最終話 錯覚でも構わないのなら



茫然自失という言葉が、今の花田を表現するのに一番適している。

呆気に取られ、文字通り自分を失う感覚。

それは比喩ではなく正真正銘に彼を表す言葉で、まさしく自分という存在が崩壊していった。

「もともとの君は、精神に重度の障害を負ったうつ病患者だった。いつ死んでもいいと思えるくらい病んでいたみたいだね。死に場所を探してたって話を聞いたよ。そんな君に目を付けたのが彼女の会社だ。密かにコンタクトを取って、ある実験に君は耳を貸してしまった。それが、記憶の移植だった。自分の記憶を消して、他人の記憶を脳に埋め込む。それで君の病がちゃんと消えるか確かめたわけだね。結果としては成功だ。うつ病だったなんて信じられないほど君は楽天家に生まれ変わった。でも・・・そう、予想はしてたけど、もとの君の人格は鳴りを潜めて、自分のことをその記憶の持ち主だと思い込んでしまった。その持ち主こそが、花田佑一郎だ。本来の君じゃない。」

脳が理解を拒む。

自分が、実は自分じゃなかったと他人から言われて納得できる人間はいるのだろうか。

「幸運なことに、花田くんは君と似た身体の大きさをしていたからね。それを利用して花田くんに成り代わってもらった。もちろん違和感のないように整形もした。出来うる限りのメンテナンスを行なった。」

「正確には、あなたの身体の作りに似た人を探してその人の記憶を移植しただけです。言い変えれば、不運なことに花田くんはあなたと似た身体の大きさをしていた、です。」

「ああ、そうだね。だからこそ本物の花田くんは、邪魔な存在になってしまった。花田くんを最初の犠牲者にしたのは、そういう理由なんだ。」

自分の顔に触れてみる。

何も違和感がない。

手を、足を、身体を見回しても何もおかしいところはない。

なのにこれが、おれの身体じゃない?

いや、おれはだれだ?

花田佑一郎なのか?

こいつらの話を信じるなら、記憶だけが花田という一個人のものであって、それ以外は全く別人のものということになる。

それが、本来のおれ・・・ということなのだろうか。

じゃあ身体が本来のおれのものであって、記憶が他人のもの?

どう認識すればいい?

おれは一体、何者なんだ?

「・・・ほら、だから言っただろう?こんな事実に常人は堪えられないよ。」

「別に思い出させる必要はなかったはずです。あなたはいつも余計なことを口走ります。だから、あのときも最後の最後に記憶移植を抵抗されたんです。」

「あのときはまあ、たしかに口が滑ったけどさ。」

「・・・抵抗、した?」

なんとなく引っかかった。

『おれ』は望んで移植を受けにきたんじゃなかったのか・・・?

「ああいやいや!なんでもないよ。・・・君、メッセージカード2枚持ってただろう?あれは花田くんのものと、もともとの君が書いたものがあったからなんだ。」

【気付くな危険】

花田が殴り書きした自分へのメッセージ。

【奴を信じるな】

『おれ』が最後の力を振り絞って書いた自分へのメッセージ。

『奴』・・・この男のことなのだろうか。

もう思い出すこともできないだろうが、『おれ』とこの男の間に移植前に何かがあって、不信感でも抱いたのか。

・・・なにを冷静に分析しているんだ。

こんなこと考察しても、もう意味はないというのに。

「良いアイディアがあったら使わせてもらおうと思って、遊び心でみんなに書いてもらったんだけど、花田くんのはキャッチーで良い感じにバカっぽかったから面白いなあって思ったよ。もしかしたら採用されるかもね。」




「さて、じゃあそろそろお別れの時間かな。」

観察者の男が立ち上がり、おもむろにスプレーのようなものを取り出す。

見覚えがある。

いや、それだけじゃなく実際に掛けられたこともある。

嫌な予感がしてベッドを飛び起き距離を取る。

「・・・なんだよ。」

「ゲームの記憶を全部消して、帰らせてあげるよ。」

「は!?」

「・・・なんか不満そうだね?嫌なの?」

「当たり前だ!どうしてまたお前らに記憶をいじられなきゃいけないんだ!」

「色々と知られちゃったからねえ君には。」

「お前が聞いていいって言ったんだろうが!」

「言ったけど、記憶を消さないとは言ってないよ。それに、全部覚えてるなんて辛すぎるでしょ。善意のつもりでもあるんだけどなあ。」

「ふざけ・・・!!?」

いつの間にか背後に回られてスーツ姿の女性に羽交い締めにされた。

五日間寝ていたからか、力が上手く入らない。

どうする?

