12話 嫌悪すべき人間



このゲームが始まってからすでに3ヶ月以上は経つ。

よほど鈍感な人間でない限り、自分が立たされている状況くらいは理解しているだろう。

いくつか記憶も取り戻しているはず。

だとすれば、そこそこの金銭と一緒に何かしらの情報を得ているとも想定できる。

時間が経てば経つほど自分の優位性は失われていくかもしれない。

焦りではないが、小寺にとっては早期決着が好ましい。

そもそもの前提として自身も爆弾を抱えているのだ。

住宅街の脇道でとある一軒家の様子を窺いながら、どう接触を試みるかに思考を巡らせていた。

突然話しかけても不審がられるだけだ。

ましてや、参加者という状況を考えると知らない人間との接触をより一層避けるようになっている可能性もある。

疑心暗鬼に陥っているものも少なくなかった。

ともすれば、やはり行き着く先はアルコールの席か。

警戒心を解くには手っ取り早い方法だ。

その方法で幾人かの参加者を葬ったこともある。

問題は水木唯の人柄とお酒の強さである。

最近の子はお酒を全く飲まない、好きじゃない傾向がある。

大学3回生の彼女がどちらのタイプか、ここは賭けになってしまう。

そうこう考えているうちに玄関から水木唯が出てくる。

登校の時間なのだろう。

あれこれと策を練っていたが、接触方法については定まらずにいた。

あまり時間もかけたくないが、かと言って無策で声をかけても意味がない。

前々から考えてはいたものの実践せずにいた、温めていた策を小寺は試すことにした。

「あの!すみません!」

「・・・え?私、ですか?」

「はい、あ、突然すみません。私小寺と申します。実は・・・ちょっと、助けていただきたくて、あの、えっと・・・。」

話しかけておきながら自ら困惑して焦っているフリをする。

自分より慌てている人間を見ると逆に冷静になり、心に余裕が生まれるはず。

大人になるにつれ身につけた処世術を、学生を陥れるために活用する。

歪んだ状況に見えるが、食い物にされるのはいつだって弱者である。

ある意味でこれが、この世の正しい姿だというのが小寺の認識だった。

「あなたも、あの説明会に出た方・・・ですよね?参加者・・・ですよね。」

瞬間、水木の体が強張ったのがわかった。

いくら心に余裕を持たせようとも、このことを口にすればそうなるのは予想していた。

水木は後退りして逃げ出そうとするが、その手を握り懇願する。

「まって!お願い、話を聞いて!違うの・・・私も、どうすればいいかわからなくて、頼れる人もいなくて、だから、協力できる人を探したくて・・・。」

根拠があるわけではないが、哀れんだような水木の顔を見て小寺は確信した。

この娘は席を譲るタイプだ。




少し時間を空けて冷静さを取り戻したフリをし、大学の後でいいからと連絡先を交換してその場を終えた。

恐らく昼過ぎにはなるということで、街中でカフェに入り時間を潰す。

水木と協力関係を結ぶ。

表向きには、この状況を二人で乗り切ろうと信頼関係を構築して情報共有をする。

全てが嘘になるわけではない。

実際に協力はするだろうし、その方がこれからの方針も立てやすくなる。

だが、小寺の目的はあくまで別にある。

最終的には切り捨てるつもりでいるので、与し易いと思われる彼女はその役にうってつけだ。

当たりだ、こういう人材を待っていた。

ホットコーヒーを啜りながら、今後の展望を考えて心が弾む。

自分はやはり幸運で、選ばれしものなのだ。

この状況は一見不幸に見舞われていると思われかねないが、自身に富と高揚感を与えてくれるゲームなど、他に存在するだろうか。

そう考えると、このゲームに恐怖し満足に楽しむこともできない水木が不憫でならない。

なぜもっと前向きになれないのか。

あなたのような人はいつだって、勝手に自分を追い込んで悩みに悩んで、結局他人に道を空け渡す。

かわいそうな人。

まだろくに話してもいない相手だが、ある種の情が湧く。

協力関係になったら出来る限り愛でてあげよう。

不安を取り除いてあげよう。

私を目一杯信頼してちょうだい。

最後の最後に、裏切ってあげるから。

コーヒーカップについた口紅を愛おしそうに眺めて、惜しそうに拭って消す。

また口をつければ飲み口が紅く染まるわけだが、その度に拭って消す行為がなぜか可笑しくて繰り返してしまう。




冷め切ったコーヒーを、時間をかけて飲み干した頃に水木は訪問してきた。

「すみません・・・講義が長引いちゃって、お待たせしましたよね。」

「いいのよ、こっちがお願いしちゃったんだもの。むしろごめんなさいね。」

