第五章 麗人

劇作家

「やっと決まったか! 随分待たされたな」

 僕は朝食の席で開けた手紙に、思わず声を上げた。

 次回作の楽曲を担当してくれと頼まれていた劇場から、その次回作を書く劇作家が決まったと連絡があったのだ。今日の昼、顔合わせと契約のために事務所に来て欲しいそうだ。

「良かったね。何カ月も『まだかー』って言ってたもんね」

 ビビアンは自分の皿を片付け、僕のカップにお茶を注いだ。パットンさんは住み込みから通いに切り替えてもらっていて、朝の支度は二人でやっている。

「全くだよ」

「じゃあ、あたし先に出るね」

 ビビアンはコートを手にすると、僕の頬にキスして玄関へ向かった。彼女は少し前から政庁の臨時職員として働き始めた。家にこもっているよりは働きたいと、経験のある事務員の仕事を探してきた。学園を卒業したのだから政庁では優先的に採用してもらえる。

 僕は大抵は昼までは家で仕事をし、昼食を取りがてら外の仕事に出る。パブやホールでの演奏の仕事もあれば、それらの準備や打ち合わせもある。夕食も外で取ることが多いので、基本的には朝食がコミュニケーションの時間だ。

 僕も立ち上がり、玄関まで出て彼女を見送る。彼女は笑顔で手を振って門を出て行った。


 彼女は大分元気になった。うなされたり沈んだりということもほとんどなくなり、僕たちは概ね仲良く暮らしている。暖かい季節になったら、ハネムーンの代わりに旅行に行ってみるのもいいかもしれない。そのうち頃合いを見て提案してみよう。


* * *


 ハリー&カニンガム劇場は、市民にそこそこ人気の劇場として知られている。事務所のドアをノックして中へ入ると、プロデューサーのカニンガム氏がデスクから立って僕を迎えた。勧められたソファの一つには、先客が既に座っていた。

 ぼさぼさの麦藁色の髪をして小洒落た服を着た若者が、不遜そうに煙草をふかしていた。唇は大きく薄く、皮肉めいた笑みを漂わせている。つるりと滑らかな頬は少年のようで、妙に違和感のある佇まいだ。

「彼が、脚本を担当してくれる劇作家のシェレトワ氏だ。シェレトワ、こちらは音楽担当のダルトン氏」

 カニンガム氏の紹介に応じて、若者は立ち上がった。煙草のせいかややハスキーだが、やはり少年のような声で挨拶した。


「ノエル・シェレトワだ。――よろしく」

「ティモシー・ダルトンだ」


 僕たちはよそよそしく握手し、それぞれのソファに腰を下ろした。

 少し観察して、違和感は更に強まった。

 『彼』だって?

 カニンガム氏は気づいているのだろうか。ノエル・シェレトワは――女だ。女が男装している。

 男と女は骨格が違う。

 骨格が違えば関節の動きも違う。男の肩、肘、膝、つま先は外に開き、女は内に閉じる。その違いをふまえ、どう体を動かせば女の子らしく見えるのかを僕はよく知っている。それは逆に、男らしい動きも理解しているということだ。

 シェレトワは、挙動はあえて男っぽく演じていたが、服装に隠された骨格が男にしては小ぶりで丸みを感じさせた。首には洒落たスカーフを巻いているが、喉仏がないことを隠すためじゃないかと勘ぐってしまう。

 だがまあ、何でわざわざ男装してるかは本人の事情だ。カニンガム氏が「彼」だと言うなら、そう扱おう。


「今回君たちに作り上げてもらいたいのは、市民の若者たちがこぞって夢中になるような娯楽性あふれる舞台だ。ぜひフレッシュな感性を存分に発揮してほしい」

 カニンガム氏が熱弁を振るう。

 そうは言っても感性だけでは作品は作れない。ノエルの実力はと聞くと、隣国で大所帯の劇団に所属し、いくつか舞台脚本を手掛けていたという。瀟洒で皮肉の効いた台詞や、巧みに仕込まれた伏線で一気に結末になだれ込む展開が持ち味だそうだ。なかなか技巧派だ。

 作品の方向性については、カニンガム氏が注文をつけた。

「今あるアイデアは、とある女の子がお城を覗きに行き、関わったキャラクター達を翻弄するドタバタコメディだ」

「ありがちすぎませんか?」

「掴みはシンプルな方がいいんだ。人に説明しやすく、つまり口コミに乗せやすい。演出でいくらでも凡百の舞台と差をつけられる。この作品では、芝居、歌、ダンスを多数入れて盛り上げたい」

 それは僕の仕事も大分多そうだ。脚本が決まれば振付師も手配するだろうし、俳優に歌手にダンサーにと出演者のスキルも幅広くなる。金のかかった舞台になるな。失敗できない、やりがいのある仕事だ。

