第25話 交戦

 なんだこの生物。なんだこいつらは。

 混乱しているのは、間違いなくソルだけではなかっただろう。

 室内に充満する悲鳴と混乱を掻き消すように、蜥蜴の背から降りた鎧姿の大男が声を上げた。


「空に住む侵略者共よ! 我らが同胞を、返してもらおうか!」


 室内中に響いた、男の大きく野太い声。

 その一声で混乱する頭が随分と整理されたように思う。

 どうやって。なぜこの場所が。侵入経路は、一目瞭然だが。

 気になる点はまだ多いが、とにかく彼らはソル達が今まで怪物だと思い込んでいた地上で生きる人類であり、捕らわれた仲間を助けにきたのだ。


「探せ! この部屋にいるはずだ!」


 再び響いた声に疑問の一つが解消する。

 やはり彼らは知っていた。

 中央島の最も大きな建物である本部ではなく、この研究所。彼らがこの場所を的確に襲撃したことは間違いない。間違いないのだが。

 その事実によって、いくつかの疑念と予測が立つものの、今はそんなことに頭を割いている余裕などなかった。

 ソルは、周囲を見渡した。


「大丈夫ですか?」


 まず近くにはノアがいた。寸前まで話していたため当然だ。

 ソルと同じように、片膝を床について屈みこんでいた彼に小さく声をかけ、安否を確認する。


「ああ。しかし……」


 すぐに反応はあった。

 素早くノアの全身に目を走らせた。外傷なんかは見当たらない。

 機関の長。空の世界においての生命線とも言える男が無事のようで、ひとまず安心する。


「この状況は」


 ノアが首を振りながら呟いた。

 部屋の中は荒れていた。壊された壁や機材が散乱していて、見通しが悪い。

 そして怯えて固まっている者、倒れたまま動かない者。アーリやフィリア、レドルドたちの姿は、一見して確認できなかった。

 逆に侵入者の方は分かりやすい。翼の生えた蜥蜴が目立っているからだ。

 蜥蜴一体につき一人が騎乗していたので、おそらく侵入者も五人だ。


「五人……」


 このような大掛かりな襲撃で五人という数は少なく感じる。しかし散々煮え湯を飲まされてきたあの怪物が五体、と考えれば絶望的な状況である。

 しかもその内の一人、命令を下している大男が纏う靄は、三年前に見たどの怪物よりも荒々しく強大だった。

 ぎりっと歯を食いしばる。

 考えるな。思い出すな。

 震えそうになる体を必死に抑え付けた。


「ソル。彼らは連れていかれても構わない」


 背中からノアの声が聞こえた。

 彼らというのは、機関が捕えた者たち。つまり怪物と呼んでいた地上人のことだろう。

 機関に囚われていた地上人たちは、次々と入れられた容器ごと運び出されていく。

 一体、二体、三体と翼を持った蜥蜴がその大きな足で容器を掴むと、空へと飛び立っていった。

 確かにこの状況であれば、無理に反抗するのは危険だ。このまま何も抵抗しないで終わるのならば、それでいい。

 ノアと目が合ったソルは頷いた。

 しかしその後すぐに、そんな甘い期待は裏切られることになった。


「救出、完了しました」

「よし。先にお主も帰還しろ。だがその前に――」


 鎧姿の大男が、残ったもう一人に言った。


「一人か二人、連れていけ」


 ソルは目を見開いた。心臓をつままれたような感覚。絶望が体を覆った。

 鎧姿の大男が下した命令は、とても看過できるものではなかった。

 建物が壊される程度ならまだしも、人命が関われば穏便に解決するのは難しい。

 いや、それは先の大男の発言がなかったとしてもだ。

 知らずとは言え、空と地上の人類は今までずっと敵対してきたのだ。


「くっ、ソル」


 自然と立ち上がっていたソルの腕を、ノアが掴んでいた。

 振り返ると、ノアは無言で首を横に振る。

 何かを言いかけて、口を閉じる。

 そんなノアと視線を交わしていたソルの耳に叫び声が届いた。


「こ、この! フィリアから離れろぉ!」


 声が聞こえた方に素早く、視線を向ける。声の主はアーリだった。

 オーラウェポンを展開したアーリの側には、意識を失っている様子のフィリアが倒れていた。

 侵入時の衝撃に巻き込まれたか、それとも。

 蜥蜴に乗った男は、そのフィリアを狙っているようで近づいていく。


「……行きます」


 ソルがそう言うと、ノアの腕が力なく床に落ちた。

 そのままぐったりとその場に座り込み、俯きながら言った。


「ああ。すまない」


 ノアをその場に残して、ソルは床を蹴って走り出した。

 翼の生えた蜥蜴が、その巨体をもって、邪魔をするアーリを踏みつぶそうと足を上げた。


「邪魔をするな。ガキ」

「うああああああ!」


 ソルの見ているその前で、アーリが空色の剣を一振りした。

 その一閃は、迫りくる蜥蜴の足を斬り飛ばし、肉厚な胴をも通り抜け、最後に背に騎乗していた男の体に線が入った。

 あり得ないほど鋭い切り口。

 蜥蜴と男の両方が、声を上げることもなく線に沿って分離していく。

 そこでようやく、一部始終を見ていた鎧姿の大男が動いた。


「き、貴様ぁ!」


 大男は背中に担いでた槍を構えると、一目散にアーリへと向かった。

 床がひび割れるほどの踏み込み。

 あったはずの距離が、一瞬で詰められていく。

 目の前の敵に必死だったアーリが迫りくる大男に気付いた頃には、すでに槍がアーリを刺し貫こうとしていた。


「あっ――」


 大きな音がした。遅れて衝撃による風圧が吹き荒れる。

 蚊の鳴くような声が背中から聞こえてきた。

 ソルがちらりと背後を見ると、恐る恐る目を開けたアーリが憤怒の形相をする大男を見て、小さな悲鳴を上げて尻もちをついていた。

 そしてすぐにソルと目が合い、ぱちぱちと素早く瞬きをする。


「フィリアを連れて、離れてろ」


 アーリが口を開けたまま何度も頷いたのを見て、前に向き直る。


「ぐっ、これは!」


 大男が狼狽え、ソルは微笑を浮かべた。

 大男の槍は、ソルの突き出した両手の先にある空色の壁によって阻まれていた。

 人外の加速と膂力をもってして繰り出された大男の一撃は、完全に勢いを絶たれている。

 舌打ちと共に、大男が背後に飛びずさると、空色の壁は割れた。


「魔力の塊……障壁の類か? しかし我の一撃を止めるなど」


 ぶつぶつと呟いている大男の言葉には、正直好奇心が疼いた。

 しかし明らかな敵である以上、説明をする気も聞く気もなかった。

 ソルは眼前にいる相手から意識を逸らすことなく、次の一手を繰り出すために集中した。


「え――」


 どこからかアーリの驚くような声がした。

 何度かそれを振って感触を確かめると、大男に対して構える。

 ソルが持っていたのは剣だった。

 その剣は、アーリのオーラウェポンと全く同じ形をしていた。


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