第23話 郊外の研究所
「よく来たね。ソル君」
「どうも」
陸塊の外周部。他に建物もなく、広い空間の最奥にぽつんと建てられた研究所。
内側の土地には研究のための施設が建てられていく予定だと聞いたが、今はなんとも殺風景だった。
指定されていた場所へ到着すると、技術部怪物対策課の室長であるレドルドが待っていた。
簡単な挨拶を済ませると、レドルドはソルの両脇にくっついていた双子に視線を向けた。
「おや。意外な組み合わせだね。同じタイミングで入って来ただけかと思っていたが、違ったようだ」
レドルドに話しかけられた双子は、視線から逃れるようにソルの背中に半身を隠し、服を引っ張ってくる。
説明をしろということだろう。
その様子を見ていたレドルドは、ソルが何かを言う前に、柔らかな笑みを浮かべ言った。
「随分と仲がよさそうだ。この子たちに協力を頼みたい時は、ソル君に言えばいいのかな? この子たちの能力が最適と思ったデータがあっても、なかなか捕まらなくてね」
「そうでしょうね。なんせ俺が最初に会った時も、廊下を全力で走って遊んでいた馬鹿共ですから。あと我儘で、傲慢で――」
ソルは背中の肉を抓られ、続けようとしていた言葉を引っ込める。
「俺に言われても困りますが、こき使ってやりゃいいですよ。訓練の時以外は結構暇してそうなんで」
今度は尻を蹴り上げられ、ソルは顔を顰めた。
その間に双子が口を開く。
「忙しくないときがあまりないけど、たまになら」
「大体はお兄さんの近くにいるよ」
嘘をつくな、とソルは二人に呆れた表情を向けた。
大体側にいるのが本当だとして、それでなんで戦闘部であるこいつらが忙しいと言えるのか。
訂正するのも一々面倒だっただめ、レドルドに向けて首を横に振っておく。
「ふうむ。ま、頼み事はソル君がいる時にしておくよ。なんだかソル君が一緒にいると、二人ともおとなしそうだからね」
「これで?」
思わず疑問が口をついて出た。
二人の印象に対して驚くべきなのか、やはりというべきなのか。
きっと先ほど行われた所業は、レドルドには見えていなかったのだろう。
人の尻を蹴り上げてくる少女たち相手に、おとなしいだなんて言えるはずがない。
「ははは。じゃあ今日はその二人も一緒にってことかな?」
「あーそうです。大丈夫ですか」
「いいんじゃない? 無理やり連れてきたならともかく、この二人が積極的に関わってくれるものってあまりないからね。良い傾向だと思う。じゃあ、案内しよう」
レドルドの残した言葉から、双子の普段の様子と他者からの印象が垣間見える。
ソルがじとっとした目を向けると、二人は居心地が悪そうに視線を逸らした。
とにかく許可は得られた。
一安心する双子を連れて、先を歩くレドルドについていく。
「この前の会議では、奴らを半年前に捕えていたことだけは聞きました。他に何か分かったことはあるのでしょうか」
「いくつかはね。ただその話をする前に、まずは実際に怪物を見てもらいたいかな。きっと驚くよ」
目的の部屋へ向かう途中、手持ち無沙汰だったため気になっていたことを質問する。
そして自分で話題に出しておいて、ふと気付いた。
本部に来た初日、入口の守衛が話していたセキュリティの強化はこの件に関わっているのだろうと。
確か話に応じてくれた彼も、半年ほど前だと言ってはいなかったか。
「そういえば、一緒に研究をしようって話は考えてくれた?」
今度はレドルドから問いかけられる。
こういった機微だけは察するのが早い双子が、同時にソルの方を見たのが分かった。
ただその視線には応えない。
最終的に納得して、決めたのはソル自身だからだ。
「光栄なお話ですが、すみません。俺はまた地上に行こうと思っています」
「そうか。残念。なんとなく、そうなる気もしてたんだけどね」
