シーズンの終わり
* * *
パークでのデート以降は、顔を合わせる機会は意外となかった。デートはおろか、エスコートのお呼びもかからなかった。
彼女の実業界との付き合いには連れは必須ではないし、必要な時はキース卿が口を出すか自分が付いていってるらしかった。うっとうしい男だ。彼も独身なんだからこんなことに構ってないで、さっさと自分がエスコートすべき相手を見つけないと先代の二の舞だろうに。
僕はと言えば貴族のサロンや夜会に出ずっぱりなものの、エスコート相手にビビアンを選ばないよう父上にまで釘を差された。その上、不運にも同じ夜会に彼女がいることはなかった。
仕事では、一度大きな晴れ舞台が巡ってきた。
貴族にも市民にも人気のある音楽家を集めてそれぞれの曲を披露するショーケースのようなコンサートに、僕も名を連ねることができたのだ。
僕は、ビビアンのコテージで初演奏した曲とヒットした交響曲を繋げて聴衆に披露した。コテージでの曲はシーズン前についに完成しており、ピアノやチェロのパートを増やして厚みのある曲になっていた。
このコンサートには、ビビアンもキース卿を伴って聴きに来ていた。彼女にこそ聴いてほしかったから本望だ。彼女は、曲が形になる前からこの音楽が描き出す情景の中にいた。だから誰よりも伝わると僕は確信してる。コテージでこっそりと涙を拭ったのを見た時から確信してる。
演奏が終わり彼女がハンカチで顔を覆って俯いているのを遠目に確認して、僕は満足した。
コンサートの批評がかわら版や雑誌に載ると、僕へのオファーは更に増えた。特に雑誌に載ったことで、国内各地からも声がかかった。おかげでうまく稼げば向こう一年は安泰に思えた。
ただそうなると、もう彼女の地元に居着いてコテージに入り浸ることはできない。
そもそも「コテージに入り浸る」という状況自体、いつまでもそのままでいいはずがない。
シーズンの終わりは、他の何かも終わらせることになるかもしれない。
* * *
そろそろ地方へ帰り始める貴族が出てくる頃、ビビアンが僕の部屋を訪ねた。コンサート以来だ。
数歩も中へ入らないうちに僕は飛んでいって彼女を抱きしめ、何度かキスした後ようやく長ソファに座らせた。僕も隣に腰掛け、肩を抱いて手を取る。
「それで、今日はどうしたの」
「本題は今終わったわ」
「奇遇だね。僕もだよ」
しれっと答えたら肩でどつかれた。二人でくすくす笑う。
笑いが収まると、彼女は黙って寄りかかったまま僕の手を挟んで撫でている。本当にただ会いに来たっぽいな。僕は思い切って、今まであえて聞かずにいた気がかりなことを質問した。
「ねえ、ビビアン」
「うん」
「君は、『先代伯爵未亡人』をいつまでやる気なの」
「ずっとよ」
彼女の答えは意外だった。そろそろケリをつけたいと外堀を周り始めた途端につまずいた気分だ。
「…再婚を考えたことはない?」
「……」
「せめて、コテージを出ようとは思わない?」
「出れないわ」
「なぜ?」
彼女は左手を上げ、結婚指輪を見つめた。
「旦那様の遺言なの。あたしがあのコテージを出て伯爵家との関わりをなくしたら、あたしはもう財団にも関わることができなくなるわ」
「財団のために一生未亡人でいる気?」
彼女はこくんとうなずいた。
「あの財団は、あたしの発案で旦那様にお願いして作っていただいたものなの。――あたしみたいに、生まれのせいで不当に不遇な思いをする子どもが少しでも減るように、って願ってね」
ビビアンは、そういう子どもの一人すなわち貴族の庶子だった。ずっと貧しい母子家庭として育ってきたために、「本来得られたはずのものが得られなかった」という思いが強い。
「かと言って、お金や豪華な暮らしをポンポン与えるわけにいかない。いい家に生まれたことで得られるものは、そんな形じゃないもの――教育やチャンスよ。
お金も時間も選択肢もいっぱいあって、自分の可能性を色々試すことができる。恵まれていなかったら、せっかく可能性があっても色々どころかその一つさえ試せないでしょ。そういうのを救うための財団なの」
彼女の思想は素晴らしい。
恵まれた家に生まれたおかげで、王侯貴族御用達の学園に通っておきながら官僚になるわけでもなく、最後の一年を棒に振って音楽家になった僕には耳が痛いかな。
「旦那様も古い世代だからどこまでわかって下さったかわかんないけど、あたしの思う通りにすればいいって仰って骨折ってくれたわ。だから、あの財団はおざなりにしたくないの」
彼女は、経理や細かい運営事務はキースに任せちゃってるけどね、と肩をすくめて説明を終えた。
いい話だ。
いい話だけど、どことなくざわつく。財団を彼女にやるのと引き換えに、死んだ後でも伯爵家に縛り付けるなんてすごい執着心だ。狂気すら感じる。
「……じゃあ、僕も、君の愛人から格上げされたりはしないってことだね」
「ティモシー…」
彼女は僕を見上げ、唇を噛んだ。言い訳や謝罪めいた台詞は役に立たないってわかってるんだろう。
「なら、ちょうどいいよ」
僕はため息をつき、彼女の左手を伸ばして指輪を眺めた。
「王都で実入りのいい仕事をいくつか捕まえたし、今後はあちこちの地方にも出かける。コテージには滅多に顔を出せそうにないんだ」
ビビアンは空いてる方の手で、肩に乗ってる僕の手を握った。
「…君に…」
僕はもう一度深呼吸して、胸の詰まりを押しやった。
ビビアンの手に力がこもり、反射的に僕も握り返す。
「もう君に公私ともにお世話にならなくても、やっていけそうだよ」
彼女はまた僕を見上げ、大きな目に涙を溜めて首を振った。
「短い間だったけど、今まであ――」
僕の台詞は、噛み付くようなキスで拒まれた。彼女の涙で僕の頬もびしょびしょになる。
「そんなの嫌! こんな風に終わるなんて嫌! あんたはすぐそうして、物わかりよく引き下がっちゃうんだから!!」
君にはそう見えるだろうけど、僕はいつも臓腑がちぎれるような思いをしてるんだ。
しがみついて泣き出した彼女の背をさすりながら、僕は諭した。
「もともと、仕事が上向くまでの間の話だったじゃないか」
「そんなの口実だってわかってるでしょ。あたし、…本当にあんたが好きなのよ」
「僕だってそうだよ。でも、…それだけだ。それ以上先はない。それが君の意志だろ?」
それでも首を振り続けるので、またため息をつく。
「ビビアン、そんなに都合よく何もかもは手に入らないよ」
「嫌…」
「僕に、どうしてほしい?」
彼女はすすり泣きながら身を起こし、ハンカチを取り出して顔を拭いた。
「近くに来たら、必ずコテージに寄って」
「……わかった」
彼女が僕のものにならないとしても、他の誰のものにもならないのがせめてもの救いだ。
僕が頬にキスすると、彼女はやっと立ち上がった。ドアまで送りつつ、先程壁際に落とした帽子を拾い、汚れを払って渡す。
「財団の発展を祈ってるよ」
外へ出た彼女にそう言うと、彼女は弱々しく笑った。いっそ腕を掴んで中へ引き戻したい衝動にかられるけど、彼女はそんなこと望んでない。
「ありがとう。絶対顔を見せてね。約束よ」
彼女は、そう念押しして立ち去っていった。
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