2話 記憶に残らない説明会



「お、珍しいなあ佑一郎。お前が一人で学食にいるなんて。」

「ん、もうま。」

「食ってから喋れよ。」

3日前に神経衰弱の激戦を制した智広は、学食で花田を見つけるや否や意外そうに声をかけた。

花田が貧しい食生活を送っていることは周知の事実で、奢ってもらえる可能性がない状態で味の微妙な学食に居るのは確かに珍しいことであった。

「・・・ふう。いや、まあな。ちょっと臨時収入があってさ。けっこう余裕ができたんだよ。」

「臨時収入?日雇いバイトでも入ったんか?」

「まあ、そんな感じ。」

「ふーん。どんなやつ?」

「いや、なんていうか・・・その日は説明会?だけだった。」

「は?なにそれ。説明会に参加しただけで給料でたの?」

「うーん、その・・・これから何をしてもらうかの話、だったと思うんだけど、小難しいこと言ってた気がするだけで記憶に残らなくて・・・。」

「お前・・・大学のオリエンテーションじゃないんだからさすがにもっと集中しておけよ・・・。それで金出るんだろ?」

「いや大学のオリエンテーションも大事だろ。」

「お前が言うなよ。」

智広には少々濁して話をしたが、それは決してバイト内容を隠したいからではなく、本当に憶えていないからである。




一昨日、まずは遠巻きに様子を窺ってみようと周囲を警戒しながら例のバイト先に恐る恐る向かった花田だったが、記載のあった住所に辿り着いた後の記憶が欠落していた。

集合時間は昼間だったはずだが、気がつけば陽は完全に落ちており雑然と立ち並ぶビル群の足元にポツンと一人、立ち尽くしていた。

意識がはっきりと戻ったその瞬間、なぜだか疲れがどっと押し寄せてきたことだけはよく憶えている。

そして妙に緊張した感じで手を握りしめており、ガチガチに固まっていた。

寒くもないのに、手のひらを開くのに苦労したのは初めての経験だった。

なんとかぎこちない動きで、指を一本ずつ意識しながら開いたその手中には、1万円札5枚とボロボロの紙切れが入っていた。

意識ははっきりと戻ったものの、まだ頭が働かない。

自分はいったいどうしてこんな状況になっているのか。

少しずつ脳を活性化させていくと、ほんのわずか、断片的にはなにか憶えている・・・ような気がした。

そうだ、おれはなにか説明会みたいなものを、講堂で受けていた、ような。

・・・そこから先は?

説明会を受けた対価として5万円を得た?

そんなうまい話があるか?

仕事として、なにか自分に使命が課せられたのではないかと考えるのが普通だ。

しかしそこは楽天家の花田、持ち前のポジティブシンキングで忘れたものはしょうがないと割り切り、気持ちを切り替え手元にある5万円の使い道に心を躍らせた。

これがあれば当分美味いものには困らない。

落としてはいけないと財布に仕舞い込もうとすると、1万円札の1枚に小さく文字が書かれているのを見つけた。

「・・・スタート。」

全く意味不明だが、何かの始まりを告げるその言葉に不穏なものを感じた。

更に、そういえば1万円札以外にボロボロの紙切れを握っていたことを思い出し、

手汗で湿って今にも千切れてしまいそうなくしゃくしゃの紙をそうっと伸ばしてみると、

【気付くな危険】

と走り書きされていた。

・・・何に?




不思議なことがいくつも起きてはいたが、収入を得たのは紛れもない事実。

しかも日給5万は破格の報酬と言えるだろう。

ましてや、気が付けば終わっていた、なんて感覚は羨むやつも多いのではないか。

ビル風に吹かれながら帰路についた花田は、せっかくだから今得たお金で夕飯を食べようと考えた。

普段であれば滅多に食べられないような、優雅なディナーと洒落込もうと周辺を散策しお店を漁ったが、最終的に入店したのは牛丼屋のチェーン店だった。

自分でも分からない。

様々な選択肢があったはずだが、なぜここにきて安い牛丼屋に入ったのか。

そして入ったはいいものの、食欲が湧かなかった。

昨日からろくに何も食べていないので、お腹が空いていないはずはない。

とりあえず並サイズの牛丼を注文し時間をかけて平らげた。

・・・なにか落ち着かない。

理由は分からないが、花田は安心したいという気持ちの強さをひしひしと感じていた。

家族に会いたい。

友人に会いたい。

帰宅したい。

いつもの光景を見たい。

見覚えのないものを見てしまうことに不安を感じている。

まさに、実家のような安心感を花田は求めていた。

居心地が悪くなり、牛丼屋を退店すると家に帰ろうと足早に駅へ向かった。

知っているものがいい。

新しいものは必要ない。

そうだ、今度大学行ったときにまた学食の唐揚げ定食を食べよう。

鶏の臭みが若干強めだが、思い返してみると安心する味だった気がする。

今まで全然好きになれなかった学食がここまで恋しくなってしまうとは。

期待に胸をふくらませた花田の足は軽快なものになっていた。

花田は気付かなかった。

牛丼屋や帰路の途中に居た何人かの、頭を抱えて生気を失った顔をした幾ばくかの人間たちを。

恐らくは、勘が鋭いであろう参加者たちの苦悩を。


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