露呈

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※ご注意

このエピソードには、性暴力を示唆する描写が含まれています。

苦手な方・辛くなる恐れのある方は、このエピソードの閲覧の中断などをご検討下さい。

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* * *


 厚いカーテンの隙間から、朝の光が細く入り込んでいた。

 部屋の空気はひやりとしていて、ベッドの中の暖かさとは落差があった。僕が身じろぎすると、彼女は少し目覚めかけ、また目を閉じた。僕は上掛けを引き上げて彼女の肩を覆ってやり、改めて寝顔をしみじみと見た。未亡人だなんて信じられないくらい、清らかな寝顔だった。

 最早、この寝顔を独り占めしたいとかどこかに隠しておきたいとか思うのもおこがましいことに感じた。


 ふと違和感を覚えて、枕の下を探った。

 どうやら指輪だ。

 取り出すと、黒い石がはまった見覚えのあるものが出てきた。


 オニキスの指輪。


 僕は、指輪と彼女の寝顔を交互に見た。脳裏にはキースの下卑た笑みも見えた。

 察した。

 察したくないが余地はなかった。

 なぜだ。いつからだ。

 あいつとできているんなら、どうしてあんなに僕にすがるんだ。


「ひっ…」


 鋭く息を飲む音が聞こえ、気づくと彼女が指輪を凝視していた。

 がばと跳ね起き、ベッドの足元側へ後じさる。

「は、あ…」

「ビビアン!?」

 彼女は、目を見開いたまま両手を食い込ませるように顔を覆い、叫んだ。

「あああああ!!」

「ビビアン!」

 情事の露呈よりも、指輪そのものに怯えているようだ。僕は指輪を手放し、かがみ込んだ彼女の肩を抱きしめた。

「あ…あ…」

 狼狽し、苦痛に顔を歪めている。これでは彼女を責められない。

「どうしたんだ、落ち着いて」

「何で…何であれがここに…」

「君が一番知ってるだろ」

 ビビアンははっとして僕を見た。今ようやく僕に知られたことに気づいたようだ。

「…まあ、昨日ベッドメイクしたメイドはクビにするんだね。二股の証拠を隠しそびれて、主に恥をかかせたんだから」

「おぞましいこと言わないで!」

 彼女はギロリと僕を睨んだ。

「寝てたのは事実なんだろ? 僕の後釜なのか同時進行なのか知らないけど」

「ふざけないで」

「ふざけてるのは君だ。わからないよ、ビビアン。そもそも、何で奴に」


 胸の中を、得体の知れない感情がぐるぐると渦巻いた。

 ビビアンは、ふしだらな未亡人と言われながらも、実際に深い付き合いをしてるのは僕だけだった。彼女自身がそう言ったはずだった。

 先代伯爵を除けば、今や僕だけが彼女のを知ることを許されていると、そう信じていたのに。

 あり得ない。

 彼女の、包み隠さぬ素のままの姿を、子犬のようなたまらない愛らしさを、あいつも全部見たというのか。

 彼女を――というより、彼女と僕との時間をけがされたような気がする。

 事実を隠されていたことが苦しい。

 他の男にも身を許してたことが悔しい。

 許せない。

 けれど許さないと言う権利もない。僕は彼女に愛人として囲われてる立場だ。彼女が愛人を増やしたいと思ったら止められない。許可も報告も要らない。事情を聞きたくても、拒まれたらそれ以上文句を言えない。貴族の愛人とはそういう存在だ。


 彼女はしばし沈黙した後、上掛けを握りしめて言った。

「……話すわ」

 そこで僕は指輪を取ってベッドから降りた。奥の衝立を回り、便壺にそいつを叩き込んでそのまま用を足した。ベッドからはビビアンの大きなため息が聞こえた。思わず皮肉な笑みが漏れる。

 戻って二人のローブを拾い、彼女に掛けてやり自分も袖を通すと、再びベッドに乗った。長話に備えて枕を背に当てる。とんだピロートークだ。


「あたしが悪いの。キースに秘密を知られたから」

 彼女は話し始めた。


 先代伯爵が存命の頃、彼はビビアンに指一本触れようとしなかった。

 その辺の経緯はこの半年の間にも聞いてはいた。ビビアンが伯爵のかつて最愛だった女性に瓜二つだとかで、恐れ多くて手が出せなかったということらしい。再婚は子作り目的だったけどダメ元だったし、それはもう諦めて老い先短い時間を最愛の女性と過ごしたい、と願ったのだそうだ。

 でもビビアンの方は若さを持て余しているところがあって、ついメイドに手を出してしまった――というのが本日の追加情報だ。


「メイド? じゃあ別に宗旨変えなんかしてなかったってわけだ」

「……」

 何重にも裏切られてた気分だ。僕はあくまでも彼女の世界の一部分でしかないと突きつけられたようで悲しい。

 僕を見る眼差しに嘘があるとは思えなかった。…いや、今はそれどころじゃない。キースの話だ。

「キースは、旦那様が亡くなられる少し前に現れたの」


 キースもまた、父親を知らずに母子家庭として育った。母親は教会の運営する救貧院で働いていた。近年母親を亡くし、遺品から父親が先代伯爵であることを突き止めてやってきた。伯爵はキースが庶子であることを認めたが、どちらかと言えば冷淡な態度だったそうだ。だが他に直系がいないため、キースは後継者として屋敷に入った。


