第24話 怪物

 目を見開き、硬直する。体は後から震えてきた。

 見れば分かる。きっと驚く。レドルドの言っていたことが頭を巡る。

 言葉の意味が理解出来ても、内容がまだ追い付いていない。


「レドルド……」


 先に追い付いてきた双子は口を手で抑え、閉口している。

 その後ゆっくりと歩いて追い付いてきたレドルドに、ソルは問う。


「ここにいるのは、怪物ですよね」

「ああ」

「俺の見間違いでも、冗談だったってわけでもないのですよね」

「ああ」

「俺たちとの、生物学的な差異なんかは」

「今のところないかな」

「じゃあ――」


 理解していても質問を重ねてしまう。

 しかし淡々と答えるレドルドに、ソルは最後に決定的な問いかけをした。


「怪物は、ヒトですか」


 ソルの目の前にいたのは、紛れもなくヒトという種族だった。

 体躯に対して大きな頭部に、長い手足。ソル達と変わらないヒトと同じ特徴を持つ存在が、今は容器の中で横になって眠っている。


「そうだよ」


 レドルドが認め、ソルの体から力が抜ける。

 冗談だ、と言われた方がいくらか救われただろう。

 同時に、事前に念入りに説明を受けさせられたのも納得した。機関の者には早めに公表するという話も最もだ。

 特に地上探査に行く者たち。

 知らずに戦わせ続ける利点はあるだろうが、後に事実が明らかになった時に来る反動が恐ろしい。

 こうなってしまっては仕方ないと分かる。このまま逃がすわけにも、殺してしまうわけにもいかない。とにかく慎重に動くしかない。

 ただ、今眼前にある容器に入れられた実験体という名のヒトは、ひどく非人道的な光景だった。

 恨みを持っていたソルでさえ、大きな衝撃を受けた。


「ちくしょう」


 三年前の凄惨な光景が脳裏を掠めた。

 ソルはなぜか泣きそうになった。

 滅んでいたと聞かされた地上の人類が実は生きていて、さらにソルたち空の上の人類と敵対しているのだ。


「ソル……」

「お兄さん……」


 しばらくソルは何も言えず、俯いていた。

 服を引っ張られる感触で頭を上げると、双子が不安そうな顔で見上げていた。

 無理やり笑って見せたあと、一度目を閉じて頭を切り替えられるよう努めた。

 落ち着いてきた頃に目を開ける。

 二人はまだずっとソルの方を見ていた。

 口を開こうとするも、言葉に詰まった。代わりに、二人の頭に優しく手を置いた。

 二人が驚いた表情で目を見合わせ、徐々に笑顔になっていくのを見て、すぐに手を離した。

 しまった、と思った。感謝を伝えたかったのは事実だが、まるでルナが相手の時のように接してしまった。

 気恥ずかしさに、足元を見ながら髪をがしゃがしゃと弄った。


「小さいですね。他の二人も同じですか?」


 言いながら、ソルは双子の間をすり抜け、前に出た。

 先ほどよりもさらに容器に近づいて、中を見る。

 考えるしかない。今は考えることだけが、ソルに出来ることの全てだった。


「見た目の話かい? 似たようなものかな。もちろん個体差はあるよ」


 レドルドが答える。


「それなら、オーラかな」


 元々個体差のある種族だ。彼らも人間だったのだから。

