27話 山中の吐露



山登りの経験はなかったが、樋口は持ち前の体力で澱みなく上へ上へと軽快に足を運んでいく。

対して花田は樋口の後を追うのに精一杯で、今にも膝を着きそうだがどうにか堪えて、重い足取りで歩く。

「そんなんじゃ日が暮れちゃうわよ。もっとペース上げないと。」

「そんな・・・こと・・・言ってもさ・・・。無理なものは・・・・無理・・・。」

鈴本から教えてもらった運営本部の場所は人里離れた山奥に位置するところだった。

ネットで調べてもそれらしき建物は存在しないことになっている。

罠とも考えたが、今更そんなこと疑っても身動きが取れなくなるだけなので、最低限の注意を払いながらその地に向かうことにした。

こちらとしても運営側との接触はかねてより望んでいたことだ。

多くの犠牲者が出たが、ようやく念願が叶う。

「でもさ・・・会って・・・何、話すか・・・?」

「思ってること、疑問、不満、全部ぶつけるしかないんじゃない?」

「・・・どうにか・・・なる、かな?・・・それで・・・。」

「さあ。こんな馬鹿げたこと企画する連中よ?どこにも保証なんてないから。」

「樋口ってさ・・・意外と・・・能天気・・・だよな・・・。」

「あなたにだけは言われたくないわね。」

否定はしたが、樋口は薄々分かっていた。

勘の鋭い参加者たちはすでに全て思い出して脱落している。

ここまで生き残っている自分は、誰がなんと言おうと鈍感な部類なのだろう。

ひょっとすると、それは花田よりも。

認めたくないと思う心があるが、よくよく考えてみると『鈍い』ことがとかく悪いものと思われがちなだけで、本来鈍いか鋭いかは個性の違いでしかない。

なんとなく世間一般では優劣をつけられているが、それはまやかしなのだろう。

だから、そう卑下することはない。

そう自分に言い聞かせると、樋口はいくらかこの鈍感力に自信を持てた。

「・・・ここからはもっと険しい山道になるわね。」

勾配が急になり流石に樋口も息を切らし始めていた。

樋口がその程度ということは、花田は言わずもがな。

もう限界を3回ほど超えたと言わんばかりの歪んだ絶望の表情を覗かせていた。

「ここで休憩にしましょうか。」




「田岡ちゃんが言ってたよな。『真相を知れたら、少しはもやもやが晴れると思う』って。」

しばらく休憩して息が整ったのか、落ち着いた様子で花田が語りかけてくる。

「ええ、言ってたわね。三人で色々調べ回ってたときね。」

「実は羨ましいなって思ったんだ。おれたちはずっともやもやを抱えなきゃいけないから、純粋に頭を悩ませてる田岡ちゃんが。」

「普通はみんなそうよ。私たちの状況が異常なだけで。」

「そうだよな・・・。これでも結構悩んでたんだよ。アレをしたらまずいかな、コレをしたら思い出しちゃうかな、こうやって悩むこと自体よくないんじゃないかな・・・って。だからかな、田岡ちゃんの悩みの解決に乗っかりたいって思ったのは。おれの『悩みたくない』て悩みよりも、人の純粋な悩みを聞いてあげるほうがよっぽど健全だし、何より自分のことを悩まなくて済む。」

「・・・意外ね。そこまで考えてたなんて。」

「ちょっと後付けの部分もあるけどな。自分がどういうこと考えてたかなんて100%は分からないし、アバウトなもんだろ?」

「それもそうね。」

「だから田岡ちゃんには申し訳ないけど、あの時おれはおれのために協力してただけだ。そりゃあ気の毒だって思う気持ちもあったけど、それは正直おまけで・・・

利用していただけで・・・。」

「別に悪いことじゃないでしょ。」

「え?」

「だれだって自分が一番よ。」

「そうかもだけど、やっぱ不純じゃないかな・・・。」

「純粋な気持ちにしか価値がないっていうなら、そんな世界は無秩序よ。みんなそれぞれ優先すべき自分の事情がある。それでもその上で、できる限り人のためになにかしてあげたいっていうのが思いやりじゃない?思いやりって大抵、いろんな事情が入り混じった不純なものだと思う。『自分には余裕があるから助けてやろう』とか、『自分にも得があるから手伝ってやろう』とか、まず自分ありきでね。」

「なんだか悪いことしてる気がしちゃうんだよ・・・。」

「だから、純粋さで良し悪しが決まるものじゃないって話。『自分のことはどうでもいいからとにかく人助けしたい』なんて人のほうが、私は気持ち悪いけどね。それで違和感ないのはせいぜい家族くらいの関係性じゃないかしら。」

