第四章 良人

旧友

 その日、僕は旧友二人を連れて自分のフラットに帰ってきた。


「本当に良かったんですか? 奥さん…もまだ落ち着いていないでしょう」

「気にするな、ティモシー。数時間くらいなら大丈夫だからぜひ行って来いと言われたよ」

 僕はビビアンの承諾を得たうえで、二人に彼女の事情を相談していた。プロポーズの返事がどうでも、彼らの力を借りるつもりだった。つまり、事態を解決するために僕のプロポーズは必須じゃない。腹黒の卑怯者を自認する所以ゆえんだ。


「……」


 入口で、ドアが半開きになっているのを認めて僕たちは顔を見合わせた。黙って互いにうなずくと、ドアを開ける。

「これはこれは」

 友人たちが呆気にとられる。

 玄関ホールはひどく踏み荒らされていた。応接間やダイニングへのドアも開け放たれて、その向こうで棚が倒されたり物が割られて散らばったりしているのが見えた。

「随分散らかしてるな」

「独身生活を満喫しすぎだ」

「まさか。濡れ衣ですよ」

 そう言って応接間へ入ると、来客が僕たちを迎えた。


「よう、間男」


 キースがピアノの上に乗っかって、不敵な笑いを向けた。楽譜を散らかしていたちんぴらどもが、作業を止めて僕たちを囲んだ。後ろからも一人現れ、応接間のドアを閉じられた。伯爵人生よりも庶民をやってた歴史の方が長かったためか、キースはこういう連中と親しいようだ。

「あの女をどこに隠した?」

「あの女? 誰のことだ」

 僕はあえてとぼけてみせた。

 キースは舌打ちして手にした楽譜の束を放り、ピアノから降りてずかずかとやってきた。

「ビビアンに決まってるだろう! お前も冷たいな、あれだけ入り浸ってたくせに」

「僕はもうコテージに行くことはないよ」

「あいつが実家にもいないとなれば、ここしか行けるところはないんだ。さあ出せ!」

「他を当たったら?」

「この野郎っ…」

 キースは僕に手を伸ばそうとしたが、脇から友人が遮った。目深に被った狩猟帽の下から、目で合図される。

「チッ、邪魔な連中だ。…おい」

 キースが顎を上げると、左右のちんぴらどもが友人たちを押さえにかかった。大人しく立っていた眼鏡の友人の方は後ろ手を取られたが、狩猟帽の方は違った。


「いてっ!」


 彼は手にしていたステッキで、ちんぴらの腕を素早く払った。

「汚い手で触るな」

「何だ貴様? 生意気だな、俺を誰だと思ってる!」

 キースは激高した。しかし友人は落ち着き払っていた。

「誰なんだ?」

「お前らは知らんだろうが、俺は貴族だぞ。伯爵だ! 貴様らがそんな口をきけるような相手じゃない。格が違うんだ」

 素人め。

 事もあろうに貴族が、ちんぴらを引き連れながら身分を明かしたりするもんか。これだからは。


「だとさ」

 眼鏡の友人がつぶやいた。狩猟帽の方が軽く鼻で笑って答える。

「確かに格は違うな」

「減らず口を!」

 キースが彼の顔をびしりと打ち据えた。

「アッ…」

 僕は叫びかけて口を押さえる。彼に人前に出られなくなるような怪我を負わせてしまったら、僕の責任だ。

 友人は黙って僕を制すると、ずれかけた帽子を直した。ちんぴらは改めて彼の腕を押さえつけた。

 僕たちが怯えたと思ったのか、キースは得意げに脅しをかけてきた。

「さあ間男、さっさと女の居所を吐かないと、お友達に迷惑がかかるぜ?」

 言うことがいちいち安っぽい。こんな奴に爵位を渡した先代の気が知れない。

「ちなみに、何をしてくれるんだ?」

 友人は、まだキースを煽るつもりらしい。

「こいつらは俺の馴染みだが、荒っぽいことが好きでね。腕の一本や二本いつでもへし折れる。出しゃばりには真っ先にお見舞いするぜ」

「貴族を標榜するなら、友人は吟味することをお勧めする」

「ほざけ。どうせお前らだって間男の仲間なら、いい家の娘をせっせと誑かしてばかりいるんだろう」

「…なかなか味わい深い批評だな」

「やめろ!」

 僕は思わず叫んだ。キースは僕に目を向け、手首を掴んで締め上げた。

「心配しなくてもお前は俺が構ってやるさ。この商売道具を一本ずつ潰してやるぜ…」

 奴の目が異様にぎらつき、掴んだ手に力がこもっていく。

「も…もう十分じゃないですか…?」

 さすがに仕事に差し障りがあると困る。音を上げた僕に、キースがにやりとした。だがお前に向けて言ったんじゃない。

「堪え性がないな、ティモシー」

 友人が半笑いで答えた。

「あと一発ぐらい殴られようかと思ってたのに」

 不遜な台詞にキースはまたも頭に血を上らせた。

「お望み通りにしてやるぜ!」

 キースは拳を固めて友人に殴りかかったが、彼は後ろにひょいと避け、勢い余ったキースに足をかけて転ばせた。すかさずちんぴらからも逃れてそいつを遠くへ張り飛ばす。

 立ち回りで帽子が落ち、その顔立ちが露わになった。


「殿下!」


 とうとう僕は叫んだ。

 キースもちんぴらどもも固まる。

「殿下、だと?」

 キースは彼の顔を見上げ、目を見開いた。さすがに知らないわけがなかった。伯爵位の叙爵の時に会ったはずだ。陛下の隣に立つに。

「ア、アーノルド王太子殿下…」


 殿下は手を腰に当て、床にへばり付いたまま口をぱくぱくさせているキースを悠然と見下ろした。

「どうした、プレスコット伯爵」

 殿下の低く静かな声が場を圧倒した。

「格の違いとやらを、教えてもらおうか」

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