26話 大合唱



「えー、盛り上がっているところすみませんが準備が整いましたんで正面のスクリーンをご覧くださーい!」

鈴本の号令によって正面のスクリーンに注目が集まる。

樋口も周りに倣い、首だけ正面に向けて流れる映像を待つ。

飲み会の途中で流すほどの余興など思いつかないが、慣れている幹事だとそういうものも用意していて当たり前なのだろうか。

花田の言う通り、別に会を楽しむために来たわけじゃないのでさっさと終わってほしいと願う。

皆、何が映し出されるか興味津々といった様子で今か今かと見守っていると、唐突にそれは始まった。

前触れも説明もなく映し出されたのはだだっ広い講堂。

最後方から大学の講義でも撮っているのか、席に座った人々が前方で何か話している女性に注目している映像だ。

音声は無いらしい。

ざわざわと騒がしかった会場が静まり返って、今はプロジェクターから出るファンの微かな音だけとなっている。

無音のその映像に、樋口は不気味さを覚えた。

しばらくすると映像の女性はだれかを呼んだらしく、一人の男が前に現れて—————

「樋口!」

いきなり花田に呼ばれて何事かと思うと、頭を掴まれそのまま机に突っ伏されてしまう。

「痛!ちょっと、何するのよ!」

「いいから!」

意味がわからず続けて文句を言い放とうとすると、周囲の様子が変わる。

ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛

獣が唸るような音が聞こえてくる。

一つだけじゃない。

耳で判別できないほど、数多くの唸り声。

視界は机で阻まれているのでよくわからないが、声を発しているのは周りにいた飲み会の参加者たち以外にいないだろう。

日常でこんな声を出す機会などない。

低く、苦悶に満ちた呻き声。

ただ、一度だけ樋口は似た声を聞いたことがあった。

あれは大学の古びた校舎での出来事だった。

「あ・・・あ・・・あ・・あ、あ、あ、あ、あ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ!!!!」

けたたましく響く悲痛な大合唱。

四方八方からそれは聞こえてきて、我慢できず耳を強く塞ぎ込む。

かつてないほど鳥肌が立ち、耳を塞いでもなお貫通してくる叫び声にゾワゾワとくる恐怖感が収まらない。

視界を遮り、耳を塞ぎ、とても無防備な状態の樋口だが、今はこれが最大限の防御体勢なのだと直感で理解した。




永遠とも思える大合唱が終わったことには、花田に肩を叩かれてようやく気付いた。

実際にはものの数十秒だと思うが、こんなに長く感じる数十秒は生まれて初めてだった。

顔を上げると真っ先に目に映ったのは散乱した真っ赤な血飛沫。

そして倒れた人、人、人・・・。

動いているのは鈴本と花田だけ。

他の人は全員横になってピクリともしない。

「どういうことだよこれ・・・おい、智広・・・。」

「ん?おお佑一郎、生き残ったか。相変わらず鈍いやつだなあお前は。・・・いや、鋭いから死なずに済んだのか?この場合は。」

「説明しろって!」

「必要か?そんなの。見た通りだよ。当時の映像が手に入ったから、参加者みんなに見てもらったんだ。」

「・・・全然、意味がわからない。お前も、だったのか?」

「そこからか。まあ、それも見ての通りだな。お前と同じだよ。で、思い出した報酬として得た金と一緒にこの映像を手に入れたんだ。この映像を見たときに思ったんだ。使えるなってさ。」

「使う・・・?」

「見せればけっこうな確率で記憶が蘇るだろう。だから、この状況をセッティングするために色々手を尽くしてな。苦労したぞ?おれも記憶を辿ってたんだから命懸けだし。参加者と思われるやつに声をかけて、厳選して。で、お披露目すれば一気にみんなこのゲームからアガることになるだろうって。」

「そんなことして、なんの意味があるんだ?」

「佑一郎、ゲーム好きだっけ?」

「・・・え?」

「ゲームだよ、テレビゲーム。好きか?」

「・・・まあ。」

「じゃあわかるだろ?ちょびちょび敵を倒すのも味があって悪くはないけど、大勢を薙ぎ払う快感には勝てないじゃん。それと同じだよ。」

「・・・・お前、狂ってるよ。同じなわけないよ・・・。」

二人の会話が、樋口はどこか遠い彼方で画面越しに見ているかのような、フィクションの世界に思えた。

多くの死に直面した今、その恐怖に叫び出してしまうことも容易に想像できたが、なぜか冷静に座っていられたのは現実感を喪失していたからか。

あのときそのまま映像を注視していたら、自分も死屍累々の一体として横たわっていた。

そう思ってもなお、この状況に当事者意識を持てない。

「いいよいいよ仕方ない。分からないやつもいるだろうさ。さっさとここ離れようぜ。あんまり長居して店員にこの状況見つかると面倒だろ。」

「待てよ!田岡ちゃんのこと、教えてくれるんだろ。」

「知らない。」

「おい!嘘つくな!」

「本当に知らないんだ。ただ、参加者と関係ない人を巻き込んじゃうと運営側が記憶を消しにくるって話らしい。田岡ちゃんのところにも多分きたんだろ。それ以上のことは知らないよ。」

確かに、昔花田を尾行していたときに声をかけてきた監視者らしき人物が、あの時もやってきた。

風間の奥さんと田岡に対して、スプレーらしきものをかけて眠らせた後、何かを口にさせていた。

そのスプレーを自分たちにもかけられたところで樋口の記憶は途絶えている。

翌日以降、田岡と連絡がつかなくなった。

あれだけ協力して父親の影を追いかけていたというのに。

三人の関係の最後は、別れの言葉もなく呆気ない幕引きだった。

納得がいかず田岡に関して方々に聞き回っていると、情報提供できると花田に連絡をとってきたのが鈴本だった。

「ま、知りたければここに来いよ。おれも身支度できたら向かうつもりだからさ。」

鈴本がスマホを操作して花田に位置情報を送信する。

「・・・ここは?」

「これも記憶の報酬としてもらった情報だ。このゲームの運営本部があるらしい。詳しい話はスタッフかだれかに聞けばいいだろ。」

「会えるのか!?」

「知らん。けど、可能性はある。でもよかったよ、佑一郎が生きててくれてさ。生きてるってわかったとき、なんでかなあ・・・ちょっと安心したわ。我ながら麗しい友情だな。」

そのまま会場を後にしようと鈴本は歩を進める。

「おい、待てって!殺そうとしたくせに抜け抜けと・・・。」

鈴本は何かを思い出したようにくるっと踵を返し、花田をじっと見つめる。

「にしてもなあ。お前ってなんなんだ?」

「・・・あ?」

「おれはお前のほうが怖いよ、佑一郎・・・じゃあな。」

部屋を出ていく鈴本を、呆けて見送る樋口と花田。

血と酒の臭いでむせ返りそうな異常空間に取り残された二人は、今なおこの状況に追いつけず、思考も置いてけぼりで取り残されていた。



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