後遺症
―――――――――――――――――――――――――
※ご注意
このエピソードに登場する薬剤は、現実世界に存在するものと似た名称ですが効果や品質・安全性は全く異なり、「現実世界のものよりも劣っている」という設定です。
もし読者の皆さんがこのような薬剤を必要とする状況になった場合には、本作の影響を受けることなく、正しい知識のもとに用いていただけますよう、あらかじめお願い申し上げます。
―――――――――――――――――――――――――
* * *
父上は、僕たちの結婚祝いとして王都内に家を用意してくれた。ビビアンのコテージよりは小ぢんまりしているが、以前は僕の親族が住んでおり、住み心地は良い。
僕たちは結婚披露パーティーの直前にここへ移り住んだ。コテージでの最後の夜から二カ月余りしか経ってない。
「お帰りなさいませ、旦那様、奥様」
パーティーから帰宅した僕たちを、ミセス・パットンが出迎えた。彼女はもともとダルトン伯爵家の使用人で、子どもの頃からの付き合いだ。家事の覚束ない僕たちのために、父上が取り計らってこちらに住み込みで手伝いをしてくれることになっている。
「ああ、ただいま」
「ただいま」
お茶を入れてもらって一息つくと、パットンさんを休ませて僕たちも寝室へ引き上げた。
「今日は大分疲れたんじゃない? ゆっくりお休み」
「うん」
僕たちの間柄で、今更初夜なんて初々しいイベントはない。一緒のベッドでも疲れてる日は素直に休む、それだけだ。新年からは外せない仕事が控えているし、二人で話し合ってハネムーンもなしにした。
それよりも、彼女はキースから逃げ出して以降、どうも疲れやすくなっていた。
奴が収監された後、彼女は安宿からまともなホテルに移った。オリアリー子爵が飛んできたからでもあるけど、僕のフラットでは最近まで貴夫人だった人に行き届いた世話なんか到底できない。体裁を整えてお披露目するまで、彼女はホテルに逗留した。
それまでの心労がたたったのか、彼女はプレスコットとの縁切りの手続きをするのが精一杯で、後はよく寝込んでいたようだ。
「あの子、かわいかったね」
「ビビアン、赤ちゃんが欲しい?」
「いたらいいなとは思うけど…自分で産むのってあんまりピンとこない」
「自分の子どもは自分で産まないと」
「…そうよね」
ビビアンは、うとうとしながら言った。
「ティモシー」
「うん?」
「あたし、あんたの子どもなら…欲しい…」
囁きが途切れ、彼女は眠りに落ちた。僕は彼女にもう少し寄って腕で囲むと、同じく眠りに落ちていった。
* * *
朝、彼女がびくんと身を動かした振動で目が覚めた。
彼女は息を呑んで目の前を見つめ、やがて焦点が合って僕であることがわかると止めていた息を吐き出した。腕の中で彼女の動悸を感じる。
「どうしたの」
「…何でもない」
彼女は僕にしがみつくように腕を回し、胸に顔を埋めた。
「ここが安全な場所だって、わかっただけ」
「ビビアン…」
プレスコットの記憶が、まだ彼女を捉えているようだ。僕は彼女の背中を撫でた。
「大丈夫だ。もう何も追ってこない。今日は休んで何か気晴らしをしよう。パットンさんと一緒にお菓子でも作るとか。新年の支度もあるね。そうだ、グリーティングカードを書かなきゃね。『結婚しました』って」
僕の並べた提案に、彼女は一つ一つうなずいた。
「よし、じゃあ起きよう」
「うん」
上掛けから抜け出てキスしようとすると、彼女は少し引いて頬にキスした。僕も頬に返して立ち上がる。
いくら何でも倦怠期には早すぎる気がする。
プレスコットの影は、相当深刻なのかもしれない。
* * *
懸念はすぐに形になった。
彼女はほぼ毎朝、怯えながら目を覚ました。夜中にうなされていることもあった。
僕の抱擁やキスを時折り避けた。挨拶としてならいいが、夫婦として愛情を示そうとするとだめだった。
「キースに…暴行されたことや、その時の怖さがいきなり蘇るの。多分、お披露目で大きな山を越えて、他に気にすることがなくなったせいで余計際立つんだわ」
うなされるのは、ホテルに逗留していた時からあったらしい。
「ティモシー、ごめんね…ごめんね。あんたを愛してるし、子どもだって欲しい。でも男の…雄っぽさを感じると…」
つまり僕は、またしても男だからという理由で彼女に拒まれたわけだ。
何てしつこい呪いだ。
呪われているのは彼女だろうか、僕だろうか。
早く落ち着きたいという彼女のために、僕たちは医者に相談することにした。だがこういう問題を扱える医者がいるだろうか?
