口論

 辛抱して経過を見ていたものの、残念ながら結果は否定的だった。ドクターの沈痛な面持ちがしばらく忘れられなかった。それよりも、ビビアンの顔には表情も血の気もなかった。

 後遺症については落ち着きを見せており、頻度は下がっていくだろうとのことだった。

「お互いの信頼感が重要です。ティモシーさんは、声を荒げる・物を叩くなどの威圧的な行動を取ってしまわないよう気をつけてください。意図を持って体に触れる時は合意を最優先に。拒まれたら引き下がってください。現在でも大変睦まじくしていらっしゃるので大丈夫とは思いますが」

 ドクターのアドバイスを受け、診察は終了した。ビビアンだけのカウンセリングは、月一回の間隔で継続する。


「…できることなら、今すぐ監獄に乗り込んでキースをぶち殺したい」

「だめよ!」

 キースは、すでに刑が確定して投獄されている。

「大体、君も君だ。最初に変な同情なんかで身を任せたりするから、あの蛆虫野郎が図に乗ったんだ」

「それは…どうしようもなかったのよ。後悔してる。私が悪いの」

「どうしようもないことないだろ!? さっさとプレスコットを見限ったら良かったんだ」

「お願い、責めないで。もう全部終わったことよ。それこそ言ってもどうしようもないでしょ」

「終わってないだろ!? 終わってない! あいつの――プレスコットの呪いを一生引きずる羽目になったんだ! 君の迂闊のせいで!」

「…ティモシー…」


「どうしました!?」

 口論を聞いてパットンさんが飛び込んできた。僕たちは居間で言い争っていた。

 ビビアンは、両目に涙をためて必死で口元を押さえていた。言い過ぎた。ドクターにも注意されていたのに、良心がちくちく痛む。

 僕は立ち上がった。

「…サロンにいる。パットンさん、夕食ができたら呼んでくれ」


 サロンには、ピアノやいくつかの楽器を置いていた。家で作曲する時はここで腰を据える。懇意の劇場での新作の仕事は、いい劇作家がつかまらないとかで宙ぶらりんのまま待たされていた。その間は遠出の予定を入れず、地方のホールに呼ばれても王都近辺に留めていた。ビビアンの体調も心配なので家を空けたくない気持ちもあった。

 公演を減らした代わりに、出版社から頼まれて協奏曲コンツェルトの小品集をまとめたり、時には気晴らしに演奏家仲間に呼ばれてパブで即興を演ったりしていた。

 ここ最近のことは、僕にとってもストレスだった。おかげで小品集も進みが今ひとつだった。くさくさしながらも、頭を切り替えてピアノと譜面に交互に向かう。

 ふと気づくと、傍らにビビアンが立っていた。手にしたティーカップを脇の小テーブルに置く。僕は休憩することにし、小さく礼を言ってカップに手を伸ばした。これで仲直りだ。

「…やっぱり寝室は別にしよう」

「何で?」

「君の…安心しきった無垢な寝顔を見ていると、時々辛くなるんだ」

「…何で?」

「どう言ったらいいかな…僕が男であることが罪なような気がしてくるんだよ」

「ティモシー…あんたには罪はないわ」

「僕以外の男にはあるのかい?」

「知らない…でもどこかに罪があるってんなら、あたしかもしれないね」

「君こそ、自分のどこも罪だなんて思っちゃいけない」

 お互いに自分の愛する人だけは免罪しようとして競り合ってる。人が見れば滑稽で微笑ましいと思うだろう。

「とにかく、しばらくは離れよう。大丈夫、寝室だけの話だよ」

「…わかった」

 ビビアンは空になったカップを引き取り、キッチンへ向かおうとしたがふと振り返った。

「ティモシー、愛してる?」

「愛してるよ」

「よかった。あたしも愛してる」

 僕の返事はいささか棒読み気味で安っぽくさえあったのに、それでも彼女はほっとした表情を浮かべて立ち去った。

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