「以前挙げられた条件からは外れてしまいますが、研究の方にも携わってよいのであれば、携わりたいですけど」
「本当? ちょっと確認しておこうかな。一人くらいなら例外がいてもいいだろうし、新素材発見者のソル君なら認められそうだよね。ちょうどこの後、お二方とも会うことだし」
「そうなったら、ありがたいですね」
そうなったらなったで、ここ最近悩んでいたのは何だったのかとソルは少し馬鹿馬鹿しく思った。
何やら気になる言葉もあったが、その後は取り留めのない雑談をしながら歩いた。
怪物の危険性を考え、郊外に新しく作られた研究所。
本部とは異なりまだ人が少なく、すれ違う人がほとんどいない。
大仰に施錠された扉を開かれ中に入ると、さらに人気が感じられない場所へと出た。
「さ、着いたよ」
施錠された扉の先で目に付いたのは、広い廊下といくつかの扉。そしてその広い廊下の先に続いている大きな部屋だろう。
大部屋の奥の方にはいくつかの半透明の四角い容器が置かれており、数人の研究員がその箱の周囲で何かを話し合っているようだ。
この位置からでは中身の確認ができないが、おそらく中に入っているのは怪物だ。
好奇心が疼き、唾を飲み込んだソルが一歩前に踏み出すと、レドルドから待ったがかかった。
「ちょっと待って。気持ちは分かるけど、先に話しておきたいことがあるから」
そう言いながら、レドルドは一つの扉をノックする。
中から返事が聞こえ、レドルドが名乗ると入室の許可が下りた。
手招きする彼の後ろについていき、一緒に入室する。
表情には出さなかったが、またかと思った。
部屋の中には、地上探査機関の長ノア・エクシルアークと、技術本部長のポールダスがいた。
「ああ、君か。そういえば今日だったな」
「ええ、ソル君と――」
ポールダスがソルに視線を投げかけ、その後に背後を覗き込むように首を斜めに伸ばした。
意図に気づいたソルが後ろを向くと、予想通り双子はぴったりとソルに連なるようにしてくっついていた。
抵抗する彼女たちを強引に前に突き出し、二人の頭の上に手を片方ずつ乗せて、その場に留めた。
レドルドが続きを言う。
「アーリ嬢とフィリア嬢も一緒にというご希望だったので、とりあえずお連れしました。ご判断はお任せします」
「あー私は構わんが……」
レドルドとポールダスの二人が、同時にノアの顔を窺った。
最終的な決定権がノアにあるということだけは分かるが、今はそれ以上のことは分からない。
腕を組んでいたノアが、黙って状況を見守っていたソルに視線を向ける。
「ソル。アーリとフィリアは君が連れてきたのかな?」
「ええまあ、そうですね」
「二人とは、前々から面識があったのかい?」
「いえ、中央に戻ってきてからなので。初めて会ったのは数日前です」
「それにしては随分と……その」
「よく言われます。二人の性格は俺も把握してるので、非常に共感できます」
「ま、まあまあ。でも可愛がってはいるんだよね」
狂犬姉妹の話がでるたびに皆が皆同じような反応をするため、何が言いたいのか予測が容易である。
ノアの口調は一貫して穏やかなものだったが、どことなく威圧されているような気分になった。
こうも質問責めにされると、何かをやらかしてしまったようで不安になる。
いっそのこと、今までの発言を全て否定してしまおうかとも考えたが、それも変な誤解が生まれると思ったので一つだけ否定することにした。
「可愛いとは思っていません」
ソルがそういった瞬間、アーリとフィリアが振り返り、殴る姿勢を見せた。
「が、面倒は見てます。仕方なく」
同時に繰り出されたへなちょこパンチを、片方の手で一つずつ受け、素早く手首を掴みとる。
襲撃を阻まれ、暴れる姉妹を力で押さえつけていたソルを見ながら、ノアが口を開いた。
「……いいよ。許可しよう」
本当にいいのか、と問いただしたくなる光景を前にして、許可は下りた。質問の意図は全く分からなかったが。
