恋人

* * *


 次の週末を待ちかねてあの店に行くと、当てが外れた。

 その日は「男たちの」秘密のクラブだった。聞くと、月一回の週末だけが、女たち専用になるらしかった。けれども女たちの日に行ってみても、あの彼女はいなかった。

 彼女だけが女じゃないし、と気を取り直して他の客と話してみても、あまりピンと来なかった。あのいたずらっぽい笑いや、あたしと似たりよったりの育ちを思わせる喋り方が、しょっちゅう頭に浮かんでは悶々としてばっかりだった。


 数カ月後、やっと彼女に再会した。

 その日は、あたしはソファ席に混じって皆の取り留めもない話に相槌を打っていた。どこかのお屋敷に仕える侍女やどこかの施療院のナースが、雇い主のセクハラへの怒りで意気投合したかと思うと、お気に入りの同僚がいかに可愛いかを競い合ったりしていた。秘密のクラブは、出会いを求める客ばかりではなく、職場の同僚なんかに対する片思いの辛さを吐き出しに来る客も結構いた。


 ふと気づくと隣のソファ席に、スタイルがよくて存在感のある客が座っていた。口元に見覚えがあるなと思っていると、向こうも気づいた。軽くグラスを掲げて挨拶されたので、あたしもニコッとした。

「あなたはどう? 最近恋してる?」

 ナースがあたしに話しかけた。

「ええ、してるわ」

「まあ、どんな子?」

「このクラブで出会ったの」

「あら素敵! 今日は一緒に来てる?」

「ううん、出会っただけで付き合えてない。名前も聞けなかったし、それっきりで彼女はここに来てないみたいなの。何カ月も前よ」

「えー、放置? それはひどくない?」

「来れない事情でもあるのかもよ? あたしも奥様の旅行に付いてって愛しのケイトリンと何週間も会えないときがあったわ」

 ナースの非難に対し、侍女がフォローと見せかけて惚気に持っていこうとした。

「すぐあんたは自分語りするんだから」

「例を挙げただけよ。そんなに長く想えるってピュアでいいじゃない」

「えー? むしろ忘れてもよくない? 次行っちゃいなよ! 時間もったいないよ」

 即答しかねていると、その人は隣から身を乗り出してきた。

「…じゃあ私が立候補してもいいかな?」

「あら。どうしようかしら?」

 あたしも気になってたから満更じゃない。

 ナースと侍女は、んまーと盛り上がり、どうぞどうぞとあたしを押し出した。皆ロマンチックでドラマチックな展開が好きだ。


 あたしはその人に手を取られてカウンター席に移った。

 新しいグラスを手にすると、彼女はいたずらっぽく言った。

「若葉ちゃんは青葉ちゃんに成長したみたいだね」

「あなた…!」

 あたしは彼女の顔をのぞき込むと、急いで頬を捕まえて唇を塞いだ。うん、確かにこの口よ。多分ね。

「…もう、出会い頭にそういうのよしてよ」

 満足して唇を離すと、彼女は引いていた。

「ああ、押しが強いのは好きじゃなかったわね。でも逃げられないうちにと思って…ごめんね」

「まったく…」

「ごちそうさま」

 だめ押しに耳元で囁く。彼女のうなじがかっと熱を帯びるのがわかった。

「まったく…!」

「ふふっ」

 肩で軽く小突くと、もうあたしの勝ちだった。


「それで、今までどこでどうしてたの?」

「…東部の街を回ってたんだ。私は、巡業芝居小屋の一座にいるんだ」

 警戒が解けたのか、彼女は今度は素直に話してくれた。

 今は一回りして王都に戻ってきたところで、公演でしばらく滞在したら拠点の街に戻るそうだ。

「ふうん。じゃあ、前に着てた服はひょっとして舞台衣装なの?」

「うん」

「どうりで安っぽいと思った」

「余計なお世話」

 二人でくすくす笑う。

「今日は自前の服なの?」

「これは借り物。うちの看板女優の」

「あんたも女優なの?」

「一応ね。でも舞台に上がるより、裏方のほうが好きかな。あんまり注目されたくないんだ」

 その気持ちはよく分かる。

 あたしは再び彼女の頬に触れ、仮面の縁をなぞった。

「何?」

「…素顔が見たいわ」

「ここじゃルール違反だよ」

「…クラブの中では、でしょ?」

 彼女は黙って、頬に置かれたあたしの手に手を重ねた。


* * *


 彼女の名前は、ナンシーと言った。

 あたしは彼女を連れて、アパートの門限に滑り込んだ。友達をこんな時間に一人で帰せないから泊めると言うと、管理人は了承した。

 階段を上がり、三階の角があたしの部屋だ。建物の扉を施錠するから、各部屋には鍵がない。中へ入って扉を閉め、帰り道に一度確かめたお互いの素顔をランプの明かりで再び照らす。

