15話 平凡な日常で時折感じる錯覚こそが幸せの正体かもしれない
男女が二人並んで街中を歩く光景は、外野からはそれこそいわゆる「男女の仲」というやつに見えるのだろうか。
実際には恋人未満であり友達と呼べる部類でもなく、ではこの関係をなんと表現するのかと樋口は益体もない考えを巡らせていた。
能天気だと人のことを笑えないなと、自身の思考回路に嫌気がさす。
「本当にそんなやつがいるのか?だとしたら全然気が付かなかったわ。今もこの人混みの中こっちを尾け回してるってことだろ?」
「あんまりキョロキョロしないでよ目立つんだから。簡単に見つかるような相手じゃないでしょ、多分・・・。」
周囲を警戒しながら小声で話す。
警戒対象はもちろん、監視者の存在である。
自分が尾行していたことは伏せつつ、花田のことを知っている謎の人物について樋口は告げた。
下手に花田の記憶を刺激しないよう、最新の注意を払いながら言葉を選んでの説明になった。
あの男のセリフはどれも意味深で、なにか一つでもピースがハマると次々に合致してあっという間に絵が完成してしまう、そんな雰囲気があった。
運営側の人間を見つけるための手がかりとしては彼以外心当たりがないため、樋口と花田は街に繰り出しどうにかその監視者を炙り出そうとしていた。
家電量販店の前で花田が立ち止まりキラキラと目を輝かせる。
「・・・お、いいなーこのオーディオコンポ。かっこよくない?これが家にある生活憧れるわ。どう?お邪魔しまーすって男の部屋に入ってこれがデン!って置いてあったらすごーいってならないかな?」
「引くわ。」
「なんでだよ!」
「邪魔じゃないそんなデカいの。あなたひとり暮らしの大学生でしょ?分不相応だと思うけど。そもそも高すぎない?これが5万もするの?」
「確かに高いけど・・・一応、記憶の報酬でそれなりに今蓄えあるしいいかなーって・・・。」
「あなたねえ、記憶の報酬で浪費してちゃ世話ないわよ。あのバイトを肯定してるようなもんじゃない。」
「そんなつもりじゃないけどさ・・・もらったもんは別というか・・・。」
「それにそのお金を蓄えって呼んでいいの?あんなのあぶく銭よ。思い出して得たお金に頼ってたらいつか身を滅ぼすわよ。またもう一度あと少しだけって際限なくなって、全部思い出してお終いってなりたいわけ?」
「・・・なりたくないです・・・。」
「だったら無駄遣いは辞めたほうがいいわ。必要なものは必要なだけ買えばいいと思うけど、思いつきで衝動買いしてたらいくらお金があっても足りないものよ。」
「はい・・・すみません・・・。」
「あ・・・ごめんなさいここまで言うつもりは・・・。」
素直に謝り小さくなっている花田に気付き、つい矢継ぎ早に言葉を放ってしまったことを反省する。
自分もあのバイトに参加したことを棚に上げて、講釈を垂れてしまった。
人を責め立てられるほど自分は出来た人間なのだろうか。
貧すれば鈍する。
決して心まで貧しくなるなと、自分を戒めて気を取り直す。
「樋口は、あのお金はどうしてるの?」
「今はタンスの奥にしまってるだけね。うちはお母さんと二人暮らしだから隠すの大変よ。宛名も書かず雑にポストに突っ込まれてるだけだし、お母さんに先に取られてたらどうしようかといつも焦るの。」
「そっか。確かにあんな封筒が届いてたらとりあえず中身確認しちゃうもんな。」
「だからかあ。樋口があの紙にお母さんのこと書いてたのは。」
「なんの話?」
ショッピングモールに入りブラブラと歩いていると、突然思い出したように花田は言う。
「あの、自分へのメッセージってやつだよ。確か【母に注意しろ】とか書いてたんだよな?あれってお母さんにこのバイトのことを勘付かれないようにしたってことだろ?」
「ああ、そんなことまで考えてなかった。あれはただ、自分の意識をお母さんに向けることで記憶がどうとかバイトがどうとか、そういう話を考えさせないように仕向けようとしただけよ。」
「どういうこと?そんなのなんのヒントにもならなくないか?」
