不本意な提案

 凱旋公演から戻った日、ビビアンはとても機嫌が好かった。

 パットンさんの出番もないくらい何かとこまめに僕の世話を焼きたがり、パットンさんが帰った後は膝に乗らんばかりにして甘えてきた。ちょっとはしゃぎすぎかと思うほどだ。

 でも久し振りに顔を見る彼女は、僕にとっても可愛らしくて仕方がない。彼女の期待感は僕にも伝わった。今日こそはきっと大丈夫だろう。お互いにそう信じた。


 その夜の彼女は、一年前の熱さを取り戻したかのようだった。

 でも僕が男であることを必要以上に意識してしまったら、彼女はまたパニックになる。

 いつスイッチが入るかわからない。大事を取って、僕は彼女から離れた。

 なだめるようにキスすると彼女の両腕が伸びてきて、僕の頭を抱き寄せた。

「ごめん…ごめんね。今日こそいけるって思ったのに」

「大丈夫だよ。前進はしてるだろ」

 二人して苦笑いする。彼女の苦笑いは泣き笑いになり、やがて笑いの方が引っ込んだ。


「あたし、もうティモシーとは抱き合えないのかなあ…?」


 諦めないでとも諦めようとも、僕からは言えなかった。

 それに、いつか彼女の傷が癒えたとしても、まだ問題があった。

 男を拒絶しなくなったとしても、男では満足できない。それが彼女の本性だ。僕たちが男と女のカップルである限り、解決しない問題だ。


「魂を愛してるって言ってくれたろ」

「うん」

「それで満足するよ」

 また彼女の大きな目に涙が溢れた。

「…あのね、やっぱりどうしても辛いときがあったら…」

「嫌だ」

「外で女を」

「しないってば」

「聞いて、ティモシー。どうしても仕方なくとか、何かのはずみでとか、そういうことはあり得ると思うの。あの高潔そうだった先代伯爵様だって庶子がいたのよ。あたし、それを知った時、もうそういうもんなんだと理解したわ。

 だから、あんたが絶対そんな意志がないのはわかってるし信じてるけど、…それでもそういうことが起きたら、あたしは受け入れる」

「……」

「あたしにとってもっと大事なことはね、もしそうやってて子どもが生まれた場合には、絶対に隠さないで連れてきて、ってこと」

「……?」

「あたし、絶対しっかり面倒見る。負い目なんか感じさせない。もしあたしに子どもがいても分け隔てなくするし、それに…あたしじゃ産めないかもしれないから…」

「ビビアン」

「あたし、ティモシーが好きで…救ってもらったのに、夫婦らしいことしてあげれなくて…ただあんたの人生を奪ってる」

「ビビアン、それは違う」

「…だから、あたしの代わりにあんたを満たしてくれる人がいたら、それは有り難いことよ。…そう思うべきなのよ」

「ビビアン! 『べき』って、君自身納得してないじゃないか。そんな話、受けれるわけがない」

 彼女は、すんすんと鼻をすすった。

「…まあ、庶子の扱いを気にするのは君らしいと言えば言えるけど…」

「ね、考えてみて」

「どうせ可能性はゼロだけどね…」

 よほど気にしてるのか、少ししつこい。でもここで腹を立てるのもつまらない。いっそ冗談にして受け流そうか。

 旅の疲れと色々で急速に眠気がさす中、何か目を白黒させてやるような冗談はないかと探した。


「…僕よりも、君の方が外で女を作りたいんじゃないの?」

「ティ…」

「僕じゃ満足できないんだろう? 魂は愛されてるんだから譲歩するよ」

「……」

「でも僕は連れてこいとは言わない。嫉妬深いからね」


 話してるうちに眠くて朦朧としてきた。


「決して僕に気づかれてはいけないよ…どんな腹黒な復讐を考えるか…わかったもんじゃ…」


 そして意識は落ちていった。

 彼女が納得したかどうかはわからなかった。


* * *


 気づくと日暮れが早くなり、色づいた木の葉がしきりに舞う頃、僕は数箇所目の地方公演を終えて王都へ帰ってきた。去年の今頃はまだミモザ・コテージへ足を向けていたと思うと、感慨深い。


 地方公演の旅程は大抵一週間、長くても半月以内に留めていた。地方から地方への巡業もせずに毎回王都へ戻っていたので、少し効率が悪い。王都では溜まった手紙を捌いたり新しいオファーの調整や楽団の手配をし、そしてまた地方へ行く。そろそろマネージャーがほしいところだ。


 いちいち王都に戻るのは、あまり家を空けたくないからだ。

 ビビアンの都合がつくなら一緒に連れていければいいが、馬車の移動はやはり辛いものがある。街道はかなり整備されてはいるが、それでも振動が彼女の腰に響くだろう。

 ハネムーンも諸事情で取りやめていたのに、僕だけ旅で飛び回ってて申し訳ない。せめてとばかり、いつも目的地に着くとすぐに何かを買って送った。

 また、その地の風景や人々の様子を観察し、フレーズの断片を書き起こしたりもした。昔国内各地を回って特徴的な曲を集めていたので、それが下地となってより深く理解でき、自分らしい解釈を加えていく。王都に戻る頃には一つの曲としてまとまり、土産話の代わりにビビアンに弾いて聴かせてやるのが恒例になりつつあった。


「そのうち、ご当地イメージ曲集ができそうね」

 ビビアンが笑って言った。

「いいね、いっそ全部の地方のを作って組曲にしよう。そしたらこの国の風土を表現できる。『緑豊王国ガレンドール組曲』だ! そうだ、殿下の即位式で使ってもらおう」

「すごい野望! でもまだ何十箇所も回んなきゃいけないわよ」

「ライフワークになっちゃうな」

「ついでに全国各地に現地妻でも作れば、励みになるんじゃない?」

「……」

「……」

 一気に空気が気まずくなった。


「…ごめん、今のナシ! 忘れて!」


 ビビアンは慌てて両手を振り、夕食の支度をしてるパットンさんを手伝いに行った。

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