迷う暇なく次の悲劇が来た。
ある日、ビビアンは脂汗を流して床に座り込んだ。お腹を抱え込んでうずくまり、足の間から血が流れていた。僕とパットンさんは彼女の全身を毛布でくるみ、急いで施療院へ連れて行った。
そして彼女は、その中に芽生えかけていた命を失った。
担当
僕は彼女との行為では、ほぼ常に避妊を心がけていた。二人の社会的な立場から避けるべきなのは確かだが、理由はそれだけではない。欲望をそのまま放てば、僕は彼女の父親や亡夫と同じ人間になってしまう。結婚しない相手との間に子どもを作るなんて無責任なことを、彼女自身にまで繰り返させるわけにいかない。
ただあの夜は、安全日だという彼女の懇願に負け、最後の夜だという思いもあって聞き入れてしまった。
結果を想定してたかと言えば嘘になる。でも結婚した今なら問題ない。それならそれでちゃんと受け入れたかった。
「でも…当時彼女は別の男から暴行を受けていました。そいつのせいで妊娠することを避けるため、薬を使っていると言っていましたが…」
その薬が今頃副作用を起こすとは、素人考えでは思いにくい話だった。
ドクター――女性医師だった――は顔を曇らせた。ベッド際で僕たちに聞き取りをしていたが、改めて彼女に質問した。
「それはどのような薬? どこから入手しましたか?」
「娼婦が使うものを伝手を頼って…いわゆるアフターピル的な…」
「『アフターピル』?」
「ええ、行為の後に飲む薬です」
「まさか。迷信以上の効果があるとは思えないけど…」
ドクターは眉間の皺を深めると、僕に席を外すよう言った。より込み入った話をビビアンとするらしかった。
彼女も学園の同窓生で、僕たちとはあまり交流がなかったがその優秀さはよく知られていた。さる侯爵家の令嬢だが医療に関心が高く、学生のうちから医療現場を改善する論文や提案を何本も発表していた。今はこうして施療院で女性の患者を中心に診ている優秀な女性医師だ。彼女なら、ビビアンの心の症状にも何か処方してくれるかも知れない。
治療室の外で所在なく待っていると、再び呼ばれた。
ドクターは、ビビアンが倒れた原因を僕にも説明した。
彼女が使用していた避妊薬は、有効ではあったが安全ではなかった。薬がどう作られるのか僕は知らなかったが、一般には医師や薬学者のレシピに基づいて調合するものだそうだ。避妊薬については安全に作用する薬の製造方法が確立しておらず、副作用を引き起こしてしまう成分が含まれているらしかった。そのせいでビビアンは倒れてしまったらしい。
有効ではあったというから、キースの子ではない。僕の子だ。僕と彼女の子が…。
うなだれる僕に、ドクターは追い打ちをかけた。副作用は、彼女を不妊にもした可能性がある、と。
「不妊って…一生ですか!?」
「まだ経過観察しないと断定はできません。回復する可能性がゼロとは言えません」
希望を持って様子を見守るしかなかった。経過観察のため、少なくとも一カ月は営みを控えるよう言われた。ご結婚されたばかりのところを大変心苦しいのですが、とドクターは言った。暴行の精神的な後遺症も残っているので、その意味でも触れないのは丁度いいだろうと。
「その間、後遺症についてのカウンセリングもしましょう。ビビアンさんは、週に一度こちらへ通ってください」
それで僕たちは治療室を出た。パットンさんが青い顔をして待っていたが、「帰ろう」としか言えなかった。家に帰り着くまで、三人とも無言だった。
* * *
「…寝室を、分けようか?」
僕の提案に、ビビアンはゆっくり首を振った。
「一人で寝るのも怖いの。ドアから人が入ってくるんじゃないかって思ってしまう。ティモシーが隣にいてくれたら、体温で守られてる気がする。だからお願い」
「…わかった」
それからは、雛を守る親鳥のように彼女をゆるやかに抱いて眠るのが通例になった。これも愛の巣と言えば言えるが、保護者の愛だ。彼女に気付かれないようにこっそり自嘲する。
子どもが欲しいと言った矢先にこれだ。ビビアンが幸せを感じる瞬間はほんの少ししか保たなくて、すぐさま不運がやってくる。彼女の運命の天秤は偏り過ぎじゃないだろうか。一体どんな星の下に生まれたのか、占い師がいるなら聞いてみたいものだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます