14話 二人の作戦会議



「ハッ・・・ハッ・・・。」

まだ人の往来もまばらな早朝の河川敷で樋口は走る。

朝霧が数歩先に広がっており、目の前に立ち塞がっているようで通っていいものか気を揉んでしまうが、走り抜けようとするとそれはうやうやしく道を空ける。

日も昇ったばかりで、鋭く届く太陽の光が網膜に焼き付く。

身体の疲労が、うるさく鼓動する心臓が、眩しい日の光が、本来鬱陶しく感じるはずのそれらが今は心を落ち着かせる要素となって染み込んでくる。

清々しい。

思い悩んでいたことなどすっかり忘れ去ってしまうくらい心地よい気分だったが、そもそも忘れることが目的で走っていたことを思い出し、現実に戻される。

まだ課題が山積みなのだ。

「ハァ、ハァ、ハァ・・・フー・・・。」

一息つくため立ち止まって後ろを振り返る。

はるか後方の豆粒のような人影が、こちらを追ってゆっくりと巨大化していく。

両手をバタつかせ頭がゆらゆらと左右に揺れ、もう限界と言わんばかりのダラダラとした走り姿は、清々しさとは対極の醜さであった。

「ちょ・・・もう限界だって・・・休もうよ樋口・・・。」

本当に限界だったらしい。

花田のギブアップ宣言を聞き、樋口は呆れ返った。

「体力なさすぎでしょあなた・・・。唐揚げばっか食べてるからそうなんのよ。もっとバランス考えて身体にいいもの食べなさい。」

「唐揚げ定食は関係・・・ないだろ・・・フー、フー・・・。」

花田とジョギングしていた樋口だが、これは色んな意味で噛み合わなそうだと諦めて提案を受け入れることにした。

清々しい気持ちが台無しだ。




近くのファミレスに入って休憩することにしたがこれは失敗だった。

朝のうちから営業しているファミレスにはほとんど客がおらず、運動着姿で汗をかいていることもあり店内で浮いた存在になっている。

話し声も響いてしまうため、内密の話をするには向いていない。

「朝ごはんとか全然食べる習慣ないから多分なにも入らないんだよなあ。でもドリンクバーだけ頼むと単品料金になるし、手頃なサイドメニューとセットにするか・・・めっちゃ悩む。」

樋口の悩みなどお構いなしにメニューと睨めっこをし幸せな悩みを打ち明ける花田を見て、一周回って頼もしさすら感じてしまった。

初めて会った日はあんなに暗い顔をして生返事しかできない生気の抜けた姿だったのに、どういう考え方をすればここまで変わることができるのか。

時間が解決してくれることもままあるとは理解しているが、それでも自分の気持ちとのギャップに戸惑う他ない。

「・・・まあ、ずっと辛気臭い顔されるよりはマシだけどさ、あなた今の状況平気なの?」

「平気ってどういうこと?」

「いや、やっぱりいい。あんまり掘り返してもロクなことにならないもんね、今回の件については特に・・・。」

「?・・・ああ、記憶のことか。そりゃ不安で仕方ないことはあるよ。そのことばっかり考えて身動き取れないことだってある。ちょっと前だってそうだった。本当はよくないことだけどな。なんかこう・・・黒いモヤモヤがかかった感じで、新しいことをするのが怖くてどうしようもないときがあったんだ。今になってわかったけど、あれって思い出したくなくて無意識にそうなってたんだな。」

「・・・ふーん。」

花田が自分の生活を不自然なほど固定化していたことは、一時期観察していたのである程度把握していた。

しかし流石にそのことを花田には告げていない。

そもそも、二人で今回の件を一から十まで話し合ったことはなかった。

両者とも恐る恐る記憶の蓋を開封している状況なため、勢い余って蓋を落としてしまわないか不安になり慎重を期していた。

どこまで話し合うべきか、手探り状態である。

そしてもう一つ、花田を尾けていたときに遭遇したあの男の件も話せずにいた。

彼は明らかに何かを知っている。

「・・・あなたって友だち多いほう?」

「え・・・どうだろ。どちらかと言えば少ない気がする。」

特に算段もなくかなり遠回しの聞き方をしてしまった。

あの男は花田を知っていたので、まず初めに考えられたのは花田と交友関係があることだが、そもそも自分自身が友達でもない人を尾行して観察し、一方的に知っていたので、友達じゃないケースも往々にあり得ると納得した。

