エピローグ

 ニニとロカから始まったセプテントリオンの全滅、それを解決したアズサは久々に暇を持て余していた。


 無論冒険者の全滅事故が無くなったわけではない。が、全滅事故調査室が後任人事やらなにやらで混乱の最中にあったため、久々に羽根を伸ばしていたというわけだ。


 ただし誰もいない自分の家ではなく、ニニの家で。


「この度は本当にありがとうございます。アズサさんがいなかったら、俺はあのまま死んでいた」


 調理場からニニの作るスープのいい香りが漂ってくる。そのせいでロカに深々と頭を下げられながら、アズサの心は微妙に集中できていない。


「それが仕事だから。でも良かった。ロカさんは死んでる前提だったから、ニニにどうやって伝えたらいいか、ずっと悩んでた」


「あはは……本当はいつもニニの側にいてやりたいんだけど、俺には他に特技も才能もないから」


 ロカは、あのマズルの息苦しい地下牢で会ったときよりもずっと物腰柔らかな人物だった。

 

 無理もない、とアズサは納得する。実際救出直後のロカは栄養失調寸前で、意識を取り戻すのに三日三晩かかった。その間ずっとニニが側についていたのだという。


「にいちゃ、おねえちゃ、できたよ!」


 ニニがぷるぷると腕をふるわせながら、スープ入りの器を三つまとめて運んでくる。案の定取り落としそうになったのをロカが手慣れた手付きで受け取り、配膳した。


 これがこの二人の日常なのだ。漠然とアズサは思った。両親が生きていた時は、自分もこんな風に危なげな行動をして助けられたのだろうか?


 ニニとロカの二人との間に、アズサは不可視の溝を見た。それはけして巨大な溝ではないが、自分はもうこっち側に来てしまったのだとわかった。二人のうちどちらかが不幸にも自分と同じ側に来ないよう、アズサは祈ることしか出来なかった。


「おいしい? ねえ、おいしい!?」


「おいしい。ありがとう、ニニ」


「やっぱりニニのスープが一番だな!」


「ほんと!? やった!」


 大げさなほど飛び上がるニニに苦笑しながら、ロカはアズサに尋ねる。


「アズサさんは、いつまでお休みを?」


「たぶん今日まで。実は、この後ギルド長に呼ばれてる」


「イブリースギルド長に?」


「そんな名前だった?」


「ええ。生ける伝説、最強の冒険者、人型の悪魔……色々と呼び名はあるけど、とにかくおっかない人だって有名だから」


「おっかないのは同意」


「でもアズサさんは俺を助けてくれたし、みんなの――セプテントリオンの全滅事故も解明してくれたわけだから、きっと悪いようには言われないでしょう」


「そうだといいけど……ごちそうさま。またね、ニニ」


「うん! おねえちゃ、ありがとう! 大好き!」


「ん……」


 逃げ出すようにアズサはニニの家を後にした。そして相変わらず混沌とした冒険者ギルドの酒場を通り抜け、ギルド長イブリースの元へと向かう。


 こわばった手で扉を叩く。「入ってくれ」を、またあの竪琴のように滑らかな声が答えた。


「失礼します」


 初めて入るギルド長の執務室は、想像より手狭だった。壁の棚に所狭しと並べられた報告書、魔導書、その他得体の知れないマジックアイテムの多数。


 執務室というより魔術師の工房のようにも見えた。その中でもさらに魔導書の積み上がった本の要塞の中にイブリースはいた。長命のエルフ族という点を差し引いても、親の本で遊ぶ子供のようにしか見えなかった。


「まずは楽にしてくれ。堅苦しいのは好かないんだ。たぶん私は人の上に立つ人間じゃないんだろう。本当はダンジョンで火の番でもしてる方が性に合うんだが……と、すまんすまん。私のことはどうでもいいんだ」


 にこりと笑う表情は、年頃だけで言えばニニのそれと変わらないはずなのに、どうしてだか背筋を正させるものがあった。アズサもまた背筋を正し、息を呑んだ。


「全滅事故調査局の室長についてなんだが」


「室長は更迭されたと聞いてますが……」


「奴はいいよ。新しい室長の話さ」


「もう決まったんですか?」


「私の中ではね。あとは当人からOKが出ればいいんだが」


「その人はなんて?」


「うん、どう思う?」


「はい?」


「だから、次期室長はアズサ調査官を任命しようと思うんだが……どう思うね?」


 アズサの中で時が止まる。


 この人は何を言ってるんだ? 自分が次期室長?


 しかしイブリースの瞳に冗談の色は欠片もない。紛れもない本気の言葉だと気配でわかる。


「君は仕事ぶりも優秀だし、今回の不正を暴いたのも君だ。推挙される理由は十分すぎるほどある」


「それはそうでも……えっと、心の準備が、まだ。それに室長の仕事なんて」


「まあ、嫌だと言うならしかたないが」


「いえ、やります! 私でよければ……」


「それは素晴らしい!」


 アズサは反射的に答えていた。


 特に深い理由はない。ただ、これまで防げたはずの全滅事故の数々が頭をよぎった。立場が上がれば、犠牲者を減らせるかもしれない。自分のような人間を減らせるかもしれない。


 言ってから後悔も走った。一介の調査官ですら力不足だというのに、その上の立場など務まるのだろうか?


 しかし取り消せる言葉はなく、イブリースはにやりと笑って一枚の書類を差し出した。


「ではアズサ新室長にさっそく最初の仕事をお願いしたい」


 呆然と書類に目を通していたアズサの心臓が、ある単語を見つけて凍りつく。


 アカメ・ヨナガ。キササゲ・ヨナガ。それは死んだはずのアズサの両親の名前だった。


「あのっ――」


「とあるダンジョンに、原因不明の全滅が頻発する地帯がある。君にはその全滅事故の原因を調査してもらいたい。質問は?」


 アズサはふと、巨大な魔物が大口を開けて自分の前に横たわっているような気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

なぜ冒険者パーティは全滅したのか? 『全滅事故調査官』アズサは、ギルドを追い出されても真実を暴く くらげもてま @hakuagawasirasu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