イブの娘

東間

イブの娘


 イブ・システムアジア地区機体格納庫は静まりかえっていた。タハラ・サチコは白々としたライトに目をすがめながらドアをくぐり、格納庫射出口を見つめる。帰還予定時刻はヒトサンマルマル時、管制塔での応答を確認するかぎり、もうすぐハッチが開くはずである。煙草が吸いたいとポケットを探るが、格納庫は禁煙である。可燃物や爆発物を詰め込んでいるわけではないのに、と愛煙家は言うのだが、スタッフたちからは掃除が面倒だ、煙草の灰はどこにでも入り込むんだと熱弁され壁には筆文字で禁煙と大書きしたポスターが貼ってある。

 タハラは額にかかる髪をかき上げ、手すりにもたれてハッチを見つめた。イブ・システムは登録された操縦者の生態情報のみでしか動作せず、ハッチや使用武器類にも同じ事が言える。現在出撃態勢に入っているのはタハラの待ち人が一人だけであるから、あの開口部が動けば、すなわち待ち人の到来が知らされる。そのときが一秒でも早く訪れて欲しかった。早く胃の内容物を吐き出して楽になりたかった。だが同時に、永久に開かなければ良いとも思う。襟に輝く三佐のエンブレムの重さは覚悟したはずだが、これほどまでとは考えていなかった。

 そう大きく溜息を吐いたとき、ハッチから橙色の日差しが入ってきた。戦略人工太陽光は本物の太陽の紫外線量を大きく超え、もはや食料は屋内施設内栽培施設でしか育てられない。しかしイブ・システム搭載第十二世代機アマテラスは、その白い機体を内側から輝かせているようだ。地球軍と侵略軍とどちらにとって皮肉なことか、人工太陽光はアマテラスをこれ以上なく美しく見せる。

 アマテラスは格納庫に入るとゆったり膝を折り、頭を垂れた。人間でいえば顎の部分が搭乗口に固定され、顎関節が外れるように持ち上がる。唾液めいた触媒液がグレーチングから流れ落ちていく。

「タハラ三佐、どうせなら祝砲のひとつも上げてくれれば良いのに」

 マイクを通した硬い音ながら、馴染みのあるからかいが聞こえる。タハラは顔を上げ、パイロットスーツのヘルメットを外す部下を眺めた。肉感的な体つきを誇るでもなく恥じるでもなく、ごく無造作に示している。汗ばんだ髪はアジア系にしてはやや赤みが強かった。眦は甘く垂れているが、黒い目は冷徹に硬い。

「サトウ伍長、帰還ご苦労さま」

「苦労なんてしてませんよ、いつも通りの哨戒任務です」

 サトウ・マナは肩をすくめ、手が空いているならとヘルメットを手渡した。触媒液は外気であっという間に乾いてうっすら白くこびりついている。サトウはスーツのフロントジッパーを乳房の下まで下ろして冷却ボックスから取り出したドリンクを半分ほど呷る。操縦中は水中にいるのと同じで乾きを覚えにくいが発汗は激しく、帰還後の水分補給は必須である。

「伍長、少し話があるんだけど良い?」

「上官命令ですか?」

 サトウの目が光ったが、タハラは首を振った。

「私からだよ」

「なら残業代は付かないってことですね。まあ構いませんよ、長い付き合いだし」

「助かるよ、ありがとう」

「あなたが殊勝に礼を言うと、どうも恐ろしく思いますね」

 失礼だなと鼻を鳴らすが、サトウは喉を震わせるように笑った。そうすると目尻の皺が深くなる。この肌に皺の一本もない時からの付き合いだというのに、ずいぶんと遠い場所へ来てしまった。


 サトウが着替えるのを待っている間、よほど規則を破って吸い殻でも落としてやろうかと思った。軍靴のつま先を上下させ、溜息を何度も吐き出し、サトウが蛤なら辺り一帯が幻覚に飲み込まれていただろう。

「なんて顔をしてるんですか、らしくもない」

 こざっぱりしたトラックスーツに着替え、サトウが顔を出す。「アジア地区特殊任務部隊を任せられるタハラ・サチコ上級三佐とも思えない」

「階級に相応しい顔なんてある?」

「あるんじゃないでしょうか、多少は」

「ならあなたも、女遊びよりトレーニングに励むべきと言われたい?」

「だが基地中に女しかいないんですよ、目移りしちゃいます」

「イブ・システムは妊娠出産能力があるか、経産の女しか受け入れない。だからこそ自制が必要なんじゃない」

 お説教が目的なんですかと言う声は、学生が教師に課題の期限を延ばしてくれと甘えるような響きがある。二人は同じ年次で就任した同じ歳のはずだが。

「オフィサールームで話していい? ここじゃ難しいから」

「難しいとは、また変わった言い回しですね。出来ないではなく?」

「私の内面の問題だからね」

「あなたの内面というと、荒縄を縒ったような……」

 普段なら失礼だと言い返すところだが、今日ばかりは何も言えない。タハラは貸し切り制のオフィサールームへ入った。簡易なコーヒーマシンとデスク、それに折りたたみ椅子が数脚あるだけだが、ともかく腰は落ち着けられる。サトウはタハラが広げた椅子に長い足を組んで腰掛け、机に頬杖を突いた。そうしているとレズビアンバーで相手を探しているだけにも見えてくる。サトウ伍長といえば女たらしで有名で、タハラも何度もクレーム処理に当たってきた。頭のいい女だからハラスメント条項の枠から決してはみ出さずに遊んでいるのだが、感情というのは条項ではくくれないものだ。

