4話 樋口京香の見立てでは
会場は大学がある最寄駅の隣り駅だった。
社会人も混じるという話だったので格式の高い食事会になるのではと危惧していたが、実際は安居酒屋の宴会場に押し込まれていかにも学生らしい賑やかな雰囲気の飲み会であった。
ゆうに 50人は越えている。
「へ〜、じゃあ京香ちゃんはバイト掛け持ちしてるんだ?」
「ええ、まあ・・・。」
各座席はだいたい6人がけの座敷形式で、あらかじめ紙に書かれた簡易的なネームプレートが置いてあり半ば強制的に自分の席が決まっていた。
乾杯をして10分もすれば自分と席を共にした人たちがどんな性格をしているかはおおよそ見当がつく。
反りが合わない人間については特に。
「えらいな〜。おれなんてどうしたら楽に単位取れるかとか、バレないようにバイトサボるかとかしか考えたことなかったわ。京香ちゃんみたいに真面目に生きていける人生にしてー!」
初対面で頼んでもいないのに下の名前で呼んでくる馴れ馴れしい男など論外。
最初の自己紹介でちゃんと「樋口です」と苗字だけ淡白に名乗ったはずだが、この男はネームプレートを見て勝手にちゃんづけで名前を連呼してくる。
やはり来るんじゃなかったと樋口は早くも後悔した。
頼まれると断れないタイプ・・・とまではいかないが、人に懇願されると無碍にはできないのだ。
大学の友人から、ドタキャンした人がいて人数足りないからどうしてもとせがまれ仕方なく参加したのだが、これだけの人数がいれば一人二人減ったところでだれも気付かないのではないかと思った。
小さい頃から正義感が強く、困っている人がいたら積極的に声をかける優しさがある。
隣りの席の子が教科書を忘れたらこちらから席をくっつけて見せてあげるし、皆がやりたがらない委員会活動も、他にやりたい人がいないのであればと手を挙げる。
いじめや贔屓にも敏感で、女子特有の陰湿で複雑な人間関係にもピシャリと物申す珍しい少女であった。
その勇姿はさながら、一時期一世を風靡していたヒロインのセーラームーンのようであった。
実際樋口は、世代というほどの歳ではないが再放送を録画して何度も見返すほどにはセーラームーンに憧れを抱いていた。
しかし子ども向けアニメには定番とも言える変身グッズや人形を買うことはできなかった。
「でもどうしてそんなに必死になってバイト入るのー?」
「ちょっと欲しいものありまして、お金必要なんですよ。」
もともと家庭の事情など話すつもりはなかったが、「必死になって」というフレーズが気に障り自己紹介のとき以上に淡白に返した。
人の内側にズカズカと入り込んでくる無神経さにはもはや感心すら覚える。
きっと大した悩みなどなく幸せな脳内環境なんだろうな。
お金の苦労なんて考えたこともないんだろうな。
そこまで考えて樋口は頭を振った。
貧すれば鈍する。
貧乏であろうとも心までは貧しくなるなと、散々自分に言い聞かせていたではないか。
女手一つで大学まで通わせてくれた母にも申し訳が立たない。
そう、一種の気の迷いだったのだ。
今回の飲み会に参加したのもあの謎のバイトに応募してしまったのも。
「はーい!それでは席替えタイムとなりまーす!幹事の人から席決めのくじを引かせてもらってねー!」
30分ほど経つと仕切り屋の号令に従ってくじを引き、皆立ち上がり次の座席へと移動する。
「じゃあねー京香ちゃん。また連絡するから。」
渋ったほうが却って面倒だと思い連絡先を教えたが、あいにく即ブロックで二度と会うこともないだろう。
一斉に大移動となったのでどさくさに紛れて帰ってしまおうかとさえ思ったが、移動中の何人かの参加者を見てふと何かが心に引っ掛かる。
・・・どこかで会ったっけ?