そう、一方的に知っているだけ、という可能性があるのだ。

この特殊な状況に監視者のような存在がいてもおかしくはない。

なぜ花田を、という疑問は残るが・・・。

もしかすると参加者全員にそういった存在がいるのだろうか。

「あ、すみません。フライドポテト一つとセットでドリンクバーを。樋口は?」

「・・・ドリンクバーだけで。」

結局花田はセット料金に惹かれサイドメニューを頼んだ。

あれだけ朝食は入らないかもといっておきながら、注文したのはフライドポテト。

「重くない?」

「まあ大丈夫。つまむ?」

「いらない。」

やっぱり頼もしさは気のせいかもしれない。

二週目に突入し、やはり不安に思う樋口であった。




「で、これからどうしようか。」

「どう・・・って?」

コーヒーを啜り問いかける樋口に対し、コーラをストローで吸い上げる花田が問い返す。

「ジョギングは嫌なんでしょ。他に注力できるようなことを考えてよ。私としては身体を動かしたほうがいい気がするし、なにか運動できることを探すのがいいかなって思うんだけど。」

「ああ・・・それな。まあ、そうなんだけどな。」

「歯切れ悪いわね。なにか心配事でもあるの?・・・いやこの状況じゃあ心配事だらけでしょうけど、でもなにか対策がないといずれ————」

そう言いかけて止まる。

つい流れで発してしまいそうになったが、直前で言葉が詰まり気が付く。

はずみで喋っていいことではない。

あの惨状は忘れたくても忘れられない、人生でワースト3には入る最悪の思い出と化していた。

確かに、人の死に様とは惨たらしいものだろうという想像はしていた。

フィクションの世界ではそういうシーンも何度か見かけてはいた。

だが、大学の古い校舎で立ち会ってしまったとある参加者の最期は、想像とかけ離れた異様な死であった。

およそ人間の死に方ではない。

他の参加者も、ああいう最期を迎える可能性があるのか。

言い淀んだ言葉は、それを明らかに示唆してしまう表現だ。

冗談であろうと戒めだろうと、口にするべきではないと改めて思った。

「・・・どうして・・・。」

不自然に言葉を切った樋口の話の続きを待たず、花田をとつとつと喋る。

いつの間にか花田の顔にはさきほどまでの能天気な雰囲気はなく、その表情は微かで確かな陰りが窺える。

「どうして、おれなんだろうな。」

「?・・・参加者になってしまったこと?どうしてって、わからないわよ・・・。でもあなたもバイトの応募ページを見て、自分の足であの会場に行ったんでしょ?理由なんてそんな程度よ・・・。もしあの時もっと警戒していればって、私だって何度も後悔した。それでも、いつまでもそのままってわけにはいかないでしょ。何か考えないと。」

「・・・まあ、うん。でもやっぱり聞いてみたい。このバイトを考えた人は一体なんでこんなことを俺たちにさせるのか。」

「気にはなるわね・・・。それに運営側に何かしら働きかけるのは、解決策の一つではあるか・・・。」

樋口には一人、心当たりがいるのでこの話は前向きに検討できた。

接触できたからといって本当に解決できるかは別問題ではあるが。

「・・・あ。」

「え?樋口どうかした?」

さきほど自分がしていた考察を思い出す。

あの男がもし本当に監視者であるならば、今この場もどこかで花田を監視しているのではないだろうか。

目だけ動かして周りを確認するが、それらしい人物はいない。

が、簡単に尻尾を掴ませるような存在でもないだろう。

「・・・ざっくりな方針はできたわね。」

「え、なになに、どういうこと?」

花田の陰りは消えていた。


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