祝宴

「では、二人の末永い幸せを祈り、乾杯!」

「乾杯!」

「天上の主の恩寵を!」


 乾杯の音頭に集った人々がグラスを捧げ持ち、そして飲み干した。続く拍手を受けて僕とビビアンは一礼し、招待客たちの間を回り始めた。伯爵家子息の結婚披露パーティーにしては小ぢんまりとした会場には、それぞれの身内や仕事相手、わずかながらの友人が行き交い談笑していた。

 僕の父のダルトン伯爵とビビアンの父オリアリー子爵は、会場の端と端で互いに背を向け合っている。無理もない。父は札付きの不良未亡人を押し付けられたという気持ちが未だに強いし、子爵は僕が過去にやらかしたことを忘れておらず、せっかくチャラにしていいところに嫁がせたのに、またもやかどわかされたと腹に据えかねる思いでいるらしい。

 それ以前に、緊急事態だからと事後報告になってしまったことで、父親たちは卒倒しそうだった。その後の成り行きを見てようやく納得してくれたからこそ、こうして体裁を整えることも承諾してくれた。毎度お騒がせなカップルで申し訳ない。


「ティモシー、ようやく晴れの日が来たな」

「ありがとう、ロナルド」

 世話になった旧友が、眼鏡越しに微笑んでグラスを掲げた。

 ロナルドは、僕の部屋にキースが乗り込んできた日に、成敗を付き合ってくれた友人の一人だ。僕と同じく、アーノルド王太子殿下の『ご学友チーム』のメンバーだ。学園卒業後は学院に進んで法学を修め、今は司法院で法服貴族として役割を果たしている。将来は父親の侯爵位を継ぐだろうから、その点で彼もキースとは格が違う。


 キースは、次代の国王たるアーノルド殿下に手を上げたかどで収監された。僕のフラットへの不法侵入だけでなく、ビビアンを探してオリアリー子爵を訪ねた際も、空振りに終わった腹いせに手下を使って嫌がらせをしたなどの余罪があった。刑が確定すれば速やかに投獄されるだろう。今はロナルドが中心となって審判中だ。僕の部屋でのキースの発言もすべて証言として採用されており、特に殿下への暴言は不敬であるとして陪審の心証を著しく下げた。

 また、奴は当然伯爵として不適格だとして爵位を剥奪された。プレスコット家は、他に継承者がいないため親族会議を経て伯爵位を返上した。領地はひとまず隣接する伯爵家が面倒を見ることになった。

 財団はビビアンの手から離れたが、プレスコット家では管理できず、財団の理事会もこれ以上曰く付きの家に関わられたくなかった。そこで引き取ってくれたのはハイリッジ公爵だ。次代公爵のグレアム卿が会長に就任し、財団名も変更した。公爵家でも近年領地で孤児院運営に力を入れているので、似通った理念を持つこの財団も適切に運営してくれることだろう。

 ビビアンは、一族の忌まわしい妄執から解き放たれた。


「手回しの良さには感謝するよ」

「なに、自分の仕事をしただけだ」

 彼が待機させていた警官隊の一隊により、ちんぴらどももまとめてお縄となった。

「例え正当防衛が通るとしても荒事は苦手でね。治安維持は然るべき執行機関に任せるべきだ」

「僕も同意するよ。怪我なんかしたら死活問題だ」

「嬉々として待ち構えてる奴の気が知れないね」

「ほんとほんと」

 僕とロナルドは顔を見合わせて笑った。

 殿下は、警官隊が踏み込む前から連中が萎縮してしまったので拍子抜けしたようだった。

『キース卿が“ええい構わん、やっちまえ!”とか言うかと思ったんだがなあ』

 ほのぼのとした台詞にこっちが脱力する。どうもお忍びの時に見かけた庶民向けの活劇を気に入ってたらしい。現実には、あの成り上がり野郎はそこまで豪胆でも無謀でもなかったが。


