7話 思ったより頑丈で
テレビをつけてザッピングし、ニュースをいくつか見回す。
ネットで検索もしてみたが、それらしい話は見当たらない。
昨日のアレは公になればまず間違いなく事件として処理され騒ぎになるはずだ。
だが今のところそうはなっていない。
いくら袋小路で人通りの少ないところとはいえ、人一人が血まみれで倒れているのだから陽が昇ればすぐにだれかが発見するだろう。
そうならないということは、だれかが隠したのか。
今からでも通報するべきか風間は考えた。
しかし、思い出してしまった記憶がそれを頑なに拒んでいる。
あの二人は参加者だ。
そして自分も参加者である。
今の仕事に不満があったのは事実だ。
サービス残業の毎日、上司は頑固オヤジ、稼ぎがいいわけでもない。
このまま今の会社に勤め続けるとことなどあり得ないと考えていた風間は、一度まとまった金を作って会社を脱出するすべを模索していた。
そんな中見つけた日当5万円のバイト。
見込みがあれば更なる報酬もある。
仕事に疲弊する毎日で思考が麻痺していたと言えなくもない。
副業禁止などクソ喰らえと、導かれるままにそのバイトに参加してしまった。
【忘れた記憶は】
あの女性から渡された紙切れにはそう記されていた。
後に続きそうなこの文章、これだけでなにかを連想するのは難しい。
しかしそれでいいのかもしれない。
思い出せば思い出すほど報酬が出るのは間違いないのだが、行き着く先は死であることを朧げに理解していた。
説明会で壇上から話をしていた案内人の女性は、『全てを思い出せばゲームクリア』と表現していたが冗談ではない。
当時の参加者たちも同じことを思ったのか、ところどころでざわつき抗議の声をあげる人間もいた。
だが案内人の女性はニコニコと笑顔を崩さず—————
そこまで考えて自分の頭を小突く。
考えてはいけない。
いくら金がもらえようとも死のリスクに見合ったものではない。
手元にある茶封筒を見ながら風間は鳥肌が立った。
昨夜、家に帰るとポストに無造作に突っ込まれていたこの茶封筒。
中には万札が10枚入っていた。
一部を思い出した報酬、ということだろうか。
どこまで思い出せばいくらもらえるのか。
死んだ人間にも報酬があるのか。
おれが忘れた記憶はあとどれくらいあるのか。
そもそもどうやって記憶を消したのか。
これを企画した奴らはなにが目的でこんなことをするのか。
また思考を巡らせていた風間だが、今度は壁に強めに頭突きをする。
「・・・考えるな。」
幸か不幸か今日は休暇日である。
一人で家にこもっているとロクでもないことを考え込んでしまうので、外に出てぶらぶらと歩き回っていた。
「光輝から誘ってくんの久しぶりじゃない?もう、ほんと気まぐれなんだから。」
「なんだよ、美希だって暇だったんだろ。遊びに行きたくなかったのか?」
「そんなこと言ってないじゃん。」
だれかと話していたほうが気が紛れると思い、何人かあたって昔の学友である美希を連れ出していた。
腐れ縁というやつで、特別仲が良いわけではないがどちらかが暇なとき、あるいは寂しさが募ったときに気兼ねなく呼んで遊べる関係の二人だが、交際関係になったことはない。
風間はこれくらいの、深入りしない絶妙な距離感を一番好ましく思っていた。
ただどちらかというと美希からの誘いのほうが多く、それを風間が断るケースが増えていたため、両者の温度感が一緒ではないことを薄々風間は感じていた。
感じてはいたが気付かないフリをしていた。
「・・・あれ、頭どうしたの?ケガ?」
「ああ、ちょっと酔って転んだだけだって。」
今朝、壁に頭を打ちつけて赤くなっていた箇所を美希に見つけられ、ありきたりの言い訳をしてしまった。
本当のことを言えるわけがない。
そもそもその件を忘れるためにお前を誘って出かけているんだぞ。
美希にとっては気付きようもない理不尽な言いがかりを頭の中で唱え、不機嫌そうな返事をした。
明らかに顔を歪めている風間の様子を察し、美希は話を逸らす。
「で、どうなのお仕事。なんかこの前もう転職するとか言ってなかったっけ?」
逸らしたつもりがこれもややもすれば地雷を踏み抜きかねない話題であった。