「その頃に、キースに知られたみたいなの。旦那様が亡くなった後、それをネタにゆすってきたわ」

「要求は?」

「あたしが受け継いだものを全部渡せと」


 彼女は当然拒んだ。だが秘密が明るみに出るわけにもいかない。譲歩を請うと、キースは舌なめずりするように言った。

『ならお前でもいい。手に入れば同じことだ』

 それは拒みきれなかった。


「何でだよ!?」

「キースが…少しばかり気の毒だと思ってしまって…」

「気の毒だあ!?」


 キースの境遇は彼女と似ていた。母親だけを頼りに生きてきたのに、実は死別したと信じていた父親が自分たちを放置して裕福に暮らしていたと知った時の衝撃は、彼女には克明に想像できた。ただ、彼女は未成年のうちに保護され和解もできたが、キースは苦労したまま大人になり、父親との和解も果たされなかった。その違いが、キースに闇を抱えさせていると彼女は感じた。


「だからって、だからってそんな奴に…!」

「どうせ男だもの、心までは渡すわけない。せいぜい同情よ」


 その台詞は、実際の口調よりも何倍も冷たく響き、またしても僕の胸をえぐった。


「それで…それで君は慈悲深くも、君を熱烈に求める男たちを公平に相手してやってたってわけか」

「違う! あいつにはそれっきり許してない。必ず人目のあるところで会って、代わりに再婚をちらつかせて気を持たせて、何とかしのいでた。シーズン中にタウンハウスに留め置かれたときも、部屋に鍵を掛けてたわ」

「じゃあ、何であれがここにある!?」

 僕は衝立の向こうを指差しながら、彼女に食ってかかった。

「……」

「ビビアン、何でだ」

 彼女はまた顔を歪めた。

「シーズンの後、キースがしびれを切らし始めて…その前からあんたのことで相当焦ってたから、最近来なくなったのを付け込まれて…」

「君が誘ったんじゃないのか」

「そんなわけない! でも、話だけじゃ限界だったからいっぺんは相手するしかなくて…」

 だがいっぺんでも許せばもはや我が物顔になる、キースはそういう類の男だった。

「馬鹿だな!!」

「…後悔してる。キースはすごく怖かった。まるで憎んでるみたいに扱われた。でもすごく執着されて、放してくれなくて…あいつ、壊れてるのかと思った」

「あいつ、もしや君の…」

 彼女は手を挙げて遮った。

「今は薬があるから、どうされても何とかなる。でもこのところしょっちゅう来るようになって、それが恐ろしくて。断っても、執事も伯爵相手じゃ抗えないし。

 あいつは夜のうちに立ち去るから、朝になるとほっとする。でもその夜もまた入って来るんじゃないかと思うと、朝になるのも恐ろしかった」


 僕は腕組みして彼女の独白を聞いた。組んだ腕を自分の手で強く掴んだ。そうしないと彼女を抱き寄せてしまいそうだった。


「やっとあんたが来てくれて、一晩だけは確実に怯えなくてすむと思ったのに…」

 彼女は自分の肩を抱いて小さくなった。目は『抱きしめてくれないの?』と訴えていた。

 でも僕は動かなかった。

 僕の胸にも大きなしこりができてしまった。どこから許せばいいかわからない。

 もとを辿れば彼女の自業自得と言えなくもないが、それで切り捨てるのは過酷だ。有罪なのは彼女だけじゃない。

「ビビアン、君はこの先どうする気?」

「……耐えるわ」


 ああ、その実直さが君を馬鹿にする。


「辛いなら逃げればいいんだ。誰か信頼する人を頼って、あいつの息がかからないところまで」

「…コテージは出られないわ。財団があるから」

「またそれか!」

 僕は両手を頭の脇で震わせると、嘆息してベッドから降りた。

「とにかく、…友人として忠告はした。あとは君が本気でどうしたいか決めないと」

「…ティモシーは? あたしが信じられるのはあんただけよ」

「買いかぶりだよ。僕はもともと、小狡い立ち回りしかできない卑怯者なんだ。愛人としてご奉仕させてもらうのがせいぜいだ。君の好みじゃなかったろうけど、尽くしたつもりだよ」

「ティモシー!」

 彼女は寝室から出ようとする僕を追いかけ、袖を掴んだ。

「誰にどうされようと、あたしのパートナーはあんたよ。…あんたを愛してる」

 この半年、愛してるとは何度も聞いた。僕も何度も言った。でも。


「今ほどその台詞を安っぽく感じたことはないよ」


 彼女の手は力なく離れた。見なくても顔色はわかる。

「もう発つ時間だ」

 僕は廊下への扉に手をかけた。

「…また来れる?」

 いい加減にしてくれ、と叫びたくなったが耐えた。

「そりゃあ来るかもしれないさ、玄関口で五分の滞在とかね。君が僕にとって大事な友人なのは変わらない。でもしばらく頭を冷やしたい」

 やっと扉を出ると、廊下には吹き抜けからたくさんの朝の光が射し込んでいた。背後では、まだ分厚いカーテンの闇が彼女を抱きかかえていた。

「どのみち、君を救うのは君自身だよ」

 表情も見えない彼女に告げ、僕は扉を閉めた。

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