 しかしそれ以上に、ソルの記憶と比べて遥かに小さく見えたのは、オーラを纏っていないことが要因の一つであることが分かる。

 ただそれよりも、もっと根本的な話。

 明らかにヒトからは乖離した、あの怪物としか言い表せない見た目はなんだというのか。


「オーラウェポン。いや、転送装置か」

「……ソル君が、何を考えているか聞かせてもらっても?」

「なぜヒトが怪物に見えているのか。転送装置が、俺たちの視界に何らかの影響を与えているのではないかと思いました」

「ふむう。ソル君が、地上探査に参加するのはもったいない気がしてきたよ」


 レドルドが若干興奮していたので、曖昧に笑う。

 もしかして、と。調べていたソルだからこそ、すぐにその思考に至った。

 地上に住む人類を分かりやすいよう地上人と呼ぶことにして、地上では地上人が怪物に見えてしまっている。

 しかし今この空の上では、地上人が確かにヒトに見えている。

 怪物を捕らえたのは地上であり、転送装置で空の上へと運ばれた。そこに何らかの不正や齟齬がない限り、それらは全て事実だ。

 怪物の脅威を考えれば、捕獲はもちろん複数人でやったのだろう。

 そもそもその辺りを疑えばきりがないし、ソルの立ち位置を考えれば事実として認めるしかない。

 その前提で考えれば、転送装置以外にソル達へと影響を及ぼしているものはなかった。


「オーラウェポンも候補の一つですが、考えにくいですね。地上限定で仲間の姿を変えている、ということならあり得ますが」


 もしもそのような能力を持つ人物がいれば尊敬するが、強大な出力の割にいまいちな利点しか思いつかない。

 そもそも過去から続くこの攻防の間、同じ人間であるなら術者の寿命が尽きなかったはずはない。


「僕たちは、ソル君の回答に至るまでに結構な時間を費やしたのだけどね」

「偶然、近い研究をしていたもので。実際はどこまで分かっているのでしょう?」

「視覚情報を書き換えられている対象が、おそらくソウルチップを埋め込まれた人間だけだということ。つまり空の上に住む我々だけだね」


 なるほど、と思う。

 簡単な検証であれば、捕えた地上人とソウルチップ持つ誰かを、同時に転送装置に乗せ、怪物の姿を見てもらった時の反応で分かりそうなものだ。

 しかしこの場合、一つの仮説が浮かび上がる。それはソルが、以前にアッシュへと伝えた仮説だった。


「ソウルチップは、ソルノートと同じ物質で出来ているのですね?」


 前提として、ソウルチップを持たない生物は転送の際に消えてなくなってしまう。

 検証のためにはソウルチップを持たないヒトを装置に乗せなければいけないが、そのためにはソルノートで作られた箱が必要である。

 同じ物質でなければ、違いなど分からない。


「そしてそのことを、あなた達は知った。いや、知っていた?」


 同じ条件だと知っていたからこそ、比較実験が出来たのだ。

 そのように考える方が自然だ。


「ちょっと、結論を急ぎすぎかな」


 レドルドは息を吐き出したあと、にこりと笑った。


「確かに我々はソルノートとソウルチップについての関係を知った。加えてそういった実験方法も取ったが、前提に前提を重ねたようなものだからね。だからさっきは、おそらくと言ったのだよ」