どうすればこの場を切り抜けられる?

「・・・と、智広はどうした!?あいつもここのこと全部覚えてるだろ!あいつはそのままでいいのかよ!」

「鈴本智広は死にました。」

「死・・・!?」

「樋口京香が死んだとき、それとほぼ同時に死にました。」

「じゃあ・・・生き残ったのは、おれ、だけ・・・。」

男は手に持ったスプレーを振ってシャカシャカと音を立てながら近づいてくる。

街中の壁に落書きをしようとする悪ガキを連想したが、そんな可愛いもんじゃない。

もっと邪悪を孕んだ、おぞましい腹黒さを男から感じた。

もう逃げられないと悟る。

「ま、待て!待ってくれ・・・。じゃあせめて、教えてくれ。あいつは・・・樋口は、最期に何を考えていたんだ。」

「樋口さん?」

「お前らは思考回路が分かるんだろ?死ぬ直前考えてたことが分かるんだろ!?あいつは、なんでおれを助けたんだ?自分を犠牲にしてまで、どうして・・・。あいつが何を思ってあんなことをしたのか、教えてくれ・・・!」

「ああ・・・それはね・・・。」

「・・・。」

「企業秘密。」

「なんでだよ!どうせ忘れるんだろ?頼むよ!」

「それとこれとは別問題だよ。女の子の気持ちが知りたいだなんて、いやらしいなあ君は。じゃあ、さよなら。」




「・・・さあ、運ぶよ。手伝って。」

「・・・。」

「どうかした?」

「彼女の遺体、まだ施設内にありますよね。」

「うん、それがどうした?」

「記憶を、使わせていただきます。」

「・・・まさかとは思うけど、同情してる?だからって・・・。」

「気の毒だと思っているのは、本当ですから。」

「まあ止めないけどね。でも、歪んでると思うけどなあ。それで二人は幸せになれるのかな?」

「分かりません。決めるのは新しい彼らです。」























日差しが強く、街中を歩いているとすぐに汗が吹き出てしまう。

店の前を通りかかるたびに漏れ出すエアコンの冷たい空気が微かに肌を撫でて、誘惑に負けて入店しそうになる。

いや、よく考えると別に負けてもいいのか?

我慢する理由はない。

彼女もこの暑さに嫌気が刺してる頃かもしれない。

ここは勇気を出して提案してみるか。

「なあ京香。ちょっと・・・冷たいものでも飲んで・・・休憩しないかなあ・・・なんて。」

勇気を振り絞り過ぎて恐れが滲み出た言い方になってしまった。

我ながらなんて情けない。

「・・・はあ。」

「あ!いや!京香も疲れてるんじゃないかなあって思ってさ!別に大丈夫なら良いんだ。さあ先を急ごうそうしよう。」

「そうじゃなくて、なんでそんな些細なことを言うだけなのに怖がってるのよ。これじゃあ私が鬼嫁みたいじゃない。それくらい別に構わないわよ・・・いつまで経っても変わらないわねえ、あなたは。」

「いやあだってさ・・・昔っからおれのほうが先に音を上げるから、なんかいつも呆れられてそうで・・・。」

「確かに体力ないわよね。出会った頃の話、覚えてる?」

「え、なになに、どれのこと。」

「一緒にジョギングしたときの話。走り始めてすぐ、『もう休憩しようよ〜』て泣きついてきたじゃない。」

「そんな情けない言い方してないだろ!・・・でもそんなことあったなあ。なんで一緒に走ったんだっけ?おれそういうの苦手なはずなんだけどな。」

「・・・なんでかしらね?もう8年前だもの。忘れたわ。」

適当なところにファミレスがあったため、店内に退避して涼を取る。

店内は繁盛しておりごった返していたが、運良く並ばずに席へ通される。

「あんまりお腹空いてないからとりあえずドリンクバーだけでいいわ。」

「え〜、お腹の子のためにもなにか栄養取っといたほうがいいんじゃないか?」

「そんな大げさな・・・まだ初期段階なんだからそこまで気を使わなくても。」

「だめだめ!京香は自分のこととなるとたまにいい加減になるんだから。それにもう、一人の身体じゃないんだしさ。」

「・・・ふふ。」

「え?笑うところ?」

「佑一郎のそういうところ、変わらないわね。自分のことよりも人のことのほうが真剣になる。難儀な性格よね。」

「・・・じゃあ、お互い様だな。」

「そうかもね・・・ああ〜。」

「どうした?」




「別に、幸せだなーって思っただけ。」



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