妃殿下

* * *


 高貴な御方の住まう部屋で、僕は代表作の演奏を献上していた。

 これは昨年ヒットした交響曲を弦楽四重奏に組み直したもので、バイオリン以外のパートは仲間が受け持ってくれている。

 たった一人のオーディエンスは、王太子妃殿下だ。

 アーノルド殿下が以前仰ったとおり、王宮から依頼が来て、産後まだ公務に出られず無聊をかこっている妃殿下のためにプライベート・コンサートをさせていただいていた。

「ありがとう。とても素晴らしい曲でした」

 演奏を終えて一礼すると、妃殿下が拍手を下さった。

「お褒めいただきまして光栄にございます」

「シャーロットを出産した後、アーノルドが大事を取って公務を減らしてくれたの。体調に別状はないのだけど、ずっと家族の部屋にこもっていたので、今日はいい気分転換になりました」

「お役に立てて何よりです」

 僕がプロポーズの答えをもらった日、妃殿下は第二子を出産した。それは女の子でシャーロットと名付けられた。シャーロット殿下のお世話は侍女たちが行うが、妃殿下自身もベネディクト殿下のときと同じように自らお手をかけられたりしているそうだ。

 そのため、彼女はここ王宮内の王太子家族のエリアからほとんど出ない生活になっているらしい。


 妃殿下は演奏家たちを引き下がらせ、僕にお茶を振る舞われた。

「あなたの曲を聴いていると、叙情豊かな風景が心に浮かんでくるわ。どんな感情と共にその風景を眺めていたかが伝わる。文学や絵画と同じように、音楽もまた物語を描き出す力があるということを改めて理解したわ。様々な技術を駆使して、一つの世界を表現しようとする点も同じ。

 曲を聞いている間、聴衆はあなたの創り上げた世界の中に招かれるのね」

 妃殿下は僕を褒めちぎった。

「あなたのように優れた才能のある方がアーノルドの友人でいてくれて、私も誇らしいわ」

「そ、それはさすがに買いかぶり過ぎです。畏れ多いことです。僕の方こそ、今でも殿下が友人の末席に置いてくださっていることに感謝します」

 『ご学友チーム』のメンバーでも疎遠になった者はいるし、僕たちよりも親しい友人が殿下にはいらっしゃる。醜聞があるからとあえて距離を取っていた僕に、それでも忌憚なく接して下さるのは本当に有り難い。

「殿下のような完璧な方の評判に傷をつけてしまうのではと恐縮するばかりです」

「そんなに畏まらないでちょうだい。彼だって、別に完璧というわけではないのよ」

「そうなんですか?」

「ええ。例えば、シャーロットが生まれる直前にも、私が次は女の子だと断言したら急に機嫌を損ねて」


『何てことだ。君は、俺の楽しみを一つ減らしたな!?』

『まあ。急にどうしたの、アーノルド』

『生まれてくるのは男の子か女の子かとわくわくし、男の子ならこの名前、女の子ならこの名前とリストアップしてあれこれ迷う、そういう時間はどっちかわからないからこそ味わえるものだというのに、ネタばらししたら半減じゃないか!』


「ええ…り、理不尽」

 殿下がそんなただの舞い上がった父親みたいなことを考えてるなんて、初めて知った。理性的で気高くて、かつ懐の広い御方だとばかり思っていたのに。

「でもね、私はアーノルドのそういう俗っぽいところも気に入っているの。

 私に想いを語る時は、ちょっと落ち着きなさいよと言いたくなるくらい詩人になるし、飽きない人よ」

 殿下をそんな風にあしらえるなんて、妃殿下はさすがだ。そういう方でなければ務まらないのだろう。ただ、今のエピソードでは殿下に対してはちょっとデリカシーが足りない気がするけど。


「……」

「ティモシー卿、どうなさったの?」

「いえ、緊張が解けてしまったのか少し気が散ってしまったようです。妃殿下の御前ですみません」

 妃殿下たちの微笑ましい話題は、少し僕の胸を疼かせた。僕とビビアンの間にいた命は、男の子とも女の子とも決まらないうちにいなくなってしまった。いいニュースではないから、わざわざ話してなどいない。だから妃殿下の話題選びに非はない。こっちが勝手に傷ついてるだけだ。