 噂をすれば影で、会場の入口が少し賑々しくなった。

 扉が開き、礼服姿の殿下が現れた。後ろにはお子のベネディクト殿下を抱きかかえた従者が続く。場内の人々全てが話を止め、彼に向き直り目を伏せた。


 今日のパーティーに、殿下を招待するかどうかは僕も父も悩んだ。本来なら旧友としてぜひとも招待したい。キースを遠ざけるのに一役買っていただいたご恩もある。でも僕たちのような醜聞まみれのカップルのためにお呼びしたら、殿下の評判を著しく下げないかと心配だった。

 殿下ご自身は、出席に前向きな姿勢を見せてくださった。

『配偶者と死別した者が新たに幸せになろうとしているのに、女性だからと言ってとやかく言われる筋合いはないだろう。むしろ俺の立場で祝福の意を示すことで、人々の意識も変わればいいと思うんだ』

 そうは仰っても、どの階級でも賛否の声は出そうだし、否の声もまだ無視できるほど小さくはない。殿下の周囲はそう判断し、調整の結果、招待状には断ってみせるものの、公務と公務の間の移動中に生まれた隙間時間に思い立って十分程度顔を出す、という筋書きになった。


「ティモシー卿、ビビアン嬢。この度は結婚おめでとう。二人の絆が永久とこしえに結ばれるよう、天上の主の恩寵があらんことを願う」

 殿下が僕たちの前まで来て、お祝いの言葉を述べた。

「身に余るお言葉を賜り、ありがたく存じます」

「ありがとうございます」

 僕たちは揃って深々と礼をした。頭を上げると殿下は軽く手を挙げ、それを合図に人々も注目を解きまた談笑を始めた。僕たちも殿下と談笑する。

「殿下には思ってもみないほどのお力を借りてしまいました」

「気にするな。お前にはちょっとした恩があるからな」

「そうでしたっけ?」

「俺が昔ある悩みを抱えていた頃、お前はいっそ遊学でもすればと言ってくれたな」

「ああ…殿下のご卒業前のことですね。あれは考えなしの台詞でした」

「だがその一言があったから、遊学を前向きに考えることができたんだ。そして遊学の期間を経たからこそ、生涯の伴侶を定めることができた。ある意味、お前が俺の縁結びのきっかけになったんだ。お前の縁を成就するのに手を貸さなきゃあ、その恩が返せない」


 公式には、殿下と王太子妃殿下のご縁の立役者は妃殿下のお身内ということになっていたから、その解釈は意外すぎた。たった今言われるまで忘れていたくらいだ。

 殿下は、この程度のことでも気前よく恩に着てしまう。こういうお人柄も人気の所以だ。彼の下で働く者は皆喜んでどんなことでも従いたくなるだろう。

 傍で会話を聞いていたビビアンが、殊勝げに言った。

「とっておきのコネを使わせちゃったのね。申し訳ないわ」

「僕のために君のコネを使わせてもらってたんだ。僕のコネも君のために使ってこそだ。それに、確かに殿下でなければ解決できない事案だったよ。あそこまで体を張ってもらえるとは思ってなかったけど…」

「なに、置物として拳骨の前に出るだけの簡単な仕事だ。自分で言うのも口はばったいが、俺は国の宝扱いだからな」

 たまには頭を使わない仕事もいいな、と事も無げに笑うが、殿下の本領は広範かつ緻密な情報収集力とそれを踏まえた臨機応変な対応力だ。殿下個人の素質もあるが、人を使うようになってますます磨かれているらしい。

「それにしても、あのタイミングでキースが部屋に乗り込んでるってよくわかりましたね」

「実は占い師に聞いたんだ。王家お抱えでね、捜し物には滅法強い」

 僕がロナルドと一緒に殿下に相談に行った時、彼は「少し調べてみよう」と仰った。半日後にはもうキースの居所を掴み、奴を嵌める算段をつけていた。

 前からキースを監視してるのでもなければ、そのスピードはありえない。「占い師」はさすがに符牒だろうけど、凄腕の諜報部隊が控えているんだろう。

 ちなみに、キースを不敬罪に追い込む手は僕も容易に思いついてはいた。でも無責任な学生の頃ならいざ知らず、今や桁違いに面子が重たくなった殿下に、ちょっと一発殴られてくれないかとはとても言えない。彼の方から言い出してくれて助かった。

