9話 田岡重の罪
私は悪くない。
しかし私は責任を問われている。
無能な部下たちの所為で。
田岡重の思考の器は責任の所在についての話で溢れかえっていた。
上席に管理職としての能力不足を疑われたが冗談ではない。
ほかの部下は粗方成果を出し計画売り上げを達成している。
ほんの数人精神を病んだり休職したりするようなことがあっても、それがなんだと言うのか。
部下についての損害よりも会社への実益のほうが明らかに大きいはず。
なのに周囲は針小棒大に話を持っていき、人事面談で部下との接し方に関する粗探しをしてくる。
ここまで大事にすることではないだろう。
田岡には仕事に対して真摯に向き合い利益を追求して会社に貢献してきた自負があるため、現在自分が置かれている状況に納得いかなかった。
新卒から勤め上げて20年余り、上司にへつらい齧り付くように仕事を覚え、サービス残業サービス休日出勤をこなし、身体を壊し出勤してこなくなる同僚を尻目に雨の日も風の日も自身が熱を出した日も、変わらず出社して会社への忠誠心を示してきた。
ところが近年、働き方改革なるものが浸透してくると田岡の示してきた忠誠心は時代遅れの奴隷根性だと非難されるようになった。
部下が上司を評価して選び、教えられていないことは出来なくて当たり前、残業代は分単位で支給、休日出勤には代休を用意し、体調が悪いなか出社するとかえって怒られ帰宅しろと言われる始末。
これが本来あるべき姿だと人はいうが、田岡にとってはことごとく常識を覆され、今までの自分を否定された気分であった。
「おれがなにか間違ったことしたか?管理下にいる部下が何人いると思ってるんだあの人事部の無能どもは。こっちは利益を求めるのに忙しいんだってのに、しなくてもいい無駄な作業で仕事した気になりやがって。」
「おいおい悪い酒になってるぞ。」
「精神を病む奴なんてな、しょせん暇な人間なんだよ。忙しかったらしょうもないことでアレコレ悩んでいる暇もないんだから。悔しかったらまずは与えられた仕事をこなしてノルマ達成してから言えよな。」
人事面談での詰めを神妙な面持ちでやり過ごした日の終業後、同期入社の同僚と安居酒屋に入った田岡は愚痴が止まらなかった。
本当に一片の陰りもなく自信を持ってそう思うのであれば、思いを吐露するところはこのような場末の酒場ではなく先ほどまで詰められていた面談室のはずだが、そこまで考えが回らなかった。
「お前はとことん現代に合わない男だよな。確かに前期の目標数字は大幅に達成してたけど、人が減っちゃ元も子もないんじゃないか?」
「だから、そもそも補充される人材に難ありだって話だ。要するに人事部の目は節穴なんだよ。」
「そんな変か?風間ってやつのことはあまり知らないけど、相川なんて人当たりもいいし仕事もそつなくこなす至って真面目な社員の印象だったけど。」
「いくら普段が真面目そうでも、結局無断欠勤が続くようであれば信用なんてできるわけないだろ。それにお前、風間と仕事したことないだろ?あいつの反抗的な目はやばいぞ。あれで敵意を隠してるつもりなんだからな。」
「でもあいつは一応断りを入れてから休職したんだろ。」
「形上はな。適応障害の疑いがあるので休ませてくださいって淡々と言い放ってきたんだ。ふざけるなと怒鳴りたい気持ちもあったが相川の件もあったし、こっちは受理するしかないじゃないか。」
「とにかく、お前はそれ以前にも前例を出しているんだから大人しくしてろって。人事もそう思ったから休暇を出したんだろ?」
「・・・でもいきなり休みを入れてちょっと頭を冷やせって言われてもな。」
「最近は有給休暇の消化率も問題になってるんだ。それくらい知ってるだろ。休むことも会社への貢献だよ。一回リフレッシュしてこい。」
田岡は現代社会の変化に対応しきれずにいた。
個よりも全、自身を犠牲にして会社に奉仕することを美徳としてきたが、それが通用しない世の中になり生き辛さを感じていた。
休みがあれば気が晴れる、というわけではない。
人によってはむしろあれこれと考え込んで疲弊する一日になってしまうだろう。
田岡もその部類の人間であった。
急に時間が空いた仕事人間など暇を弄ぶだけだ。
自分が言った言葉を反芻する。
『精神を病む奴なんてな、しょせん暇な人間なんだよ』
本心から出た言葉だが、では自分が暇になったら考え込んで精神を病んでしまうのかと言われると、そんなことは想像だにできない。
後天的な要因もいろいろあるのだろうが、結局は個人の資質によるところが多いとも田岡は感じていた。
それも考慮した上で、しっかり心身ともに自己管理をして務めを果たすべきだというのが田岡の持論である。
「リフレッシュ、ねえ・・・。」
家でなにをするでもなくテレビをただ眺めていた。
妻は働きに出ている。
娘も学校へ。
一人虚無の空間に放り出された気分であった。
しかし仮に家に誰かが居たとしても大して変わらなかっただろう。
家族仲が悪いというわけではないが、妻ももともと仕事人間で必要以上に干渉してくるようなことはない。
娘は中学生になり思春期に入った影響か、田岡と口を利く回数が減っていた。
さらには門限などのルールで娘の行動を縛っていることも多いため、直接的に反抗はせずとも親のことを鬱陶しがっているのは明らかだった。
休日に家で過ごすことになっても皆それぞれ自分の部屋にこもり、自分だけの時間を満喫するだけだ。
念の為会社から持ち帰ったノートパソコンが目に止まる。
結局のところ、仕事が日常となっている男の気が休まるときとは、仕事に触れている瞬間なのだ。
目的はリフレッシュなんだ、仕事をするなって話でもないだろう。
屁理屈を頭のなかでこねてノートパソコンの電源を入れる。
日常に戻ったことで安心感が湧いてくる。
現代人に言わせれば異常かもしれないが、これが田岡の正常である。
気分よくメールチェックから行っていると、一つの受信メールが目に止まる。
From:風間 光輝
今朝の時間に風間からメールが届いていた。
あいつは今休職中のはず。
その性格からして、休みの間に仕事をするような仕事人間タイプではない。
・・・なにかよからぬ企みをしている。
そう予感したのは、表示されている件名からも明らかであった。
Subject:私はあなたの秘密を知っています
憤慨するよりもまず焦りが生じる。
敵愾心をまざまざと見せつけるこの件名だが、ただの出まかせだとも思えなかった。
田岡には思い当たる節がある。
目を細めて恐る恐るメールを開くと、
【当日支給50,000円。見込みがあればその後も支払いあり。頭を使うお仕事です。】
と記載されていた。
一見謎の文面だが、見る人が見ればハッとする内容である。
田岡も参加者なのだ。
わけあって小金が必要になったため、周囲には秘密で応募したバイト。
それを知っているということは風間も参加者だったか。
しかしそのことを知っているだけでは脅しとしては弱い。
風間も参加者であれば同じ穴の狢である。
小金が必要になったわけを知っているのではと勘繰る。
であれば無視することは出来ない。
田岡の人生を壊しかねない秘密だ。
メールの下部には住所と日時が載っている。
呼び出しというわけか。
先に来た焦りの感情を追い越してようやく怒りが顔を出す。
部下の分際で何様だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます