19話 天敵



最悪な気分だった。

意気揚々と樋口京香の通う大学のキャンパスに足を踏み入れたが、タイミング悪く構内は文化祭の真っ最中であった。

学生が慣れない手つきで調理をし、出店で声を張り集客し、これでもかと青春ごっこを披露している様を、風間は見るに堪えない醜悪な豚のお遊戯会かと蔑んだ目で見ていた。

自分の歳であればまだ大学生だと主張しても、なんとかまかり通ると考え一人できたが、この空間を一人で歩き切るにはいささか気力が足らず、人気のいない校舎に逃げ隠れた。

教室前に数席設けられているベンチに腰掛けて項垂れる。

陽気な学生たちの熱気に当てられて、嫌な汗が滴り落ちる。

数年前まで自分も同じ立場だったはずなのに、いつのまにここまで年老いたのかと歳月の恐ろしさを実感した。

肉体的なものなのか精神的なものなのか、いずれにしても成熟した証であるならばまだしも、風間の場合は明らかに劣化の証であった。

自分としては何も変わっていないつもりでも、身体も精神も正直なものである。

自身のことはこうやって色々と失っていくばかりならばせめて他に、歳を重ねるごとに築いていけるものが欲しい。

そうだ、殺せばいい。

殺して、殺して、このゲームの勝利者として富と名誉を得ればいい。

今日こうしてこの大学に足を運んだのも、その準備のためだったではないか。

樋口京香。

ロクでもない女だとは思っていたが、愚かにもほどがある。

おれを軽くあしらったこと、甘く見たこと、後悔させてやる。

ウレタン樹脂のうす汚れた床をぼんやり見つめながらどうやって葬ってやろうかと妄想を膨らませる。

うっすらと笑みを滲ませるその姿は、その校舎の薄暗い雰囲気と相まって、廃校に留まる亡霊のような出で立ちとなっていた。

外の陽気な世界とは一線を画す、異様な空間である。

「・・・あああ、だるいけど・・・探すか。」

気を取り直して重い腰を上げる。

妄想しにきたわけではない。

今日は軽い敵情視察の日だ。




「あ!風間さんじゃないですか!文化祭来てたんですねえ。」

「・・・あ?ああ、えーっと、まあ。」

馴れ馴れしく男が声をかけてきたが、記憶を辿ってもパッとは思い出せない人物だった。

察するにこの大学の生徒なのだろうが、それ以上の推察は情報が少な過ぎてできない。

「・・・もしかして覚えてないんですか?おれですよ、飲み会で一緒になったじゃないですか。智広です。」

「あー。いたなそういえば。どうもどうも。」

「いやあ随分平然と失礼なこと言いますね・・・。」

「何ヶ月前だと思ってるんだよ。男の顔なんていちいち覚えてらんないっての。」

一度、人伝いに頼まれて参加したインカレサークルの飲み会で、たまたま同じ席になった幹事の一人であった。

あまり楽しい会ではなかったため、あれ以降は一度も参加していない。

そう、それも全て樋口京香が原因だ。

あいつがあんな舐めた態度を取らなければ、あの会もそこそこの思い出として残っていたかもしれない。

あの女が、元凶なんだ。

「あの後、いくら誘っても来てくれないんで愛想尽かされちゃったかなって心配してたんですよ。また誘うんでお願いですからもう一回くらい顔出してくださいね。」

「気が向いたらな。」

気が向く日などこない。

ふと、気になったことを風間は尋ねる。

「・・・今あの会、何人くらいきてるの?」

「うーん、そうですねえ・・・もちろんばらつきはありますけど、まあ大体20人前後は来ますかね。」

「その中に、樋口って女、いる?」

「樋口・・・樋口・・・どんな人でしたか?」

「暗いやつ、愛想がない。」

「そんな人いたかなあ・・・。あ、暗いってわけじゃないですけど、水木さんと間違えてるんじゃないですか?」

「水木?」

「けっこう飲み会来てくれる女の子です。暗いとかじゃないですけど、頼み込んだら参加してくれるいい子で。」

「違う。名前は樋口で間違いない。」

「樋口・・・いやあ、やっぱりいなかったと思いますよ。・・・あ、でも・・・そうそう、朧げですが覚えてますよ。初期の頃に、風間さんと同じように一回だけ参加してくれた女の子ですよね確か。なんだ、風間さんもしかしてあの子のこと狙ってたんですか?え〜言ってくれれば頑張って誘ったのに。」

「うるせえ、もういいよ。」

「あ・・・今度飲み会やるときまた連絡入れますからねー。」

愛想のない人間は嫌いだが、距離感の近い人間はもっと嫌いだ。

一度会っただけで友達面するようなやつには、関わりたくない。




一通り構内を歩き回ったが、樋口を発見することもなく、他に大した収穫があるわけでもなく、ただただ文化祭の熱気に毒されただけとなった。

場当たり的な行動だったとはいえ、自分の間の悪さに呆れ果てる。

どうせ樋口も文化祭に参加するような人間ではないだろう。

これなら別のターゲットを探したほうがよかったかもしれない。

ちょうどつい先日、記憶の対価で新たな情報を得たばっかりだった。

この間は興奮状態だったせいか、思い立ってすぐ大学にきてしまったが、樋口の件はすぐに解決できる話ではない可能性がある。

今回は獲物を変え、仕留める段取りを一から考えよう。

折しも風間のスマホからラインの通知音が鳴る。

物騒な思考の海から現実世界に呼び戻すように軽快でポップな音だった。

先ほど会った智広からだ。

言ったそばから、飲み会の誘いだろうか。

妙にアクションが早い人間も、風間は好きになれなかった。

とことん反りが合わなそうだ。

『風間さん、先ほどはありがとうございました。さっき話してた樋口って人、思い出しました。おれの友達の花田ってやつと最近一緒にいるんですよ。樋口さんのことはよく知りませんが、花田は友達なんで風間さんのことラインで話しときました!連絡先も教えといたんでそっち連絡いったらよろしくです。』

「馬鹿野郎!」

最悪だ。

なにがよろしくです、だ。

こいつもまさか樋口のグルなんじゃないかと疑うほど、風間にとって都合の悪い行動を畳み掛けるようにやってくる。

他人のことを愚かと言えない。

風間もみすみす自分の情報を相手に与えてしまった。

「おれがあの手紙に反応して行動してるのが筒抜けじゃないか・・・。」

あたりをキョロキョロと見回す。

もし花田とやらが、あるいは樋口が周辺にいたらと思うと急に、周りが敵だらけの戦場の如き危険地帯と感じた。

今日は厄日だ。

全てが裏目に出る日だ。

さっさとこのリスクだらけの場所からは退散するしかない。

とりあえず智広はブロックだ。

情報源のシャットアウトは非合理だが、そんなこと考えたくもなくなるほど、この男には嫌悪感を覚えた。

反りは合わない。

風間の凶器も効かない。

無自覚のスパイ。

まさに天敵じゃないか。



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