今朝と比べて立場が入れ替わったようにも思えるやり取りであった。

小寺の言う通り、無理を言ってこの場を設けさせてもらったのは小寺のはずだが、水木は申し訳なさそうな面持ちで謝罪から入った。

すでに心理的には同じ立場か、若干小寺のほうが上のようになっていた。

「それに、思い出したくないこともたくさんあるでしょうし・・・人に話すのだって怖いわよね。」

「・・・はい。出来ることなら、あの、刺激を受けたくないといいますか・・・。」

「私もそうだった。ただね・・・このままだと結局なにも解決しないし、ずっと不安を抱えて生きていくのは嫌なの。だから、だれか同じ立場の人と協力して何かこの状況を抜ける手がかりを探せればと思って。」

「それは・・・私も嫌ですけど・・・でもかといって手がかりを探せば探すほど、何かを思い出すってことじゃないんですか?だとしたら、やっぱり何もしないのが一番じゃないかって・・・。」

「なんの拍子にどの記憶を思い出すかなんて、わかったもんじゃないわ。私たちがこんなことに巻き込まれているのは、こんなバカなこと考えた運営者のせいでしょ?運営者を見つけ出して交渉するのが一番なんじゃないかと私は思うの。」

口から出まかせを話した小寺だが、部分的には本心も含まれていた。

多少感謝はしているが、こんなバカげたゲームを主催する運営者はやはりロクな人間ではないだろう。

会って一言二言苦言を呈したい気持ちは十二分にある。

「・・・。」

黙り込みながら水木は、カバンの中から一枚の紙切れを取り出した。

しわくちゃになった小さい紙切れだ。

小寺には見覚えがある。

しかし予想とは違い、それは白紙でなにが記されているわけでもなかった。

「小寺さんも持ってましたか?こんな感じの紙。」

「・・・ええ、自分へのメッセージカードよね?でも水木さんのそれ、なにも書かれていないみたいだけど。」

「最初はよくわからなかったけど、思い出したんです。私、自分にメッセージが残せるって聞いて、何を残せばいいか色々考えていたはずなんですけど、でも結局なにも思いつかなくて時間内になにも書けなくて・・・。そんななんでもない紙を大事に握りしめて放り出されていたんです。昔からそうなんです。優柔不断で、自分から積極的に動かないし、友だちも多くないし、バイトも接客とかは全然できなくて、でもお金もないからどうにかしなきゃいけないし・・・。こんなんだから母も私のことを心配して私にあったバイトを探してくれてたんですけど、父は甘やかせすぎだって言って二人が喧嘩しちゃうこともあって。今はもう会話もしないくらい不仲になっちゃって・・・。」

聞いてもいない自分の事情をペラペラと話す水木の姿を見て、これは見誤っていたと小寺は思い直す。

この娘は席を譲ってきたんじゃない。

席取りの競争に参加しようとすらしなかっただけだ。

「だから、私は余計なことをしないのがやっぱり一番なんじゃないかと、思っちゃうんです。」

驚きを通り越して呆れ返る。

そんなどうでもいいことで身動きが取れなくなるというのか。

小寺にとって水木のような存在は嫌悪すべき怠惰な人間であった。

この競争社会に生きながら、競争することを放棄してルールの外にいようとする。

相容れない。

が、今回結ぶ協力関係という点ではやはりちょうど良い人物であった。

もともとそういう人間だが、この娘であれば裏切っても心は全く傷まないだろう。

「・・・水木さん。やっぱり私たちで、協力してこの状況を乗り切りましょう。」

「でも!」

「大丈夫!確かに水木さんの心配はわかるわ。ただ、考え込んじゃうときっていうのは一人でなにもしていないときなの。嫌なことがあって、後ろ向きになってああでもないこうでもないって、一人だとどうしても思い悩んじゃうものなの。」

「それは・・・はい・・・。」

「だから、さっき言ったような運営者を探すまではしなくても、協力できる人となにか対策を練ることは必要だと思うの。この紙に何も書けなかったのは、むしろ余計なことを思い出すきっかけを一つ潰せた良いことだとも思わない?そんなに卑下することはないわ。きっと二人ならなんとかなる。だから、お願い水木さん。」

励ましながら、しわくちゃの白紙を水木に返す。

ふと思い出す。

以前もこんな感じでメッセージカードを渡していた。

街灯の少ない、暗がりの路地裏。

あれだけじゃ記憶の刺激としては弱かっただろう。

現場を見られたし、さすがに焦ってしまった気がする。

あのサラリーマン、ちゃんと死んでくれたかしら。



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