「確かに。それはそうですね」

「研究チームもまだ、人を集めている段階だからね。これ以上は何とも言えないんだ」


 納得できる部分と、出来ない部分があった。

 その検証が正しい場合、何らかの理由でソウルチップを破壊されたまま、地上で生存していると、怪物は人に見えるのか。

 過去一度も報告が上がっていない以上、視界情報を書き換えられると、もう一度書き換えられるまではその状態が継続されるのか。

 そもそもの話、なぜこのような争いを仕向けるような仕掛けが、転送装置にはあるのか。

 疑問は尽きない。


「はあ……」

「はは。気持ちは分かるよ。ちなみに僕は今、どうやったらソル君が地上探査を諦めて、研究チームに専念してくれるかを悩んでいる」

「俺も兼任で研究チームに入れてください」

「それは確実になんとかしよう」


 ここまで迅速に話に順応できたのは、単純にソルの好奇心が偶然内容の一端に触れており、嚙み合って得た知見があったから。

 それでも成果は成果。認められるのは素直に嬉しいものだ。


「あとはそうですね。俺が忙しくても、アッシュっていう同期の奴がいるので。彼には全ての知識を共有しておくようにします」

「助かるよ。さて、そうと決まればソル君のことをポールダスさんに伝えておかなければならない。ちょっと離れるね」


 そう言うと、レドルドは去っていった。

 まだまだ問題は残ったままだが、一つずつ解決していくしかないようだった。

 ひどくうんざりとした気分になってしまったが、来ない方が良かったかと言えば、それはない。

 一度頭を空っぽにさせたソルが周囲を見渡していると、いつの間に来ていたのかノアと目が合った。

 彼のことは嫌いではないが、苦手である。大した理由は特にないが。

 嫌な予感を覚えたら、大抵はそうなるもの。

 ノアがソルの方へと歩み寄ってきた。


「やあ」

「どうもです」


 アーリとフィリアの父親だと認識してしまったことで油断をしていたのか、若干ふざけた挨拶を返してしまう。

 よくよく考えると、何の役職もないソルが気軽に言葉を交わせる相手ではないのだ。

 緩衝材の役割を求め、近くにいたはずの双子を探すが、いつの間にか離れた場所から、こちらを窺っていた。

 気になるなら離れなければいいのに、とも思うが、呼びつけるのも一悶着ありそうである。

 ともかくふざけた挨拶をしてしまったのは、疲れていたからだということにしよう。

 ソルは言い訳を探すのだけは早かった。


「さっきはフィリアが気になることを言っていたね」

「あーえっと?」


 咄嗟に出てこず、言葉に詰まる。

 あの姉妹はとんでもないことを言う方が多いからだ。

 見かねたノアが、笑って助け舟を出してくれる。


「君を、自分たちの部隊に入れたいって話さ」

「ありましたね」

「どうする? 本当に入りたいなら、私の方から言っておくけれど」

「すみません。先ほども言いましたが、お断りさせてください」


 ソルがそう言うと、ノアは微笑を浮かべたまた固まっている。肯定も否定もされない。

 聞いてはみたものの、どちらでもよかったのか。それとも何かを思考しているのか。判別できない表情である。


「優秀だって聞いた。遠くから見てたけど、レドルドも楽しそうにしてたね。君は技術者、もしくは研究者としても生きていけそうなのに、それでも地上探査に行くのかい?」


 質問の内容がやや変わった、がソルの答えは決まっている。


「行きます。もう決めました」

「アーリやフィリアと同じ部隊では駄目なのかい?」

「彼女たちの部隊では、時期が遅くなってしまいます」

「君はまだ若い。そこまで急ぐ必要があるのかな?」

「根拠はありません。ただ個人的には、もうそれほど時間がないような予感がしています」

「オーラウェポンは? 自信はあるのかい?」

「身を守るすべなら、身に着けたつもりです」

「戦うとは言わないのだね。それは今日、ここで見たことが影響しているのかな?」


 一呼吸置いて、ソルは唇を結んだ。

 ノアは表情を変えない。ただ淡々と問いかけられている。


「死ぬ気か? もしそうであれば、私は命令してでも君を止める」

「そんな気は全くありません」

「誰かに頼まれたのか? それとも誰かや何かのためを想ってか?」

「いえ、自分の意思で行こうと決めました」

「……君は、自分が思っているよりも頼られている。あの子たちだってそうだ」

「一時的なものです。それに、あの二人に頼られるべきはあなただ」

「私は――」


 今度はノアが言葉を詰まらせた。


「私には無理なんだ。その代わりを、君がやってくれたら嬉しいのだけど」

「それは、どういう……」


 しかしそれもわずかの間であり、すぐに立ち直る。


「私のことはいい。とにかく、あの子たちが気にしていたのは君の生死だよ。あの場で発言するくらいだから、自分たちの部隊に入れたいのはきっと本心だ。君を死なせたくないんだよ」

「あなたは――」


 そうしてソルが何かを言いかけた時、今まで聞いたこともないような大きな音がした。

 同時に襲われたひどい衝撃に、ノアとの会話が中断される。

 立っていられず屈みこんだ。

 警報音が鳴り響く中、段々と揺れが収まってきたことで、ようやく周囲を見渡すことができた。

 立ち込める煙と衝撃の大きさに、何かが起きたのはこの部屋であると、考えずとも分かっていた。

 突然、空が見えた。

 理由はすぐに分かった。壁には大きな穴が開けられていた。

 そして穴の先から聞こえてきたのは風切り音と、複数の人の声。

 ソルの目に初めに映ったのは、体高が三メートルは超える翼を生やした蜥蜴と、その蜥蜴の背に乗る鎧姿の大男。

 男の周囲に一体、また一体とその数を増やしていく。

 壁に空いた穴から次々と雪崩れ込んできた彼らが、穏やかな目的でこの場所に現れたとは到底思えなかった。


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