「コーヒーは?」

「浮腫むから要りません」

「そう」

 タハラはサトウの正面に腰掛けた。三佐に任じられ特務隊を任せられるずっと前から組んでいる相手だ。昇級し部隊長となりオペレーター職こそ離れたが、もう顔色は読まれているだろう。

「それで、話とは」

「あなたにしか頼めないことがある」

「また大仰だ、あなたの良いとこはそういう話し方をしないところでしょう」

 喉に冷たい小石を詰め込まれている気分だ。黒い目は見透かすようにタハラを見つめ、さっさと本題に入れと雄弁だ。

「死んで欲しい」

「……それは、少し大きい話題かもしれませんね。詳しく伺っても?」

「三人議会の調査で、やっと人工太陽のメンテナンス周期が判明した。量子暗号がやっと解けたの」

「あれは理論上、永久に解けないと言われてたでしょう」

「テクノロジーに永久はない。アマテラスもいつか廃番になる」

「そりゃあ、工学院で教授を自殺に追い込んだあんたらしい台詞ですね」

 サトウに責めるつもりは然程ないのだろうが、苦い記憶である。授業中になにげなく質問をしてから授業に出なくなり、数ヶ月後に屋上から飛び降りたのだ。遺書にはタハラの名前があった。彼女がいればこの星の戦略分野に自分は必要ないと記されており、配偶者から受け取ったその手紙は今でも部屋で保存している。

「とにかく……メンテナンスの周期が判明した。どうしたって機械は電源を落とさなきゃ疲弊するモンですからね。だが警備システムは、そういう時のためにあるでしょう?」

 人工太陽は、普段は自身が発する熱で防衛している。現在防御面で最高性能を誇る岩屋戸アーマーを纏ったアマテラスであっても、機構部に近づけば蝋のように溶けてしまう。地球軍元帥で三人議会アリス・マリア・マコーネルを筆頭に、上層部はその熱量が少しでも減少する周期を計り続けてきた。そして同時に、人工太陽の機構部を防御する衛星システムのダウンプログラムも書き続けてきたのである。どちらも作成に百年かかっている。当然ながら敵軍もその間にアップデートを繰り返すため、もはや作戦の続行自体が無意味なのではないかと囁かれていた。しかし今日のランチミーティング中、元帥からの死者がタハラの元を訪れた。作戦が成った、一番優秀な娘を呼んでくれ。口に押し込んだチーズサンドイッチはもう粘土のような味しかせず、しかし、タハラは軍人であり、百年かかった作戦と上官に逆らうことは不可能だ。

「その顔だと、警備システムも突破したみたいですね。よっぽど優秀な新人が入ったんですか」

「ええ」

 暗号を解いたのはサモア系で、車椅子に乗らなければ移動できない肥満体の少女だ。軍の貧困救済プログラムで工学院に入学し、学生の時点で地球軍が使用しているプロテクトシールドの脆弱性を指摘し階級を得ている。現在十九歳だが、ジョン・フォン・ノイマンの再来という呼び声も高い。彼女が産まれなければ、あるいは死んでいればと願う自分に吐き気を覚える。職業軍人には許されない思考だ。

「まあ仕方ありませんよ。私以上に優秀なイブの娘は、まあ居ますが表で戦ってる。太陽に突っ込んで死んでこいとは言えません」

「……サトウ伍長、私はもっと早く、あなたを手放しておくべきだった」

「ホワイトベレーへの栄転を断ったのは私ですよ。それを忘れるほど触媒液呆けしちゃいません」

「伍長、でも」

 あんたらしくないなあ、とサトウは立ち上がった。シャツの襟を掴まれ、唇に温かいものが触れる。

「死んで欲しいと言った人が、そんな顔をしないでください。あんたらしくないですよ」

「私らしいって?」

「土産の最後の一つを聞きもせずに食べて、子供の写真をいつもデスクに置いていて、神経が荒縄十本を縒ったみたいに太くて、部隊の規律違反を軍事法廷で堂々と弁護して、私に子供が五歳の誕生日なんだと笑って――」

 いかにも軍人らしい骨張った指に力がこもる。

「どうせなら夫連れで来たら良かった。それなら諦められた」

「軍に男の仕事なんて無いでしょ、イブ・システムの神経接続が可能なのは女しかいないんだし、同性の方がやりやすい」

「差別発言だ。昔は軍人といったら男の仕事だったらしいですよ、今だって力仕事は男の方がしてる」

「何百年も昔の話でしょ、それにあの人はペンより重いものを持ったこともない」

「じゃあ私の方が有能ってことでしょう」

 そんなに単純じゃないと首を振れば、子供のような顔で「知っていますよ」と呻く。

「じゃあなんで、泣きそうな顔で死ねと言うんですか!」

「あなたを殺したくないからに決まってるでしょ!」

「……酷い人だ」

 サトウは俯いたまま椅子に腰を下ろし、コーヒーをくれと言った。ポーションをマシンにセットすると、低い音と香ばしいかおりが漂ってくる。言ってしまえば人工香料とカフェインの入った湯だが、まあ飲めない味ではない。カップを差し出すと、サトウは唇を湿らせるように飲んだ。

「覚えてますか、あんたがまだオペレーターで、わたしが兵卒で、初めて戦果を上げた日」

「忘れるはずがない」

「私は触媒液の中で溺死しかけて、あんたが助けてくれた。クールダウンもしてない機体に触るから手が溶けて、もう指輪も付けられない」

 サトウはケロイドで覆われたタハラの手を取り、そっと額を押しつけた。

「行きますよ。あんたが望むんだから」

「サトウ伍長」

「軍人らしくないと叱らないでください」

 サトウはそう笑うとコーヒーを一気に呷り、オフィサールームを出ていった。タハラはぼんやりと空になったカップを椅子を見やった。

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