6話 貶す風間光輝
「んだよ、お高く止まりやがってよ〜!こっちから願い下げだっての!」
風間の悪態はトンネル内に低く響き渡った。
周囲へ配慮をせず大声で発した言葉。
普段なら憚られるような行為だが、アルコールが入っているせいか態度が大きくなり、不埒な物言いを反響させているその行為に一種の高揚感を覚えた。
「まあまあ〜いいじゃないですか風間さん。そういうつまらない女は一定数いますよ。あんまりこだわっているとそれこそつまんないですよ〜。」
「ちょっと顔がいいからってクソみたいな態度とってよ・・・。鼻につくぜ。せっかくおれが話フってやってんのに、はあとかまあとかやる気のない返事しやがって。会話をしようって努力が足りないんだよ!おまけにLINE入れても既読一つつけやしねー。」
「それはブロックされてるからでしょうね。」
「うるせーよ!」
この前参加した飲み会で席を共にした女性が、やれ愛想がないだのやれ性格ブスだのと数日経った今でも不満を垂れ流すほど気に召さなかったらしい。
仕事帰りに後輩の相川と二人で寄った立ち飲み屋でもその愚痴は止まらなかった。
その帰り際でもこの有様である。
「じゃあぼくはこの辺で。」
「おいおい、相川おまえJRじゃないのかよ。なら同じ方向だろおれと。」
「あ、いえ、今日は地下鉄のほうが乗り換えの関係で早く帰れるので。」
「付き合い悪いぞ。」
「いやーすみません。でも頭のケガもありますし、少しでも早く療養したくて。」
駅に向かって歩いていたが、このままずっと愚痴に付き合わされるのを危惧したのか、途中で帰り方を変更し風間と別れた。
先日相川は、記憶が曖昧になるほど酒を飲み街路樹に突っ込んでケガをしたらしく、頭に包帯を巻いた姿でこの一週間出社していた。
そんな状態でも少しは付き合い、後輩としての責務を果たしたのだが風間にその想いは伝わらなかった。
「ったく、協調性がないやつ世の中に多すぎだろ。」
さっきまでとは打って変わって小声でぼそりと呟いた。
アルコールが回っていても一人の心細さには勝てなかったか、先ほどまで我がゆく道ぞと闊歩していたが気が付けば道端に寄って平然としたフリをし、背広と革靴を装備したサラリーマンらしい姿になっていた。
そうしているうちに頭が冷えると、風間のいつもの癖がで始める。
横に並んで歩いて道塞ぐなよ、迷惑だろ。
一目も憚らずいちゃつきやがって、カップル滅びろ。
地べたに座り込むとか、神経を疑うわ。
周囲を観察し、すれ違った人々に対して頭の中で貶す。
風間にとっての世の中は気に入らないもので溢れかえっている。
しかしそれを誰彼構わず吹聴すれば自分の評価を落とすと理解しているくらいには常識がある。
かといって溜め込んで上手く消化できるほど器用な人間ではない。
いつの間にか風間は、こうして頭のなかで批評家となることにより鬱憤を晴らすようになっていた。
弁えていると評するか小心者だと嘲笑うか、少なくとも風間自身は周囲に迷惑をかけていないから問題ないだろうと自負していた。
「うわ、あんなにフラフラに歩いてあぶねーだろ・・・。」
これまで同様に頭の中だけでぼやこうとしたが思わず声に出てしまう。
二人組の女性がふらついた足取りで歩いていた。
オフショルダーのトップスにタイトスカートを履いた妖艶な女性に風間は目をついた。
二人はそのまま脇道に逸れて暗がりに向かっていく。
優しさか卑しさか、風間は二人の行方を目で追っていた。
好奇心も募り声をかけて介抱してやろうとさえ考え、視線の先に体を向けて後を追った。
魔が差した、としか言いようがない。
人気のない袋小路に行き着く。
街灯も少なく、二人の女性がどのような色の服を着ているかも見分けがつかない。
一人はうずくまり、もう一人は介抱しているのか背中をさすりつつ何か声をかけている。
飲み屋街の路地裏ではよく見る光景だ。
おれも協力してやろうと声をかけようとしたその瞬間。
「オ゛エ゛ア゛。」
うずくまっていた女性が吐き戻した。
これはなかなか重症だなと、頭に浮かんだ言葉とは裏腹に心はまだ平然さを保っている風間であった。
構わず声をかけようとしたが、再び止まる。
吐瀉物にしては綺麗すぎる。
胃液と咀嚼した食べ物が入り混じったぐちゃぐちゃな状態ではなく、鼻を刺すようなツンとした酸性の異臭がすることもない。
代わりに、ほのかに鉄の臭いがした。
違和感で固まる風間をよそに、女性は痙攣しながら口から吐き出し続けた。
よくよく見てみると口だけではなかった。
目から、鼻から、耳から、穴という穴からそれは流れ出していた。
暗がりで分からなかったがようやく風間は理解する。
血液だ。
ただの酔っ払いではない。
急性アルコール中毒でもない。
なにか重大な事態に陥っていると感じた。
「あ・・・あ・・・。」
しかし風間は動けない。
介抱していると思っていた隣の女性がこちらに気付き、笑って風間を見ていたからだ。
「ア゛ア゛、ア゛・・・。」
しばらくしてうずくまっていた女性は力無く腕を落とし体が崩れ落ちる。
隣の女性は背中をさすってはいたが、実のところ軽く手を置いていただけで体を支えていたわけではなかった。
初めからこうなることがわかっていたかのように、横たわった血まみれの人間に見向きもせず女性は立ち上がり、こちらに向かってゆっくりと歩き出す。
蛇に睨まれた蛙とはこういうことなのか。
体は微動だにしないが、不自然なほど頭は冷静でこの場に似つかわしくない言葉遊びをしてしまう。
「あなたも思い出させてあげようか?」
そう言って妖艶な女性は一枚の紙切れを風間に渡し、その場を去った。
この異常事態に体は危険信号を出しており、汗が噴き出て手足の震えが止まらなく、今すぐ走り去りたいと訴えかけていたが、脳の処理が追いつかない。
脳がバグると思考停止状態ではなく、別のことに頭がフル回転するのだと風間は初めての発見に、わずかで確かな謎の達成感があった。
「あの女、化粧濃すぎだろ。」
風間光輝は貶した。
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