第4話

「明日は九時に葬儀屋さんが迎えにきてくれはって、それからみんなで葬式場行くから」

 母の声に俺は飛び上がった。

「どしたんや大紀?」

「え? いや……今……声が……」

「なにいうてんのや?」

 幻聴か? 死んだ祖母が話すわけないじゃないか。きっと、疲れてるんだ。

「お葬式って家でするんやないの? おじいちゃんのときは家でやったよな?」

「お姉さんが冠婚葬祭の積立しとったから、それで全部やってもらうんや。その方がいろいろと便利やしな」

「どういう風にするん?」

「なんや、わたし、ようわからへんし、悦っちゃんにきいて」

 母はいつもそうだ。面倒くさがりやで人任せ。いつも叔母に頼る。自分以外に興味がなく、家族のことはどうでもいい。幼少期は、もう少し家族に興味を持って欲しいと思ったが、大人になり、過干渉な親はうっとおしいと聞いたから、よかったのかもしれない。

 ただ、祖母は母と正反対で、心配性で俺につきっきりだった。


「おじいちゃんのときと違って冠婚葬祭の人が全部やってくれはるから、うちらがやることはほぼないんやけどな。朝、車がおばあちゃんを迎えに来て、家から二〇分ほどのとこにある葬儀場に連れってくれはるねん。その後、会場でお通夜や。次の日がお葬式で、その後火葬場。これも全部車で送ってくれはるから楽やで」

 叔母がいつのまにか説明を終えていた。

 半分以上聞いていなかったが、だいたいの流れはわかった。

「あんたはもう、寝たらええで」

 母が言った。時計を見ると十一時を過ぎていた。

「おかんらはまだ寝ぇへんの?」

「わたしはほら、アイスノン交換せんとあかんし今日は寝ぇへん」

「アイスノン?」

 ああ、遺体の腐敗進行を防ぐため、体の周りに置いている保冷剤を交換するのか。

 死肉なんだから当然か。なぜか、スーパーに陳列されている冷凍の食肉コーナーが頭に浮かんだ。


「その年で徹夜はきつない?」

「大丈夫や」母が笑った。「最近あんま寝れへんねん。いつも朝方までテレビみとる。せやし、どうせ起きてるし大丈夫や。仮眠もする。悦っちゃんらと交代しながら。あんたは、明日も早いし早よ寝ぇ」

 母は洗上げた食器を拭いたり、戸棚に入れたりと忙しく動いていた。

 いい加減で、楽天的な母が寝ていないというのが気になったが、そのことを尋ねる気分じゃなかった。

 とりあえず今日はなんだか、とても体がだるい。

 市松はんに触れてから、体力が吸われているような気がする。

 いや、それは自分がそう思い込んでいるからそう感じるだけだ。自分に呪いをかけるのはやめなければ。

 俺は二階に上がり、市松はんを押入れに置いてから自分の部屋へ入った。

 叔母が、母の代わりに準備して敷いてくれた布団に倒れこむ。

 下半身にたまっていた血液が、一気に心臓まで流れ込み、急激に眠気が襲ってきた。

 今は何も考えられない。すべて、葬式が終わってから考えよう。

 どこからともなく霧のように、覆いかぶさってくる不安と恐怖に蓋をするよう、目を閉じた。


 

 葬式の当日、俺は霊安室で一人きりだった。

 実際は俺だけではなく、祖母の遺体と。

 落ち着かない様子の母と叔母は、シティーホールの表で親戚が来るのを待っていた。

 俺も一緒に、と思ったが、疲れていたせいか立ち上がる気力もなく、待っていることにした。

 祖母は派手な祭壇を模った場所に寝かされ、静かに横たわっていた。

 死んでいるのだから静かに決まっているが、いまだに祖母が死んだという実感がない。今にもむくりと起き上がり、「大紀、なにしとるん」と話しかけてきそうな気がした。

 母と親戚一同が取り替え続けた保冷剤のおかげで、祖母は昨日と同じなままだった。

 俺はゆっくりと祖母に近づき、青白い顔で唇を半開きにしている祖母を覗き込んだ。

「なぁ? あの市松はん、捨てたらあかん?」

 応えが返ってくるはずもないのに、尋ねていた。

「俺、あの市松はんが怖いねん。なんやわからんけど、怖ぁてたまらんねん」

 死体に話しかけている自分が滑稽で、苦笑いした時、手首に冷たい物を感じた。

 見ると、祖母が俺の手を掴んでいた。

「ひっ!」

 思考が固まる。

 なんで?

 祖母は死んだはずだ。

 じゃあ、今、俺の手首を掴んでいるのは一体なんだ。

 不意に足元に影が落ちて、見上げると祖母が起き上がっていた。

「うわぁっ!」

 全身の肌が、恐怖であわ立った。心臓は耳の中まで波打っていた。

「はなっ……離して!」

 ものすごい力に握られて手が振り払えない。老人の力とは思えない強さだ。

 なにより、死人は起き上がって人の手首を掴んだりしない。

「ぁ……お、おばぁ……ちゃん! 痛い……離して!」

「みたはる」

「え……?」

 半開きになった祖母の口から、掠れた声が這い上がってきた。

「みたはる。みたはる。みたはる。みたは……る」

 体が脱力し、俺はその場に膝から崩れた。

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