5話 アガリ
今の時代、名前さえ分かればどこのだれで何をしている人なのか調べることは容易い。
花田佑一郎は学部こそ違えど樋口と同じ大学に通う大学生であった。
彼は何か知っている。
いや、何かに気付いたというべきか。
とにかく自分と同じ境遇で自分より一歩か二歩先の立ち位置にいるのではないかと樋口は推量した。
そしてその気付きは恐らく、気付かなければよかったと思ってしまうような不吉なものだとも。
そこまで分かっていながらなぜ樋口は、彼の行方を追い動向を探り接触を試みようとしてしまうのか、己の矛盾した行動に自分自身で説明ができなかった。
「知らない」ことを知ってしまったが最後、ということだろうか。
花田の行方はあっさりと割れた。
彼は行動パターンが固定化されている。
大学の講義に出て学食でお昼休憩を取り、講義が全て終われば帰宅するかバイト先へ行く。
一見、普通の大学生のルーティンで特別おかしなところはない。
だが彼の友人たちからすると、彼の行動は奇妙なほどいつも通りだと言う。
端的に言えば、露骨に変化を嫌うようだ。
それを聞いてから改めて彼の行動を観察していると、なるほど確かに奇妙だと感じる。
講義に出席するのは真面目な生徒であれば当然の振る舞いだが、肝心の講義内容には興味がないらしく、寝ているかスマホをいじっているだけ。
その割には単位取得に出席が必須でない講義についても足繁く通っている。
学食ではいつも唐揚げ定食を食べている。
はっきり言ってこの大学の学食には690円の価値はないと樋口は考えており、特に花田がいつも食べている唐揚げは鶏肉の臭みが取りきれてないのか口に含むのに抵抗を覚えるほどだ。
帰宅する際にはどこか寄り道することもなく、まっすぐ帰る。
ここ数日ストーカー紛いの観察を行なっていたが、見れば見るほどいつも通りな男で、観察していたからこそ分かる不審人物であった。
そんな行動を取るようになったのは、紙切れの助言を聞き入れてのことなのだろうか。
【奴を信じるな】
奴とは誰のことなのか。
なぜ信じてはいけないのか。
花田が書いた、記憶を失くした自分へのメッセージなのか。
「君、花田くんの友だち?」
「え?」
夕方、キャンパス内で花田を尾行していると後ろから急に声をかけられ心臓が跳ねた。
知らない顔だった。
・・・いや、会ったことあったか?
「いえ、あの、だれですか?花田って。」
逡巡したのち、とぼけることにしたがこれはかなり苦しい。
友だちかと声をかけてきたということは自分が花田を追いかけていたのが十中八九バレていたからではないか。
「ふーん、そっか。でもそろそろ気をつけて見ておいたほうがいいかもよ。彼、とっくに日常が崩れてるから。」
「どういうことですか?」
何が言いたいのかよく理解できない。
しかしなぜか目の前の人と話していると胸が早鐘を打つ。
「かわいそうに。花田くん、このままいくと一気にアガリまで一直線じゃないかな。ここのところずっと見てたんでしょ?なにか気付かなかった?それとも、脱落を見届けようとしてたのかな?だったらごめんね、お邪魔だったね。」
「ちょ、ちょっと待ってください。なにをそんなわけのわからないことを・・・。」
「なにって、君も参加者でしょ。生き残るために必要だもんね。」
崩れる、アガリ、脱落、参加者、生き残る。
文脈やそれらの単語を繋ぎ合わせ、さらに自分が今置かれている状況を加味すると、なにか自分が理不尽なゲームのプレイヤーになっているのではないかと、突拍子もない想像をしてしまった。
だが、この想像は得心がいく。
現実離れしている点を除けば。
「まあいいや。とにかく忠告しといたからね。」
「待って!あなたはだれ!?何を知っているの?」
追いかけ掴み掛かろうとするが、ふと後ろを振り返ると花田の姿が見当たらない。
『彼、とっくに日常が崩れてるから』
さきほどの言葉が頭をよぎる。
日常とはなんなのか。
崩れるという言葉の意味することとは。
まだ状況が読み込めているわけではない。
直感ではあるが樋口は手遅れになる前にと花田を追いかけるため駆けた。
樋口は花田と直接話したことはない。
先日の飲み会でも自己紹介の際に多少声を聞いた程度で、お互いその場では特にコミュニケーションを交わしてはいなかった。