「・・・準備してるよ。流石にあんなところに人生捧げるつもりはないし。この前も同僚が一人、うつ病かなんかで休職してたわ。今どきじゃないよな、詰めれば成果がでるわけじゃないっての。もっと効率よく仕事させろって話だけど頭の固い頑固オヤジどもはそれが理解できないんだ。でも休職するやつも休職するやつだよ。あんくらいの詰めで精神病むかフツー?みんなそれに耐えながら仕事してんだから甘えんなよな。気にしすぎなんだよ。繊細かなんか知らないけどさ、世の中敏感なやつが偉いわけじゃないだろ。」
いつの間にか熱く語っていたことに気付き、風間はハッとする。
頭の中だけで批評をしていたはずが、はずみでつらつらと話してしまった。
隣で歩いている美希の表情を確認したわけではないが、押し黙っている様子を考えると突然ばら撒かれた不満の弾幕に面食らっているのだろう。
「まあ、とにかくそのうち転職するよ。」
「・・・そっか。」
そう言ってしばらく沈黙のまま街をぶらついた。
二人は特に目的もなくショッピングモールに入り洋服や雑貨店を冷やかしていた。
休日のため往来も多く人混みを掻き分けるように進んでいくほかない。
しかし奥へ奥へと歩いていると、とたんに人のいないガラ空きのスペースができており、その空間に二人は入った。
まるでその空間に入ることを周囲が避けていたかのようなスペースだが、その中心を見ると理由がわかった。
しわくちゃのスーツを着た中年男性が、おぼつかない足取りでブツクサとなにか喋りながらゆっくり歩いていた。
明らかに関わってはいけない不審人物だ。
「・・・光輝、ちょっと離れよう。」
この類の人間には目も合わせてはいけない。
変な因縁をつけられて不幸になるに違いない。
普段の風間であれば美希の提案通りそそくさとその場を離れるはずだが、その日はその不審人物のある点が気になり、釘付けになった。
「光輝?どうしたの?」
「頭・・・。」
「え、・・・あー、ケガしてるっぽいね。あの人も転んだんじゃない。」
風間と同じようなところに、ケガをしていた。
それだけではない。
その男がボソっと発した言葉を、風間は聞き取ってしまった。
「えるな・・・。考えるな・・・。」
『考えるな』
確かにそう言っていた。
今朝の自分とリンクする。
・・・あいつもそうなのか?
おれもああなるのか?
身だしなみの汚い憐れな中年サラリーマン、頭の傷、よろよろの足取り、危険な精神状態、忌避される存在。
もし自分が最悪の未来を辿ってしまうと行き着く最終形態の姿。
共通点などさして多くないが、今の風間にはそのように思えた。
まずい、何かを思い出しそうな予兆がある。
「フゥー、フゥー、フゥー。」
息が荒くなる。
動悸も激しい。
いっそ精神でも崩壊してくれればこんな思いをせずに済む。
しかし自分の心は思ったより頑丈で、思ったより繊細であった。
決して壊れはしないがその器の中身はあまりにも無防備で、ぐちゃぐちゃに掻き回されていた。
ほかでもない、自分の記憶によって。
蘇ってしまう。
『ふざけてなんかいません!皆さんの記憶は一旦封印されるだけです!ふとしたきっかけで簡単に思い出すことができるでしょう!』
いやだ。
『全てを忘れた自分のために、少しだけメッセージを残すことができます!字数制限もあるのでしっかり考えて書きましょうね!』
思い出すな。
『みなさんが思い出しやすいように、インパクトのあるシーンをご用意しております!ここを思い出せば一気にゲームクリアも夢じゃありません!それではご覧いただきましょう!全てを思い出した人間がどうなるか実演形式で—————』
「やめろ!!!!!」
「光輝!?」
「やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ。」
自分の危機感とは裏腹に、脳は思い出すことを止められない。
風間は膝をつき、頭を激しく地面に何度も打ちつけていた。
「ちょっと光輝!どうしたの?やめよ?ねえ!」
「やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ。」
しかし風間は止まらない。
思考が停止するまで、意識が遠のくまで。
ショッピングモールの警備員に力づくで止められるまで風間は頭を揺らし続けていた。
風間の頭も、思ったより頑丈であった。
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