特に何か不都合があったわけではないが、双子を勝手に連れてきたことで、ノアに目をつけられたとしたなら大誤算である。
そうと知っていたなら、連れてこなかったのに。
そんな風にソルが考えていると、姉妹が突然ノアの方へと振り向いた。
「違います、お父さん! 面倒を見ているのは私たちのほうです!」
「お父さん! ついでにこのお兄さんを私たちの部隊に入れる許可もください」
「え? おと――」
双子が口走った衝撃的な事実に、ソルは開いた口が塞がらない。
アーリとフィリアの父親は、機関における絶対権力者ノア・エクシルアークだった。
ポールダスやレドルドは知っていたようだが、とソルが困惑から立ち直れないでいると。
「……許可しよう」
「許可しないでください」
勢いで決まってしまいそうだった人事異動。
ソルはなんとか否定の言葉を口にした。
「では、怪物とご対面する前に説明しておこうかと思うのだが」
話が一区切りついたところで、レドルドが切り出した。
ソルの中では一悶着あったが、この部屋にいる人間にとっては些細なことだったようで、比較的全員が落ち着いていた。
ただ一つ気になったのは、それ以降双子が父親と話す気配はなく、ノアの方もまた双子には視線を向けていないことだ。
複雑な家庭事情を感じずにはいられないが、今は聞くべきではないだろう。
おとなしくレドルドの説明に耳を傾ける。
「説明というよりは注意事項かな。まず、先ほど見えた大部屋に怪物はいる。今は三体かな」
三体。多いような少ないような。
最低限の研究であれば十分だが、数を調べて分かることも多々ある。
凶暴性などを加味すれば、無理はできないか。
ソルは単純に、研究者の目線で考える。
「次に、ここで見たことは他言無用だ。機関の者なら、じきに発表されることではあるので、多少は伝えておいてもいいけどね」
改めて言われ、少し緊張感が出てきた。
機関の者だけというのが気になった。
機関関係者が全員認知できるというのは緩いと思う一方で、全員が共有しておかなければならないという意味だとすると厄介である。
「最後に、怪物は大事な実験体であり、感情のままに動かないこと。容器に触るのは問題ないよ」
当たり前の話である。
今更何をと思ったが、今日は飛び入りで双子が参加したことを思い出す。
ただなんとなくだが、レドルドはソルは意識しながら言ったような気がした。
「分かりました。大丈夫です」
ソルは深く息を吸ってから、冷静な口調で言った。
自分は全く問題がないと、出来る限り真摯に伝わるように。
「アーリ嬢とフィリア嬢も、いいかな」
姉妹が深く頷いているのを見ながら、ソルは思う。
ありえない、と。
三年前の帰還した直後ならともかく、今ならば。
実験体の貴重さは分かっている。もしかしたら、その捕まえる過程で犠牲になった隊員もいるかもしれない。
客観的にだってみれている。
そこまでの妄執がまだ自分の中に残っているのなら、地上探査と、空の上で研究するだけの日々を比べるわけがないのだ。
「じゃあ、行こうか」
ソル達は会議室のような部屋を出て、廊下に出た。
廊下を歩き、大部屋に向かっている間は誰も喋らなかった。
大部屋に四人は足を踏み入れる。
段々とその容器に入っている輪郭が見え始めた。
小さい。ソルがあのとき見た怪物どもよりも、小さな輪郭をしていた。
「え――」
ソルはゆっくりと、歩く速度を上げた。
アーリとフィリア、レドルドの三人を振り切って、駆け足になる。
容器の前まで来たソルは足を止めた。
「これが、怪物……」
これまで話していた内容と感情。
その全てを吹き飛ばすような光景をソルは目にした。
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