知り合いとすら呼んでいいのかわからない奇妙な関係だが、それでも彼女は己の正義感がゆえに、花田の状況を知らないフリして我関せずを決め込むことができなかった。
それに、彼はこの状況を打開できるきっかけを持つ人間の一人だ。
知らないほうがいいかもしれないが、「知らない」ことを知ってしまった以上はそのまま放置したくない。
とにかく今は自分の直感を信じて動くだけだと自らを鼓舞した。
見失った花田がどこに行ったか、走り回ったがその捜索は難航した。
普段であればいつもの帰路についているはずだが見つからない。
ルーティンから外れている。
あそこまで固定化されていた彼が。
その事実だけで悪い予感が膨れ上がった。
どこか、彼が寄りそうなところはあったか。
必死に頭を回転させるが、樋口の知っている花田はほとんど同じところを行ったりきたりで手がかりになりそうな記憶はない。
このままでは悪い予感が的中してしまう。
どこに行ってしまったのか。
そもそもどうやってあの短期間で花田は姿を消したのか。
あのとき、少し目を離した隙に見失った。
・・・いや違う。
時間的に花田は帰宅しようとしたと考えてしまったが、花田の日常は崩れ、ルーティンから離れているのなら、まだ彼は大学にいる可能性もあるのか。
短い間に見失ってしまったのは、あのとき近くの校舎に入ったからか?
しかしあのとき近くにあった校舎は古い棟で教授の研究室がほんの数室あるくらいで、この時間だとだれも使っていないはず。
あんな校舎に用などあるのか。
常識で考えればない。
が、今起きていることは常識離れした空想上の出来事だ。
あれこれ考えても仕方ない。
樋口は大学に戻りあの校舎へ向かった。
灯りがまばらに点いていた。
校舎に入り暗い廊下を進む。
古びれたウレタン樹脂の床材は歩くとコツン、コツンと静寂な校舎に響かせる。
ここに人がいることを盛大にアピールしているかのようだ。
階段を上がり、奥へ奥へと進んでいく。
あてはないが人の気配を肌で感じ、赴くままに向かう。
人の話し声が聞こえた。
突き当たりを左に曲がったところに、恐らく花田はいる。
あれほど息を切らしてここまで走ってきたが、今じんわり滲み出ている汗はその汗ではない。
顔を少し覗き込ませ様子を見ると、こちらに背を向けた状態で花田は立っていた。
そしてもう一人、膝をつき頭を抱えている男が花田の正面にいる。
どうやらさきほど聞こえた話し声はその男のもので、今もなお聞こえるかどうかの声量でぶつぶつと呟いている。
「・・・監督はだれだっけ・・・どこのアニメ会社が作ったんだ・・・。」
聞き取れる距離まで近づいたが、聞こえるようになっても話が見えない。
彼らはどんないきさつでこの状況になったのか。
「金が・・・要で・・・う、違う・・・違う違う違う・・・そうだ、監督・・・制作・・・あ。」
瞬間、何かを思い出したような感じに声を、頭を上げた。
目が合う。
そして男は、ゆっくり表情を歪めていき—————。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
自分の頭を全力で左右に揺さぶり始め止まらなくなる。
脳に影響が出てしまうのではないかと心配するほどだが、勢いが止むことはない。
しばらくすると赤い飛沫が廊下に散乱し始めた。
血だ。
彼の目や鼻、耳から血が流れ出しており頭を振っているためにそれが辺りに飛び散っている。
それでも頭を振り続けている。
樋口も花田も体が硬直しており、その様子をただひたすら眺めている。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ、あ、あ、・・・あ、あ・・・。」
バスン、と小さな音を立てて体が崩れる。
脈を見たわけではないが一目見てわかる。
事切れたと。
そして一つのワードが頭に思い浮かんだ。
「脱落・・・。」
その光景を見て樋口は思い出してしまった。
あの日講堂で前に出てきた、ニコニコと貼り付いた笑顔の女性の説明を。
「全て思い出すことができたら晴れてゲームクリア!映えある名誉と大金はあなたの手に!」
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