薄氷の上の安泰

 公演は当たった。大当たりだった。

 ノエルが用意した斬新な結末に、観客はこぞって夢中になった。


 芝居の終盤、お城を出て行こうとするヒロインを彼女に惚れた四人が追いすがり、一緒に行きたいと懇願する。ヒロインは、一人だけなら連れていけるけど誰にしようか迷う。

 ここでヒロインは、誰を選んだらいいか客席に向かって問いかける。四人を一人ずつ呼ぶので、くっつけたい相手が立ち上がったら客は配られたリボンを振り上げる。一番リボンを振られた者をヒロインは選ぶのだ。


 その日の客によって、誰が選ばれるかは僅差で変わったりする。選んだ相手によって結末の台詞も曲も変わるので、それぞれのパターンを見たくて何度も通う客もたくさんいた。

 妃殿下が語られた「まあ、マルチエンディングね。その発想はなかったわ」という台詞がかわら版の見出しになり、流行語になった。殿下は「芝居と音楽とダンスが渾然一体となり、鑑賞中は別世界を訪れているようだった。天上の主も脱帽するほど素晴らしい。若手の新しい発想が文化を発展させてくれることを期待する」とコメントした。

 制作陣や批評家の中には王族がお城を捨てるストーリーを心配する者もいたけれど、お二人の好意的なコメントで風向きは完全にこちらのものになった。


 初日を終えた後、僕は楽屋で皆とありあわせのシェリーで乾杯して解散した。帰宅すると、先に帰したビビアンが起きて待っていてくれた。

「お疲れさま。大成功だったね!」

「ありがとう。君の感想は?」

「うーん…基本面白かったけど、昔を思い出してちょっと苦笑いかな。でも最後にお城を出て行ったのはよかったわ」

「そう。ちなみに最後は誰を選んだの?」

「え? そりゃあ…やっぱり…衛兵の一択よねえ…?」

 もじもじしながら答えた彼女に僕はキスした。

「僕もそう思う」

「だってさ、あたし…じゃない、ヒロインのわがままに付き合ってさ、代わりにドレスまで着てくれるなんて、…愛を感じるわ」

「そうだよ。愛以外ないよ」

「あ、でも、ちょっとは衛兵くんの趣味もあったんじゃない?」

「そうかなあ!? 別の人と混同してない?」

 彼女は明るく笑ってウィンクした。

「どっちにしたってあたしが選んだ相手は変わんないわ。さあ、もう休みましょ」

 彼女がランプを手にしたので、僕は居間の明かりを吹き消した。階段を上がる彼女を追うと、かすかなつぶやきが聞こえた。


「そうよ、もう選んだの」


* * *


 公演は週二回、不人気でなければ三カ月の予定だ。最初の一カ月を無事に終えたところで、カニンガム氏がディナーに関係者を招いた。

 ノエルや舞台監督、振付師などの制作陣や主演俳優たち、さらに任意にパートナーを同伴し十数名が出席していた。僕もビビアンを同伴した。


「君たちの奮闘のおかげで公演は大成功だ。感謝している」

 カニンガム氏はそう言って皆をねぎらった。

「あなたがティモシー卿のインスピレーションの源ですか。匂うような美しさを漂わせていらっしゃる」

 ビビアンの隣に着席した振付師が、彼女に賛辞を贈っている。それを聞いて僕の向かいの主演女優が微笑んだ。

「ほんと、美人だわ。どう、わたしイメージに合ってます?」

「ノエルの書くヒロインのイメージを体現できていれば十分ですよ。僕にとっては妻は唯一無二ですので」

「まあ、熱愛してらっしゃるのね」


 ノエルはビビアンの向かいで寡黙にしていた。カニンガム氏は彼に、秋と冬の公演も頼みたいと持ちかけた。

「できたらまたティモシー卿と組んでほしい。お互いに触発し合ってるようだから、今後もより良いものを生み出していけると見込んでいるよ。どうだろう、ティモシー卿」

「そうですね…考えてみます」

 僕は即答しかねた。

 去年から、地方コンサートのオファーをいくつか待たせている。秋も冬も王都に張り付くとなると、その話は完全に断らなければならない。だが王都でさらに人気を上げてから地方を回れば、一層期待は高まりそうだ。

 一方、ノエルはやや気まぐれだが総じて仕事ぶりに不満はない。カニンガム氏がうるさく注文を付けなかったらどんな芝居を書くのか、多少の興味はあった。


「何か書いてみたいお芝居はありますの?」

「王都の若者がターゲットなので、やはり恋の悩みなどがいいと思っています」

 カニンガム夫人が水を向け、ノエルが考え考え答える。

「いいね。俳優たちも息が合ってたし、彼らも引き継ごうか」

「カニンガムさん、本気にしちゃっていいのかしら!? わたし、今回はおしゃまな女の子の役だったから、次は妖艶な未亡人でも演ってみたいわ」

 ビビアンの皿が音を立てた。

 カニンガム氏は彼女を振り向かずに話を続け、皆を自分に注目させた。彼のデリカシーの高さは並ならぬ美徳だ。

「…その役は、若者の恋の相手には少しハードルが高いかもしれないね。ノエルにはもう少し爽やかな話をお願いするつもりだよ」

 彼は去年の結婚披露パーティーに招待していたので、僕たちの馴れ初めはある程度知っている。何なら、ビビアンがプレスコットから逃げ出してきて僕と落ち合ったのが彼の劇場の前だ。