「妃もお前の評判に関心を持っているようだ。そのうち呼ばれたら一曲披露してやってくれ」

「…曲以外の評判はお耳に入ってないですよね?」

「はっはっは。この流れで知らないわけがないだろう」

 殿下は僕の肩を軽く叩いた。ああ、また父上を卒倒させてしまいそうだ。


「ぱーぱぁ」


 後ろで従者に抱かれているベネディクト殿下が、ちょっとむずかった。殿下は従者からお子を引き取ると、自分の腕の中で軽くあやした。

「まあ、愛らしい。もう二歳になられるのだったかしら?」

「間もなくかな。これから魔の時期突入だ」

 思わず一歩進み出たビビアンに、殿下はお子がよく見えるようにしてやった。

 ベネディクト殿下はあやされてご機嫌になり、僕たちを見上げた。彼の黒髪と緑の瞳は父親譲りだが、母親譲りの特徴も明らかに備わっていた。

「ふふ、ほっぺがぷくぷくしてかわいい。いいなあ」

 ビビアンに見つめられた赤ん坊は、指をしゃぶりながら父親の首筋にこてんと寄り添い、髪の中に顔を隠してしまった。

「…△◎♨…」

「おや、人見知りかな」

「ビビアン、ベネディクト殿下はまだ二歳だよ。君は僕の妻になったんだから、他の男を虜にしようとするんじゃない」

「まあ、人聞きの悪い」

「ははは、ベネディクトはこれから耐性をつけなきゃな。魅了耐性は王族には必須のスキルだ」

「はあ、ご面倒をおかけします…?」

「ビビアン嬢、君たちにも子どもはすぐできるさ。今後君たちからたくさんいいニュースが届くのを楽しみにしてるよ」

「あ、ありがとうございます」


 時間が来たらしく、従者がそっと殿下に合図した。殿下が僕たちにうなずく。僕たちは改めて殿下に跪いた。

「王太子殿下、本日はご公務で多忙な中お越しいただきまして誠にありがとうございました。殿下のご厚意に恥じぬよう、二人いかなるときも支え合い慈しみ合い、生涯を共に歩むことを誓います」

 後ろの人々も跪き頭を垂れた。


「たいぎ!」


 ベネディクト殿下が無邪気に応えた。きっといつも殿下に連れられてて、こんな場面では大抵「大儀であった」と答えてるのを覚えたんだろう。殿下が苦笑する。

「こら、皆はお前に礼をしたんじゃないぞ。…さて、ティモシー・ダルトン、ビビアン・ダルトン。束の間だが、あなたがた夫妻と喜びを分かち合えたこと、嬉しく思う。末永く幸せにな。では」

 そう告げると、殿下たちは大小の手を振りながら去っていった。


 ビビアンは立ち上がると、僕に腕を絡めて寄り添ってきた。少し疲れたのか、ぼんやりとしている。

「ティモシー卿!」

 スタンバイした演奏家仲間が声をかけてきた。

「ビビアン、もうひと頑張りできる?」

「ええ、全然大丈夫」

 演奏が始まり、僕たちは中央に進み出てワルツを披露した。人前に出ることに少しはにかんでいたビビアンは、それでも僕と向き合うと顔をほころばせた。

 彼女の手を取り、手袋越しに新しい指輪の感触を確かめる。


 もう誰にも君を奪わせない。


 君は情に厚いけど流されやすくて、我がままに見えて純朴で、ややこしいことや先のことを考えるのが苦手で、気まぐれで甘えたがりでときどき意地っ張りで、ちょっと八方美人が過ぎてて、そんな風にふわふわしてるからいくらでも男が吸い寄せられてくる。

 あの連中がしたように、いっそ君を囲い込んで誰にも見せたくないと思わずにいられない。でもそのやり方は君を壊すだけ。

 君がふわふわしてるのはもう仕方ない。そのままでいればいい。

 僕はただ、君がどこかに飛んでかないように重しになるよ。吹き消されないようにひさしになるよ。地に足を着けて、二人で何かを築いてゆくんだってことを思い出せるようにしてあげる。


 君の本音がどうあれ、君は僕を選んだ。僕を愛してると言った。その気分がこの先もずっと続くことを願う。

 君の気持ちを、君自身が信じ続けてくれることを願う。

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