そう感じる人が数人いた。
樋口がこのサークルに顔を出したのは初めてのため、同活動内で会ったことがあるわけではない。
では大学のキャンパス内だろうか。
構内は広く人も多いため知らず知らずのうちにすれ違っている可能性は十分にある。
そう考えれば、この感覚もなんら不思議なものではない。
不思議なものではないのに心に引っ掛かるということは、どこか別のところで違う事情で会ったことがあるんじゃないか。
記憶を必死に手繰り寄せる。
普段はこんな感覚気にならないはずだが、なぜか今はやけに考え込んでしまう。
何かを思い出すには過程や脈絡を考えるのが一番だ。
最近なにか特殊な、普段通りじゃない行動をしたか。
・・・あのバイト?
確かに、あの日のことはよく覚えていない。
人と会って忘れているとすればあの日のことかもしれない。
そもそもなんで忘れた?
何を忘れた?
どこまで忘れた?
応募ページに載っていた住所へ向かって、講堂に集められて・・・そうだ、前に出てきた女性が、ニコニコと貼り付いた笑顔で機械的にハキハキとした声で何かを説明していた・・・気がする。
一つ思い出すとまた一つ、次々と頭に当時の景色が思い浮かぶ。
彼女は口をあんぐりとさせている私たち参加者に向けて—————。
「樋口さん、大丈夫?もしかして具合悪い?」
「・・・え?あ、ああいえ大丈夫です!ちょっとぼうっとしちゃって。」
気がつけば周りの大移動は終わっており、立っているのは樋口だけだった。
考え込んでいたのと自分が変に目立ったことで慌ててしまい、このまま帰ろうと思ったはずが空いていた席に逃げるように座ってしまった。
周囲からすればなんとも無愛想な女だと思ったものだろう。
ただでさえ乗り気でなかったのに加え、先ほど考え込んでしまったことが頭から離れなくなりどんな話にも生返事をするようになった。
連鎖的に思い出せる流れが無くなり、記憶に鍵がかかったようである。
いったいどこで会った誰なのか。
この席にも一人、会ったことがある『気がする』人がいる。
ネームプレートには『花田佑一郎』と書かれているが、名前を見ても全く思い出せない。
やはり気のせいなのだろうか。
特段整った顔立ちをしているわけでも不細工なわけでもなく記憶に残りにくそうな人で、言ってしまえばよく見かけるタイプの顔だから既視感があるだけかもしれない。
余裕がないせいか失礼なことを考えながらまじまじとその男の顔を見る樋口。
そうして観察しているとあることに気付く。
彼もぼうっとしている。
それだけじゃない。
顔が青ざめており何人かの参加者の顔を目で追っている。
とても飲み会を楽しんでいる人の顔ではない。
飲みすぎて気分を悪くしている人間の姿でもない。
あれは、どこで会った誰なのかを思い出した仕草ではないか?
そしてそれは思い出してすっきりした、で済ませられるような話ではなく、何か悪いことの前触れ・予兆を感じて恐れ慄いている顔のように見える。
ここまで具体的に樋口が連想できるのは、さっきぼうっとしていた自分の姿と彼が重なって見えたからであった。
私もあのまま考え込んでいたらああなっていたのではないか。
違うのは立っていたか座っていたかだけ。
そんなことを考えていると徐に彼は立ち上がり、この席の誰にも何も告げず席を離れた。
お手洗いに行くものかと思ったが財布を出して幹事に飲み会の支払いをしているところを見ると、会の終わりを待つより先に切り上げ帰ろうとしているようだった。
支払いを終えて靴べらも使わず踵を履き潰しながらよろよろとお店の外に出る。財布をポケットに仕舞おうとしているところでくしゃくしゃの紙切れを落とした。
あっ、と思い樋口は席を立って彼の後を追いその紙切れを拾い上げる。
だがすでに彼のことは見失っていた。
どうしたものかと紙切れを眺めるが、これにも既視感を覚える。
ちょうど、こんな感じのシワが寄った紙切れを私も最近握りしめていた。
そう、あのバイトの直後だった。
なぜこんなものを、それもお金と一緒に握りしめていたのか皆目見当がつかなかったが、その紙切れに書かれていた内容もさることながら、筆跡から察するに自分から自分へのメッセージだと気付いた時にはとんでもないことに巻き込まれたのだと鳥肌が立った。
きっと彼は彼でメッセージの内容が異なるだろう。
そう考え樋口は恐る恐る、だが僅かに好奇心を募らせながら紙切れのシワを伸ばしていくと—————。
【奴を信じるな】
と殴り書かれていた。
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