みんな! 長崎屋でカピタンと握手!

 目黒行人坂の大円寺から出火した炎は風に乗って北東へと広がり、麻布から芝、京橋、日本橋など、江戸城南側から東側の武家屋敷や町々を焼きながら、ついに神田や千住まで燃え広がった。


 夕刻にはようやく千住小塚原付近で鎮火したものの、夜になって本郷で再び火の手が上がり、小石川から駒込一帯を燃やした後、風向きが南へと変わり、根岸、浅草、そして再び日本橋を焼いて、完全に鎮火したのは二日後の三月一日であった。


 大火の日、前野さんたち三人は俺抜きでいつものように和訳に取り組んでおり、やはり早鐘で火事の発生を知ったらしい。


 中津藩の中屋敷がある築地は無事だったものの、杉田さんや中川さんの住まいは日本橋、つまり火が燃え広がる先ににあったため急いで戻ったところ、火がすんでのところまで迫っていたという。日本橋でも川に近い一番東側だったので、どうにか延焼は免れたようだ。


 そして俺はと言うと、実家のある本所は大火の被害が一切及ばなかった。時折火の粉は降ってきたようだが、それにさえ気をつければ川が炎の行く手を阻んでくれるからね。まさに対岸の火事というやつである。


 だが、当の本人は川のこちら側にいたわけで、混乱に巻き込まれないようにとその日は田安邸で厄介になった。これが原因で、対岸の火事では無い修羅場に追い込まれることになろうとは、誰が思っただろう……




 あの日、俺が泊まることを一番喜んでいたのは種姫様だった。そしてあろうことか、「火が燃え広がってこないか心配で眠れそうに無いので、今日も安十郎様にお側に居てもらいたい」と宣われやがりあらしゃいましたでございますことよ、こんこんちきの畜生め。


 その言葉に「今日……?」と食いついた宗武公、それを受けて何かを悟ったのか、能面みたいな顔になる通子様。自身の発言の不始末に気付いた種姫様は目が泳ぎ、賢丸様は「あちゃー」という表情。事情は良く分からないが面白そうなことが始まるのではと感じている治察様と因子様。


 そして……それらに囲まれた俺。地獄絵図ってこういうことを言うんだろうなと思った。一瞬、「父上、先立つ不孝を……」って思ったわ。


 どういうことかなあと聞いてくる宗武公は、穏やかな表情だけど目は笑っていない。さてさてどうやって切り抜けようかと思っていたら、「普段から構ってもらっているから、今日も寝るまで話し相手になって欲しいと言うことでしょう」と賢丸様がどうにか誤魔化してくれたので難を逃れたが、また借りが出来てしまったような気がする。なるべく早く返済しないと利子が高く付きそうだ……






<日本橋本石町>


「やはりこの辺りの被害は相当のようですな」


 火事から半月ほど後のこと。俺たちは日本橋まで足を運んでいた。今でも焼け落ちた家屋の廃材がそこかしこに転がり、焦げた匂いが漂う町中のあまりの惨状に、喪中で久しぶりの外出だった前野さんは驚いているようだ。


 それでも人の営みが絶えたわけではない。道端では物の売り買いが活発に行われ、家々を立て直す大工や職人たち、資材を運ぶ者たちで往来はごった返しているし、これから向かう所も既に仮住まいが建てられていた。


 今日の目的地は本石町三丁目に店を構える長崎屋。ここは長崎に入ってくる海外産の薬用人参、通称"唐人参"の江戸での販売を独占する"唐人参座"に指定された薬種問屋なのだが、もう一つ大事な役目があって、それはカピタンが江戸参府する際の定宿としての役割だ。




 カピタン。出島のオランダ商館長のことをそう呼ぶが、要は英語で言うところのキャプテンだね。なんか、某国営放送の子供向け番組に出てくる着ぐるみキャラの名前っぽいが、語源はポルトガル語だ。