「ヒントなんていらない・・・っていうか、そもそもヒントなんて自分の首を絞めるだけって話。思い出したいっていうなら別だけど、逆でしょ今回の場合は。思い出したくないんだから、他に重要そうなことを書いて忘れたままにするのが一番って考えただけ。」
「あ、そっかなるほど・・・。そっかそっか・・・よくそこまで頭回るなあ。」
「思いつきよ。あなたのほうこそ、あのメッセージはなんなの?そもそもどうして二枚持ってるの?・・・あ!違うの思い出せって言ってるわけじゃなくて。」
「いいよ別に。どうせそれは全然思い出せる気配ないし。『奴』っていうのが誰なのかが気になるよな。」
【気付くな危険】
【奴を信じるな】
前者は手に握りしめており、後者は財布の中へいつの間にか忍び込まれていた。
記憶の限りではメッセージカードは一人一枚だったはず。
それを花田は二枚持っていた。
「確証はないけど、俺が書いたのは【気付くな危険】ってやつだと思う。筆跡的にそんな感じがする。【奴を信じるな】は逆手で書いたような震えた文字の殴り書きだし正直判別付かないな。」
「字が下手っていうレベルじゃなかったわね。まあ、この状況で信用できる人間なんてそうそう見つけられるものじゃないしね。・・・ねえ、ちょっと?またそんな高価なものを物欲しそうに眺めて・・・。」
深刻な話をしていたつもりだったが、今度は高額なオイルヒーターの売り場でじっと製品を見つめる花田を見て再び呆れてしまう。
「いやいやいや違うって!別に思いつきで見てたわけじゃなくて・・・元からこういうの欲しいなって思ってただけで・・・そう!おれ冷え性だからさ!冬場にこれあったら助かるなあって、それだけだって本当に!」
「そこまで慌てて否定しなくても、もう何を買おうが構わないわよ。でもそこまで良いものを買う必要があるのかって思うだけで。」
「高いものにはそれだけの理由があるんだよ。そういう樋口は欲しいものとかないわけ?」
「ない。」
「そんなことないだろ。探せば絶対見つかるって。」
「わざわざ買いたいもの探してお金使うなんてもったいないじゃない。」
「お金は使ってなんぼっていうだろ。せっかくいろいろお店あるんだから見てみよ。やっぱ服とか靴じゃないか?あ、それとも化粧品?流石にそこらへんは全然分からないからなあ。ちょっと調べてみるか。施設マップどこに載ってたっけ?」
「なんで私の買い物の話であなたがそんなにテンション上がってるの・・・。」
色々と店舗を見て回って樋口の好みや興味を探ろうとする花田。
一時的にではあるが結果として、現在の思い悩みを忘れてウインドウショッピングに勤しむことができた。
母と二人暮らしで、バイトに明け暮れ家事も手伝い二人で協力して生きていくことに精一杯だった樋口にとっては珍しい体験といえる。
あれはどうだろう、これはダメか、そうやって能天気に表情をコロコロと変える花田を見ていると心の中にあった澱んだなにかが浄化されていく感覚を覚える。
世の男女が恋仲になるのは、こういう感覚を求めているからなのだろうか。
どこかのリアリストが言っていた気がする。
恋愛は脳の錯覚で、結婚は人生の墓場だと。
確かにそういった否定的な要素も多分に含まれているとは思う。
だが錯覚だろうとなんだろうと、実際に今樋口は気持ちがいくらか軽くなった。
結婚については・・・まだよく分からないが。
ともかく、悩みは自分の脳によってもたらされるがそれを救うのも自分の脳しかない。
要は考え方一つでどうとでもなるのだ。
はしゃぐ花田を見て、その姿勢を見習うとともになにか特別な感情が生まれた気がした。
「おいみろよ樋口!4Kテレビの85インチだぞ!いやーすげえなあ、俺のテレビの何倍だって話だよ。いやそんなテレビっ子じゃないんだけどさ。こういうのでゲームとかやってみたいよな一度は。今どきはYouTubeとかネトフリとかもテレビで見れるもんな。夢が広がるよなあ。」
「・・・はあ。」
気のせいかもしれない。
この錯覚はすぐに治ってほしい。
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