逢瀬

 朝晩の空気も大分涼しくなり、秋本番という頃にやっと彼女のコテージを訪れる機会が来た。

 よその地方で公演した帰りに僕だけ楽団キャラバンの馬車を降り、ヴァイオレット・ホールに顔を出してからコテージへ向かった。

 ホールの支配人で僕の人気を作り出してくれた恩人のホイットニー氏が厚意で馬車を出してくれたが、僕はだいぶ手前で馬車を帰してそこからぶらぶら歩くことにした。あまりに久々なので心の準備をしたかったからだ。


 彼女には手紙が一、二日前に届いているはずだが、それでもどんな雰囲気で待っているのかわからなかった。王都で最後に会った時はほぼ別れ話だったし、もう切り替えてよそよそしくされてしまったらと想像すると、少し怖かった。


 伯爵邸の前に差しかかると、敷地内で犬を連れて散歩しているキース卿に出会った。彼は僕の姿を認めると、厳しい顔で待ち構えた。

 今までなら素通りしてやるところだが、つい圧に負けて渋々挨拶した。

「…こんにちは、伯爵」

「まだコテージの彼女と切れてなかったのか。御父上にご忠告をお願いしたが、君の耳には届かなかったと見える」

「僕の耳は美しい音楽を優先的に聞くようにしてるんでね。失礼」

 通り過ぎようとする僕に、キース卿は意味ありげに片頬を歪めてみせ、背を向けて散歩を再開した。その姿や景色が急に遠ざかり、日が暮れてしまったように感じる。


 ビビアン……いや、まさか。


 僕が彼女の愛人だということは界隈で既に有名だったけれど、それ以外のゴシップが打ち消されたというわけではなかった。他のゴシップも本当にしてしまおうと考えるほど、彼女がやけくそになってるとは思いたくない。あんなにキース卿を嫌っていたのに。

 動悸を鎮めながらコテージの門を抜け、扉のノッカーを引く。いつもの執事が出迎え、サロンへ通された。新顔の使用人が僕の荷物を預かっていく。


「ティモシー!!」


 サロンの扉を開けた途端、彼女が胸に飛び込んできた。その瞬間、いかに長く離れていたかを実感する。実感の深さは、彼女を抱きしめる腕の強さに反映された。

「ビビアン、元気にしてた?」

「もう、さみしくてしんどくて、死にそうだった!」

 そうかそうかと彼女の頭を撫でる。ひょいと見上げてくるその顔つきがたまらない。でも使用人がいるからこれ以上はいちゃつけない。大体、今後を考えたらいちゃつきすぎてはいけない。僕は彼女を自分の胸から剥がし、頬にキスして一歩下がると後ろ手で見つめた。

「…お茶にしましょう。よそでの成果を聞かせて」

 彼女も同じことに思い至ったようで、トーンを下げて奥のソファへ向かった。


 会えずにいた時間を埋めるように、お茶でも夕食でも僕たちは話を弾ませ続けた。近況報告から下らないことまで、オチのある話もない話も、打てば響くように合いの手を互いに入れ、笑い合った。

 胸の中がじわじわと暖まる。こういう時間が持てるだけでいいじゃないか。愛人なんて閨事前提の付き合いをしなくても、それは実現できるはずだ。


 サロンのピアノは手入れされており、夕食後にさっきの新顔の使用人が楽譜を携えてやってきた。

「ピアノが弾ける使用人を雇ったの。楽譜も買い揃えたし、これでいつでもティモシーの曲を聴けるわ」

「光栄だね」

 ちょっと裕福な市民の間でも楽器を嗜む趣味は広まっており、教本となる楽譜集もニーズがあった。僕も出版社のオファーを受けて練習向きの小品集を出していた。

「それだけじゃなくて、もっといいことがあるのよ」

「へえ」

「伴奏から解放されたあんたとダンスができるわ!」


 言うが早いか、ビビアンは僕の手を取って中央へ引っ張り出し、リードを要求した。伯爵夫人を数年務めた彼女は、ワルツも見事に踊れるようになっていた。添える手の位置も目線も申し分ない。

 口調は蓮っ葉なまんまだけど、田舎娘は淑女に成長した。六年の間に、どこでどんな経験をしてきたのか。ああ、彼女が開花する様を隣で見ていたかった。パートナーを演じるには、もう遅すぎる。


「なあに?」

「いや、上達したなと思ってさ。君にダンスを手ほどきしてた頃は、何度向こう脛を蹴られたことか」

「ふーん、お望みならマズルカに切り替えてもいいのよ?」


 彼女が合図すると拍子が変わり、同時にぐんと大きなステップに突き合わされた。

「うわ、狭っ、あぶな…」

 すぐに家具にぶつかりそうになり、僕は慌てて彼女を抱きすくめて立ち止まった。彼女の背が僕の胸にもたれかかってくる。

 彼女は、演奏を止めて様子をうかがう使用人に礼を言って下がらせた。


二階うえで休もっか」


 使用人たちも休ませる時間だ。僕たちは階段を上がり、彼女は自室へ、僕はゲストルームへ引き上げた。


* * *


 ノックとともに彼女の部屋へ入る。彼女は髪を下ろしてドレッサーの前に座っていた。僕はキャンドルを持ったままドアに軽く背を預けた。僕がすぐにそばに行かないので、彼女は不思議そうに振り返った。

「…明日はいつ発つの?」

「朝のうちに」

「そう。…次は、いつ来れそう?」

「ひと月…いや、もう少し先かな」

 彼女は立ち上がり、歩み寄ってきた。僕もキャンドルを脇の棚に置き、彼女を受け止めに行く。

「それと…次は、友人として来ると思う」


 わずかに眉をひそめて彼女は僕を見上げた。その額にキスをする。

 彼女が納得しててもしてなくても、僕は予定を変えないつもりだ。


「――そっか、わかった!」

 彼女は額で僕の鼻先をこんと叩くと、一転して明るく言った。でも眉根が絞られっぱなしで、カラ元気なのが明らかだ。

「あたし、この半年とっても楽しかった。たった半年だけど、すごく大事な時間だった。この思い出があったらこの先しばらくはやってけるよ」

 健気すぎてこっちが泣けてきそうだ。僕はただ黙って彼女の髪を撫でた。

「どうせ明日っからはまた不良未亡人に返り咲くんだろうけど、ティモシー、あんたのことは忘れない」

 彼女は僕を優しく抱きしめた。

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