 オランダ語だと"オッペルホーフト"と言うらしいが、言いにくいし、元々ポルトガルとの交流が最初にあった我が国では、商館長=カピタンで定着してしまっていたので、今も変わらずそう言われているのだと思う。


 オランダ人が日本にやって来たのは慶長五年、関ヶ原の戦いの年だから西暦だと1600年のこと。当時は独立を果たしたばかりで新興貿易国として歩み始めた時代のことである。


 最初は難破船の漂着という形ではあったが、話を聞いてみると、ポルトガルやスペインと違い、布教は二の次で貿易がしたいという姿勢だったため、キリスト教への対応に苦慮していた家康に気に入られて重用されたと聞く。


 有名なのは横須賀にあるお墓が地元の駅名にもなっている三浦按針ことウイリアム・アダムスと、住んでいた屋敷の場所が、後世その名から八重洲になったヤン・ヨーステンの二人だな。後に言う鎖国体制が整って以降、彼らの住まう長崎出島が唯一とも言える西洋との窓口だ。


 その長であるカピタンの任期は基本的に一年。秋頃に積み荷と共に日本へと来航し、前任はその船に日本からの輸出品を積んで帰るというサイクルなのだが、その任期中の一大イベントとも言えるのが江戸参府である。


 一月の中頃に長崎を発った一行は、四十日前後の行程を経て江戸に到着し、三月の一日もしくは十五日に将軍に目通りする。簡単に言えば、「貿易認メテクレテ、アリガトゴザイマース」というお礼参りだ。


 それが済むと半月から一ヶ月ほど江戸に滞在して長崎へと帰るわけだが、その間は長崎屋に滞在し、諸大名や幕臣、民間の学者など大勢の日本人と面会して、通詞を介して交流を深めているのだとか。


 元々オランダ人との接触は御法度だったらしいけど、今は幕府の許可を取れば面会は出来るらしい。今日来た目的はまさにそのためで、翻訳の成果を通詞に見てもらい教えを請うため。可能であればカピタン付きの医師にも話を聞ければ、一番効率が良いかもしれない。




「徳山殿、何やらお疲れでございますか?」

「ええ……少々」


 とは言うものの、中川さんに言われるまでもなく心的疲労が溜まっている。先程オランダ人との接触は幕府の許可を取れば……と言ったわけだが、今回その手順を踏んだのは俺……経由で田安家にお願いした。


 年明け前からカピタンが来たときに……という話はしていたが、同衾疑惑の渦中でそれを切り出すのは勇気が要った。それでも話を通せたのは賢丸様のおかげ。


「私もカピタンに会ってみたい」


 という一言で、今日この日、俺たちの面会時間が設けられたわけだ。つまりどういうことかと言えば、賢丸様も同席するのだ。そのために知る限りのオランダ語も教えていた。


 和訳と蘭語教授、あとはお菓子作りと救荒食研究。大火以降、田安家と築地の往復で本所の家には帰っていない。心身共に休まる暇が無いというやつだ。


 This is ブラック企業。未来の俺の仕事の方がもう少しホワイトだったぞ。決して真っ白とは言えなかったけど……


「しかし、田安家の御曹司が蘭語に興味があるとは……」

「私も意外でしたがね。あ、噂をすれば来ましたよ」


 長崎屋の前で到着を待っていると、お供を連れて賢丸様がやって来た。お忍びらしく、随分と質素な出で立ち。俺に合わせてきたようである。


 お忍びだから目立つ格好を避けろとは言ったが、それはそれで警備セキュリティは大丈夫なのかと思ってしまう。あまり開明的な考え方を植え付けすぎるのも考え物かもしれない。まあ……今回に関しては止めても聞かなかっただろうけど。


「安十郎、待たせたな」

「いえいえ。ではいざカピタンに」

「会うとしようぞ」


 なんだろう。賢丸様の雰囲気が、ヒーローショーを見に行く子供とか、握手会に向かうアイドルファンみたいな雰囲気だな。

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