「・・・なるほどな。あーあ、人間の悪どい部分を理解しちゃった気分だなあ。もっとこう・・・綺麗な心でありたいんだけどなあ。」

「あなたも今回の件でよくわかったでしょう。気持ちとか記憶とか、脳が勝手に感じたり思い出したりするものでコントロールできるものじゃない。それでも、それをどう消化させるのか、どう表現するのかは私たち次第よ。そこに価値とか良し悪しがある。風間や鈴本は、他の人間に害を与えることでそれを消化しようとした。とても許されることじゃないわ。でも、あなたは人助けで消化しようとした。褒められこそすれ、責められるのはお門違いよ。たとえそれが自責であってもね。」

「・・・すげーな。」

「え?」

「立派な考え方だなって思ってさ。ちょっと気持ちが楽になった。」

「そんなことないわよ・・・。こんな話してると、気味悪がって人も寄りつかないし・・・。」

「だろうな。やっぱり樋口って友達少ないでしょ。」

「やっぱりってなによ!?」

「立派な話って面白くねーもん。普段は。」

「せっかく人が元気付けようとしたのに・・・。」

「ありがとう。」

「なんのお礼よ?」

「ここにきてこんな弱音吐いても、しょうがないよな。」

「・・・ほんとよ。そもそも懺悔したいなら田岡ちゃん相手にしなさいよね。もう・・・忘れちゃってるでしょうけど。」

「そう、なんだよな。あーなんか寂しい。」

「また一からやり直すしかないわね。」

「やり直す、か。いいね、そうしよう。戻ったら直接会いにいくか。」

「でも相手は女子中学生だからね?一歩間違えれば通報されかねないから気をつけなさいよ。」

「う・・・分かってるって。樋口もついてきてくれよな。」

どちらからともなく二人は立ち上がる。

山登りの再開である。

「・・・さっきから気になってたんだけど、それなに?」

樋口の背負っているリュックに紐で括られた小さな巾着が目に付き、花田が問いかけてくる。

「あー、まあ、お守り・・・かな。」

「ふーん?」




「風間って結局何者だったんだろうな。」

「・・・実はあなた、結構余裕ね?心身ともに。」

「いや、そんなことないって。」

今度は二人並んで歩みを進める。

さきほどまで花田の足取りが重かったのは、体力的な問題だけではなかった。

「田岡ちゃんのお父さんの部下だった、って話は覚えてる?」

「ああ、それくらいはもちろん。」

「たぶんだけど、パワハラでも受けてたんじゃない?割と自分の世界を持ってる厳しめのお父さんだったみたいだし。」

「田岡ちゃんも鬱陶しがってたって話だもんな。」

「それに、お父さんは以前にも一人部下を追い込んでメンタルを病ませたらしいから。」

「・・・そうなの?」

「一緒に聞いてたでしょ・・・で、偶然にも二人はこのバイトに応募していた。それを知った風間は憂さ晴らしも兼ねてお父さんの記憶を刺激した。そんなところかもね。気がかりなのは、どうして私たちのことを風間が勘付けたのかよね。なんせ大学にまで来てたみたいだから。ポストに入れた揺さぶりの手紙が藪蛇だったのかしらね?ああ、でも鈴本が参加者だったってこと考えると、あいつが漏らしたのかもしれない。あとは水木唯って子のことね。わざわざ風間について私たちに助言してきたけど、あの子の目的が不明だし情報源はどこなのか・・・聞いてる?」

「・・・え?なに?」

「・・・水木唯。私はあの子が気になるって言ったの。」

「あ、ああ、そうだな。なんなんだろうな。」

今になって始まったことじゃない。

花田は時々、深刻な顔をして無を見つめることがある。

余計なことを考えてなければいいが。

『おれはお前のほうが怖いよ、佑一郎』

鈴本の言葉が頭をかすめる。

戯言と受け流していいのだろうか。

しかし何か真に迫るセリフだった。

鈴本智広。

彼が類を見ないサイコパスだということは想像に難くないが、彼なりの行動原理があるはずだ。

花田ともこれまで普通の交友関係を持っていたことを考えると、決して話し合えない人間では無いだろう。

生半可な覚悟では耐えきれないかもしれない。

だが、こちらは二人だ。

不器用ながらも生き残ってこれたのは二人で協力してきたからだ。

きっと大丈夫だ。

きっと。



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