「そう。引き止めてしまったわね」

 妃殿下が合図をすると、侍従が平箱を捧げて進み出てきた。

「素敵なコンサートのお礼に、こちらをお贈りするわ」

 テーブルに置かれた平箱には、数点のアクセサリーが濃紺のクッションの上に鎮座していた。

「こちらはフィニーク産の特殊な真珠を使ったもので、バロックパールと言うの。完璧な球形ではなくて、少し面白い形をしているでしょう?」

 妃殿下は、マッシュルームのような形の真珠と金を組み合わせたカフスボタンを示した。隣には、しずく型の真珠に銀を細く絡めたイヤリングや、卵型の真珠に霰のように小さな粒をあしらった指輪、ネックレスなどが並ぶ。いずれもその真珠の不思議な形を活かした意匠で、繊細な職人技が伺えた。

「…これも真珠なのですか?」

「ええ。貝が真珠を形成する時に、核となるものの形によってはこのようなものが生まれるわ。フィニークでは海の貝から真珠を採るけれど、我が国でも淡水生の貝からこういった真珠が採れるはずよ」


 フィニークは、海を超えた西方の大陸沿岸にある連邦国家だ。海洋資源が豊富で、このような真珠や珊瑚を産出しそれらを加工したアクセサリーを多く輸出している。

 そこへはかつてアーノルド殿下が遊学先として滞在し、以来親交を深めている。目の前の品もその一環として先方から贈られたものだろう。


「真珠と言えば真ん丸なものだと思っていましたが、完璧でなくてもアクセサリーとして価値が出るものなのですね」

「何を完璧と定義するか、何に価値を見出すかは、その人次第よ」

 妃殿下はにっこりと微笑んだ。

「こちらのカフスボタンはあなたに、ネックレスやイヤリングはあなたの大切な人にね」

 よりによって真珠か。真珠は、貝の体内でゆっくりと形成される。それは母親が胎内で赤ん坊を育てる様を連想させる。これをビビアンに渡すのは、さすがに酷じゃないだろうか。

 しかし相手は妃殿下だ。断ったら角が立つ。

「…大変有り難いことではありますが、妻は真珠が肌に合わない体質でして」

「まあ! それは失礼したわ」

 妃殿下は立ち上がり、飾り棚に並んでいた箱を一つ取って戻ってきた。

「では、こちらはいかがかしら?」

 それは、繊細な彫刻が施されたカメオのブローチだった。中央には透かし彫りの波に囲まれた海の精霊の横顔が浮き上がり、台座は淡青色の宝石で彩られていた。これもフィニーク産なのだろう。

 二度は断れず、カフスボタンとブローチを賜って僕は妃殿下の間を辞した。


* * *


 帰りの馬車の中で僕は、今日の首尾をビビアンにどう報告しようかと頭を悩ませた。

 彼女は、王宮からの呼び出しを聞いても、自身と比較するようなことは何も言わなかった。今朝も、「粗相しないよう、しっかりやんなさいよ!」と明るく送り出してくれた。でも、内心はどうなのかわからない。僕から尋ねることでかえって意識させるのではと思うと、おいそれと聞くのも難しい気がする。

 話題は全て話す必要はない。ブローチだけを見せよう。


 門の前で馬車を降りると、雪がまばらに舞い始めていた。小さな前庭を抜けて玄関へ近づくと、たどたどしいピアノの音が聞こえてきた。

 結婚してからは、戯れにたまにビビアンにピアノを教えていた。彼女は楽譜は読めるようだが、鍵盤を一本指で順番に叩くくらいしかできなかった。

 留守の間に練習していたのか、今日はなんとか片手で主旋律を追えている様子だ。三つ四つ音符を弾いてはすぐ躓く。つっかえながらも何とか一小節通し、また最初から。さっきよりはマシだが別のところで躓いてもう一度最初から。


 不器用に、でも諦めずにやり直そうとする様子は、まるで彼女の人生そのもののように思えた。


 僕は耳をすまして立ち尽くした。

 躓いてばかりの歪んだメロディーなのに、今まで聴いたどんな曲より僕の心を揺さぶった。


 彼女を愛している。

 欲張りで気まぐれで馬鹿正直で、でも諦めないひたむきさも持つ彼女を愛している。


 そのままの彼女で十分なんだ。

 ずっと二人で、ぴったりと寄り添って歩いていければいいじゃないか。


 妃殿下の仰るとおりだ。

 何が完璧なのかは、僕たちが決めればいい。

 足りない何かをいつまでも探し求めることはない。


 滲みかけた視界を手の甲でこすって正し、僕は玄関のドアに手をかけた。

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