。さすが西洋人、目がデカいわ。


 発音は適当だったけど、英語ならイースト・インディア・カンパニーってことだろう。読みが似ているからそこは理解出来るが、最初のヴェレーニヒデは完全にフィーリングで発音した。無論意味は知らない。


「吉雄殿、最初の単語はどういう意味なのでしょう」

「連合とか団結という意味ですね」


 どういうことなのかとフェイト氏に尋ねると、元々各州の連合体であったオランダでは、個別に貿易会社を設立していたのだが、イギリス東インド会社が国王から独占を認められた特許会社として発足すると、これに対抗するために連合して1つの会社に統合されたのだとか。連合とはそう言う意味であり、つまるところヴェレーニヒデとは、ユナイテッドみたいな意味なのかもしれない。






『ムチャクチャな学び方だな……よくそれで習得できたものだ』


 席に座って会話を始めると、フェイト氏は俺たちがどうやってオランダ語を学んだのかに興味があるらしく、習得方法を聞いてきたので、蘭書から知っている単語のみで類推してきたことを正直に伝えると絶句していた。まあ……普通に考えたらムチャクチャもいいところだよな。


「そこまでしてどうしてオランダ語を学びたいのか。と聞いております」

「我が国は我が国で独自の文化を形成してきましたが、西洋に比べて劣っている部分も多く、オランダや西洋の知識を出来る限り習得したいのです」

『それを快く思わない者もいるのでは?』

「どうしてそうお考えで?」

『見ていれば分かります』


 日本にいる間、彼らの行動は監視と制限の下にあった。交易を唯一認められた彼らも、バタヴィアから来た船が帰るまでの間を除く半年以上、ごく僅かの同胞と共に、長崎では出島の外に出ることを許されず、江戸に来れば長崎屋の中で缶詰めだ。海外の情報が伝わらないよう、この国の政府が情報統制を敷いている。彼らがそう考えるのも無理はない。


 しかし他方、長崎では通詞を中心にオランダの学問を導入し、江戸に来れば知識人階級と思しき日本人が、彼らと交流を持とうとしているし、店の外では一般市民がオランダ人を一目見ようと、軒先に人だかりを作っている様を見れば、興味がないわけではないと言うこともまた明らかだろう。


 お上は統制を求め、下々は自由を欲する。相反する二つの考えが同じ日本人の中に混在するのを見て、彼らがどう思うか。オランダは日本との交易量を増やしたいと聞いているから、俺たちのような存在は歓迎するところなのだろうが、反面、行きすぎて弾圧の対象になって、自分たちが唆したのでは? と、疑われることを危惧しているのかもしれない。


「それについては心配無用。この安十郎は我がお祖父様の命で蘭語解読をしているのだからな」

「お祖父様……?」

「我が名は賢丸。田安中納言の七男じゃ」

「田安公の……」




 機を見て紹介するつもりだったのだが、賢丸様が吉宗公の話を出してしまったので、隠していても仕方ないと自ら名を明かし、ここだけの話として、フェイト氏との会話を続ける。


「我が祖父、吉宗公は洋書の禁を緩め、実用的な学問の導入を図った。言わば安十郎は公儀の命によって学を修めておる。何も問題は無い」

『それは、この国の政府の意向と考えてよろしいのか? 私たちとの交流を深める意思があると見てよろしいのか?』

「今はまだそこまでの域には達しておらぬが、いずれ海の外に目を向けねばならぬ日も来よう」

『良きお考えかと。この国を取り巻く外の状況は知っておいて損はありません』


 そう言うと、フェイト氏は紅茶を口にして一拍おくと、こう切り出した。




『西洋の各国は世界の至る所に艦隊を送り、新たな領土として切り拓いております。近い将来、この国にもその波が押し寄せてまいりましょう』

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