第5話

 目覚めた瞬間、薄暗く冷たい空気が肌を包み、俺は霊安室のひんやりとした床に横たわっていることに気づいた。

 目の前では不安げな母と叔母の顔が見下ろしていた。

「あんた、霊安室で寝とったらあかんで」と母は、少し困ったように眉を下げて笑いながら、叔母に視線を送った。

「ほんま、ぐーぐー寝とってからに」

「まーくん、昨日、あんまり寝れへんかったんちゃう?」

 叔母は心配そうに眉を寄せた。 

「俺、寝てた? ここで?」

「ほうや。寝とったで。なぁ?」

 母と叔母は顔を見合わせ、同時に頷く。

 俺は祖母が寝かされている台を見た。

 祖母は朝と変わらぬ姿で横たわっていた。

「さっきのは、夢……?」

 俺は夢に違いないと自分に言い聞かせ、ほっと息をついた。だが、その瞬間、視線が自分の右手首に止まった。心臓が一瞬止まったように、全身に冷たいものが走った。手首には、まるで死者の手が今もそこにあるかのような、くっきりとした痣が残っていた。


 葬式の後、準備された部屋で親戚が集まり、皆で食事をとった。

しかし、俺の手は一度も箸を持とうとしなかった。頭の中では、祖母との思い出が次々と浮かんでは消えていく。それと同時に、痣の感触が手首に蘇り、心の中で恐怖がじわじわと広がっていくのを感じていた。


 翌日は火葬場に向かい、最後の見送りをした。

 祖母は静かに炉の中に送り込まれ、その姿はゆっくりと消えていった。数時間後、祖母は骨と灰となり、係員によって菜箸のようなものでかき分けられながら説明を受けたが、何も耳に入ってこなかった。


 その夜、俺は生きたまま火葬場で焼かれる夢を見た。

 熱が近づいてくるのを肌で感じながら、刑務所の独房のような狭い空間に閉じ込められていた。顔を小窓に押しつけ、必死に叫んだ。

「出してくれ! 俺はまだ生きてる!」

 しかし声は壁に吸い込まれ、返ってくるのは静寂だけだった。

 外を見ると、母と叔母が涙を流しながら俺を見ている。俺は二人の名前を呼んだが、その声は全く届かなかった。


 母は市松人形を胸に抱きしめていた。

 その人形の三日月のような目はさらに細まり、じっと俺を見つめていた。そして、ゆっくりと口端を上げ、にぃっと笑った。

 その笑顔はまるで、俺が焼かれるのを楽しんでいるかのようだった。

「みたはる……みたはるえ……ひひひ……」

 市松人形の声が俺の頭の中で響き渡り、やがて全身の皮膚が焼ける感覚が始まった。皮膚が溶け落ち、骨が露出し、最後には灰となるまで、あの呟きは続いていた。


 祖母の見送りは無事に終わり、特に不思議なこともなく平穏に時間が過ぎた。

 掴まれた手首の痕は、気づかないうちに漆にでも触れたのだろう、と無理に自分を納得させた。しかし、心の奥底では何かが引っかかっていたが、それ以上考えたくはなかった。

 葬式の後、家族みんなで久しぶりに外食をした。

 レストランに入ると、学生時代からよく知る店長が笑顔で迎えてくれた。テーブルには豪華な料理が並び、親戚一同が久々に集まり、昔話や笑い声が飛び交っていた。食後には、店長がデザートをサービスしてくれた。クリームがたっぷり乗ったパフェがテーブルに運ばれてきた時、俺は自然と笑みがこぼれた。

 嬉しくて気分が上がっていたのに、帰り際に店長が「お母さん一人で寂しそうやから、はよ嫁さん作って帰ってきたりや」と笑顔で言った瞬間、胸の中に冷たいものが流れ込んだ。まるで楽しい時間に冷や水をかけられたように、一気に気分が沈んだ。返す言葉が見つからず、俺はただ苦笑いを浮かべるしかなかった。

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みたはる 二十三 @ichijiku_kancho

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