 ランプを掲げたあたしの頬を、ナンシーは優しく撫でた。彼女の瞳がランプの炎で燃えている。きっとあたしの瞳にもその炎が燃えているに違いなかった。


* * *


 ナンシーが身じろぎした感触であたしは目を覚ました。

 彼女は眠っていて、朝日が麦藁色の髪を輝かせていた。彼女の髪色をようやくまともに見た。

 低い天井を見ながら、あたしはしみじみと深い満足感を噛み締めた。ずっと窓の外から羨ましく眺めていたご馳走が、やっと自分のために与えられ、夢中でお腹いっぱい食べた。そんな気分。


 あたしはそっとナンシーの頭を撫でた。かわいいナンシー。大柄だから、自分が可愛がられることに慣れてないんだわ。そう思うときゅんとする。もっと可愛がってあげたい。


「ん…」

 彼女も目が覚めたみたいだ。

「ナンシー、おはよ」

 囁くと、彼女はがばっと跳ね起きた。

「やばい、寝過ごした!?」

 今日は昼までに稽古とチラシ配りをして、午後に初回公演をするらしい。

「観に行きたいな」

「それは嬉しいね。うちは、ホランド一座いちざって言うんだ。今ウィンストン・パークにテントを張ってる。良かったら友達いっぱい連れてきて!」

 そう言うと彼女はばたばたと階段を駆け降りていった。


* * *


 王都には、劇場の他に芝居や見世物の興行を許可している空き地や広場が数カ所あった。中でもウィンストン・パークは最大の広さで、庶民向けの芝居小屋が立ち並び、観客目当ての食べ物屋台もくっついて活気に溢れている。常設の芝居小屋だけでなく、ナンシーたちのような巡業の一座も期間限定でテントを張って興行し、しのぎを削っている。芝居の演目は単純明快なものが好まれ、ドタバタ喜劇や痛快活劇が人気だった。

 あたしの学園時代の友人たちはみんな貴族令嬢なので、ああいうところには引き連れていけない。あたし自身もあんまり足を運んだことがなく、一度ティモシーとちょっと覗きに行ったくらいだった。


 ホランド一座は小さな劇団らしく、主演以外は一人何役もこなしていて、ナンシーも侍女や兵士といった端役をいろいろやってた。でも肝心の脚本は、申し訳ないけど凡庸で退屈だった。演目は国王のヴィンセント陛下がお若い頃の武勇伝をアレンジしたもので、陛下人気にあやかろうって気が透けて見えた。


「シッ。余計なお世話! 座長おやっさんに聞かれちゃう」

 どうやら脚本は座長みたいだ。終幕のあと楽屋のテントを訪ねると、ナンシーはあたしを外に引っ張っていった。

「だって、とりあえずチャンバラがあればいいって感じで、そのためのネタとして史実を並べただけなんだもん」

「こんな脚本だとつまんない?」


 今のストーリーは、王妃オクタヴィア陛下とのロマンスや宝探しや他国との戦なんかが詰め込まれていて、いちいちチャンバラも入るから忙しくて、集中できずに飽きてくる。


「うーん…今の脚本だとイベントがただ順番に起きてるだけでしょ? お題があって、邪魔が入って、そいつを倒しての繰り返し。それだと『それがどうした』って感じ。

 それより、『そうきたか!』みたいな意外な展開とか道具の活用とかがあったら、面白くなると思うんだけど」

 あたしも前世じゃゲームや漫画をそこそこ消費してたから、どんなのがグッと来るか思い出しながら感想を言ってみた。

 何か偉そうなアドバイスになっちゃったかな、と思ってると、意外にもナンシーは真剣に考え始めた。


「なるほど。じゃあ例えばこういうのはどう?

 青年ヴィンセントは流浪の王子で、ある国で見初めたオクタヴィア様を王妃にもらいたかったけど試練を出された。それはお宝を探してくることだった。見つけた矢先に戦になって、でもお宝が…あるいは旅の途中の経験とかが役に立って返り討ちにして、その上でオクタヴィア様をもらって大団円だ」


 あたしは目を丸くして、すらすらと出てくるナンシーのアイデアを聞いていた。

「そうよ、そういうの! イベント同士がちゃんと繋がりがあって、きっかけからゴールまで相乗効果で盛り上がってく。あんたうまいじゃん。すぐ台本を書き換えたら?」

「無理だよ。座長おやっさんの顔に泥を塗ることになる」

「えー、もったいない。あんたのオリジナルはないの?」

「なくはないけど…書きかけばっかりだしウケないよ」

「えー見たい」

 駄々をこねると、ナンシーはふっと微笑んだ。

「そんなことに興味持ってくれる子は初めてだ。みんな、『そんなことより、イイことしましょ』ってすぐ言う」

「あら、あたしももちろんイイこともしたいわよ?」


 それからあたしたちは、おやっさんの怒鳴り声が聞こえてくるまで暗がりで唇を重ね合った。

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