 ノエルも同様に感じているのか、氏の説明を目を輝かせて聞いていた。


* * *


 ノエルのような人間に出会うと、女は羨ましいと思ってしまう。

 あいつはまるで、もし少年の僕がそのまま一回り大きくなったらきっとこうだろうと思うような姿だった。…僕はもっと髪を整えるだろうし、仕草も上品にするけれど。

 男はいつまでも少年のままでいられないが、女はいつまでも少年を演じていることができる。

 そしてまた、男は少年でいる間しか少女になれないが、女はいつでも少女にも少年にもなれる。羨ましいことだ。

 僕がかつて少女を演じていたのは、ビビアンと秘密を共有することで誰よりも近しい存在になるためだった。実際にそういう関係になっている今は、もうそんなことをする必要はない。

 けれど、ビビアンは少女の僕が好きだったし、男になった僕は拒まれている。せめて少年のままだったらまだましだろうか。いや、男の部分がある限り結局は拒まれるだろう…


「何してんの? そんなに鏡を睨んで」


 ビビアンが、衣装部屋クローゼットでぼんやりしている僕に声をかけた。夕食ができたと呼びに来たようだ。

「何でもないよ」

「そう」

 彼女は中へ入ってきて僕の隣に立ち、姿見に一緒に映り込んだ。

 僕は同年代の中では細身で小柄な方だけど、彼女のすらりとした女性らしいラインに比べると、やはりどこか不格好に感じた。

「どうしたの?」

「うーん…僕、何かむさ苦しくないかな」

「ええ? 何言ってんの?」

「いや…この髯とかさ、剃ったらどうかと思って」

「えー? 貫禄が必要だからって伸ばしてたんじゃないの?」

 彼女は呆れたように言った。僕の髯は揉み上げこそ育ってはいるものの、あとは頬骨から下半分をうっすらと覆っている程度で、同世代ならよくある生やし方だ。そしてその「うっすら」が、貫禄と言うよりも若い男の雄っぽさを醸し出す。

「まあそうだけど。でも髯なんかない方が、君も気に入るんじゃないの」

「何よ急に。あんたがしたくてしてるんだから、あたしはどっちでもいいわよ」

 彼女は笑い、両手で僕の顔を挟んで覗き込んだ。

「わざわざ剃ったりしなくても、この下には元美少年の顔が隠れてるってあたしわかってるよ? 美少年どころか絶世の美少女だったんだもん、どれだけ綺麗か明らかでしょ」

 その台詞に僕も思わず微笑む。

「大体、髯くらいで怯んでたらこの先どうすんの。ハゲたりシミが浮いたりしわしわになったり、そんなになってもティモシーはティモシーだから、あたしの愛は変わらないわよ?」

「…ありがとう。下らないことで悩んでごめん」

 僕は彼女を腕の中に入れた。

「ついては、あんたもそうしてよ?」

「ああ、勿論だ。君がお婆ちゃんになっても、蛙みたいに太っても、僕をすっかり忘れてしまっても、きっと愛し続けるよ」

「よろしい」

 彼女はおどけて言うと、つと首元に唇を寄せた。


「後ね、…今日は大丈夫な気がする」

「わかった」


 彼女は時折り、後遺症が遠のいたと感じた時にこうして、添い寝以上のことにチャレンジしようと持ちかけてくる。彼女の回復のために勿論協力するが、いつもあと一歩のところで失敗していた。

「じゃあ、今夜」

 僕は彼女のまぶたにキスすると、手を繋いで部屋を出た。


* * *


 彼女は、短く鋭い悲鳴を上げた。

 僕が急いで体を離すと、彼女は脇を向いて小さく丸まった。

「…ビビアン」

 そっと呼びかけると、僕の存在に気づいて振り向き、両腕を広げた。僕に抱き起こされ、肩の上でゆっくりと呼吸を整えている。

「ごめんね」

「いいんだ」

「辛いでしょ」

「…君に比べればこれくらい」

「ねえ…あのね」

「うん」

「もしも辛いようなら…娼館とかに行ってもいいのよ」


 信じられないような台詞が、僕の耳に飛び込んだ。


「何を…馬鹿なことを」

「真面目な話よ」

「本気!? よくも平然とそんな話ができるね」

「だって、今のあたしはあんたの役に立てないから」

「僕はっ…君を愛してるんだ。まるでただのはけ口にしてるみたいな言い方しないでよ!」

「…ごめんなさい」

「君の口から、他の女を抱いてこいと言われるなんて…ショックだよ」

「……」

 自分の寝室に戻ろうとすると、彼女が引き止めた。

「添い寝はお願いできない? …その、まだ寒いし?」


 僕はため息をつくと、無言でベッドに引き返した。

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