 だが他の出席者達はそれほど事情を詳しく知らない。王都では僕たちのゴシップは主に貴族社会で流れていたし、市民が聞いたとしてもすぐに廃れるものなのだ。

 ノエルだって知らないだろうが、探るようにビビアンを見つめている。そのうち取材したいなんて言い出すんじゃないかと、僕は勝手に不安を覚えた。

「はあい。ノエル、わたしの魅力を引き出す脚本をぜひお願いね!」

 主演女優は、肩をすくめて話を収めた。


* * *


「で、今後のお仕事はどうするの?」

 眠る前にビビアンが聞いてきた。最近は彼女も添い寝なら平気になったので、ほぼ毎日一緒のベッドを使っている。

「断るよりは、受けた方がメリットはあるね」

「そう」

「何か気になる?」

「ううん。ティモシーの仕事だもの、あんたの意志で決めればいいよ。ただあたしは…同伴はちょっと遠慮したいかな」

 彼女は、ふうとため息をついた。

「あの子の発言を気にしてるの? 含みがあったわけじゃないと思うよ」

「そこはわかんないけど…でも色々人に会うとやっぱり気になって疲れちゃう」

「そうか。わかった」

「応援してるね」

「お休み」

「お休み」

 ゆっくりとした呼吸の気配を感じながら、僕も目を閉じた。


* * *


「珍しい人から手紙が届いたぞ」

 手紙の束からその名を認め、僕はいそいそと封を切った。ビビアンが、朝食の手を止めて反応した。

「誰?」

「ホイットニー氏だ」

「まあ、懐かしい」

 ホイットニー氏は、ビビアンの紹介で知り合った地方劇場の支配人で、去年僕のコンサートを開いて売り出してくれた恩人だ。

「今王都に出てきていて、舞台を観てくれたらしい」

 その舞台の出来栄え、特に楽曲を褒め称え、ぜひ彼の持つ劇場ヴァイオレット・ホールにも凱旋公演に来て欲しいと書かれていた。王都にいるうちに手紙をくれたということは、OKなら直接打ち合わせをしたいとの意図があるのだろう。

 問題なのは、ホールのある地は僕たちにとって曰く付き――旧プレスコット伯爵領だということだ。ビビアンがプレスコットと縁を切ってから、僕たちは極力話題に出さず、当然出向く気にもならなかった。そのため、大恩のあるホイットニー氏とも連絡を途絶えさせてしまっていた。年末に簡単な手紙で結婚の報告をしたのが最後だ。

「どうしたものかな…? もうカニンガム氏には秋冬公演を引き受ける返事をしてしまってる」

 今やってる公演では、音楽は有能な指揮者に任せている。曲の手直しも必要なさそうなので、作曲家がずっと付いていなくても何とかなりそうだ。しかしこの間に秋公演の準備を始めなければならない。ノエルも構想を練ってるはずだ。

「恩人だから不義理したくないな。秋公演が軌道に乗ったら、冬公演の準備が始まる前に行って来れるかな?」

 ビビアンを見ると、視線を落として無表情になっていた。

 彼女に降り掛かった忌まわしい出来事からは、まだ一年も経ってない。

「…やっぱり断るよ。彼なら来年までも待っててくれるだろう」

「だめよ! せっかく軌道に乗ってるんだから、勢いで突っ走んなきゃ。それに、ホイットニーさんには全然関係ないことなんだから、こんなことで儲けさせ損ねるのは忍びないわ」

 彼女は慌てて反論した。

「でも君が…」

「あたしは、留守番してれば大丈夫だから。どうせあたしだって仕事があるんだし。ねっ?」

「…すまない。せめて、今日彼に一緒に顔を見せに行くかい? 君にも会いたがってるよ」

「それは構わないわ」

 彼女の笑顔にホッとしていると、パットンさんが出勤の挨拶に来た。

「おはようございます。今しがた、奥様へのお届け物を受け取りましたよ」

「何かしら。心当たりないわ」

 ビビアンは、ダイニングの入口に立つパットンさんから木箱を受け取った。だが蓋を開けて中を覗いた途端、ふらふらとよろめいた。

「奥様!?」

「ビビアン!」

 二人がかりで彼女を支え、昏倒は免れた。

「だ…大丈夫…」

 そう言いながらも冷や汗がどっと噴き出ている。

 取り落した木箱からは、ギフト用に装飾されたドライフラワーが転がり出ていた。


 ミモザだった。


 彼女のかつての住まいに、象徴のように咲き乱れていた花。

 僕と彼女と他の者どもの愛憎や妄執が渦巻き、飲み込んでいったあのコテージの象徴。

 忌まわしい記憶がミイラとなって追いかけてきたかのように、ミモザはビビアンを襲った。


 一体誰がこんなことを。

 だが、差出人はあの地に全く縁もゆかりもなさそうな人物だった。


 ノエルだった。

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