8話 アクティブプレーヤー



風間が通うべきなのは果たして外科か精神科か。

結果として頭への外傷となったわけだが、原因は頭の中に巣食う澱んだ記憶の欠片であることは明白だった。

全てを医師に話すことができればどれほど楽になれるか。

今自分の身に起こっている事象はとうてい信じてもらえるようなものではないだろう。

まずは精神異常を疑われるに違いない。

それに無関係な人に話すのはなにかしらのペナルティが課されるのではと勘繰ってしまい、憚られた。

認めたくはないが、案内人の女性は『ゲーム』と称していた。

無関係な人物を頼ってゲームクリアするのはルール違反のような気がした。

そんなあるかないかも分からないものを守る必要はないはずだが、自分の生殺与奪が握られており、一挙手一投足が見られていると思うと、余計な行動は慎むべきと考えた。

そしてなにより、人に説明することによって脳を刺激され残りの記憶を揺り起こしてしまうのが恐ろしい。

ふとしたきっかけで思い出す。

そこに自分の意思は関係なく、記憶をコントロールすることはできない。

当たり前の事実だが、なぜ自分の脳なのにままならないのか今になって腑に落ちなかった。

・・・頭に詰まっているのは本当に自分の脳なのか?




「それではお呼びするまでそこの待合室でお待ちください。」

「・・・はあ。」

風間はメンタルクリニックに来ていた。

頭の傷を病院で手当てしてもらい、自傷行為の理由を問われて答えに窮していたところ、話し辛ければここで聞いてもらえばどうかと医師から紹介されたのだった。

正直、風間はかなり渋っていた。

メンタルクリニックに頼らなければならないほど追い詰められてはいないと、思い込もうとしていた。

風間の中でそれは、窮地に立って行き場を失くした者の最後の逃げ道だという理解であった。

精神を病むなどあり得ない。

実際にそう言ったわけではないが、紹介してきた医師にやんわりとそのような感じで伝えて断った。

しかしその後間髪入れずに、ご自身の状態が問題ないことを証明するためにも一度行ったほうが良いと言われ反論できなかった。

そして今、風間は言う通りに訪問している。

待合室の椅子に座り視線だけ動かして周囲の様子を窺う。

こうして見てみると思ったより通院している患者も普通だと感じる。

もっとどんよりとした顔で、いかにも何かを抱え込んでいる人が大勢いると想像していた。

現実には何食わぬ顔をしてスマホをいじっていたり、大股開いてふんぞり返って座っている人もいる。

格好もさまざまで、華美な服に派手な金髪のバンドマンのような女性、スーツ姿のサラリーマン、Tシャツとジーパンで簡単に済ましている男性など、多種多様な人間が来ており、そこに傾向は無いと思える。

頭に包帯を巻いた自分が浮いてしまうのではないかと思ったがそれは杞憂で、多種多様な人間たちの一人として馴染んでいた。




「風間光輝さんですね、よろしくお願いします。」

「はい、よろしくお願いします。」

「気分が優れない、とのことですが何かお悩みでもございますか。」

「はあ・・・まあ、そうなんですが、その・・・。」

診察室に入りカウンセリングが始まっても実のない話になってしまう。

診察前に問診票を記入したが具体的なことは書かず憂鬱な気分が続いているとだけ訴えた。

話せる内容が圧倒的に制限されている中でどう伝えれば良いのか。

風間に何か算段があるわけでもなく、ただ漠然と縋る思いで来てしまったのだ。

「人に話しにくいことであれば無理にお話いただく必要はありませんよ。風間さんのお気持ちが少しでも軽くなる方向に、私はお力添えしたいだけですので。」

ここに来て最初に感じたことだが、事務員もカウンセラーも皆目一杯に優しく語りかけることを心がけているようだ。

来院する患者の性質が性質だけに、そこは徹底的に教育されているように思える。

仕事として割り切ってそういう対応をしているのだと風間は理解しているが、今はその仕事上の優しさが心強く思う。

反面、どれだけ自分の心が弱っていたのかを痛感した。

「そこまで深い悩みってわけじゃないんですが・・・ちょっと気になることがありまして、あの、その気になることが頭から離れなくて、気にしなくなるにはどうすればいいのかなと。」

「なるほど・・・風間さんは物事に敏感なんですね。確かに一回気になり出したらずっと頭の中に残ってほかのことが手につかなくなる、という方は大勢いらっしゃいます。解消方法には主に二つの方向性があります。一つは直接的なもので、信頼できる人に悩みを打ち明けて心を軽くしたり、問題解決に向けてアプローチをすることです。もう一つは間接的なものですね。まずは生活習慣を整えて身体の健康に重きを置くことです。身体が不健康だと精神にも異常をきたすケースはままありますのでまずは身体のメンテナンスから、ということですね。あとは別のことに注力するという方法があります。今この瞬間に注意を向け、受け入れることに焦点を当てることです。過去の出来事や未来の心配に囚われず、現在に集中することで、悩みが引き起こす不安やストレスを軽減することができます。」

カウンセラーの説明のなかで一つ、風間はひっかかりを覚えた。

「問題解決に向けてアプローチ・・・。」

「?・・・ああ、そうですね。もし風間さんのなかで明確にここが原因だとわかっている部分があれば、それの解決に向けてなにか行動すれば良い方向にいくかもしれませんね。」

先日の妖艶な女性を思い出していた。

もし彼女が本当に参加者で自分と同じ立場の人間であるとすれば、自分はあの状況であんな楽しそうに笑うことはできるだろうか。

少なくとも今の自分には無理だ。

そう、あれは楽しんでいた。

まるで自分の思い通りに事が運んでご満悦、といった感じに。

ゲームに置き換えれば彼女はアクティブプレーヤーということだろう。

ゲームクリアに積極的で、他者を蹴落とすことも厭わない。

風間にとっての問題、それはこの不条理なゲームの参加者になっていること。

解決、それはこのゲームから無事に抜け出すこと。

ではアプローチとは?

この状況下、問題解決に向けてのアプローチとはなにを指し示すのか。

その答えを、風間はあの妖艶な女性に見出した。

「・・・先生、ありがとうございます。」

「なにかご自身のなかで納得のいく答えが出たみたいですね。良い顔をされております。またなにかあれば遠慮なくいらしてください。」

カウンセラーの判断は半分正解で、半分勘違いである。

清々しい顔をしているように見えた風間だが、その心は未だぐちゃぐちゃでなにが正解なのかは分からない。

しかし自分が思い悩まないためにどうすればいいかは理解できた。

その理解とともにある感覚が風間に押し寄せる。

これはスリルだ。

自分が記憶の綱渡りをする最中、同じく綱渡り中である他者の背中を押す行為。

自分が落ちる前に他者を落とせるか。

なるほど、これは紛れもなくゲームだ。



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