第22話 どこにでもいる少女
研究室を出た時には夜の十時を回っていた。
成人にとっては遅すぎるという時間ではないが、日中に街を歩き回っていたため、それなりに体は疲労していた。
感謝の言葉をかけると、アッシュはあくびをしながら何度か頷いた。
連れ立って、外へと向かう。
帰り道に厄介な双子に見つからないよう気を配っていたが、特に会うこともなく建物を出ることが出来た。
「俺はしばらく中央を離れるからいいけどよ」
門を出るまで無言だった二人だが、しばらく歩いたところでアッシュが言った。
「お前はどうするつもりだ? 例の女が、機関には近づくなって言ったんだろ?」
「ああ……」
例の女とは、路地で絡まれていた女のことである。
彼女との会話内容は、アッシュにはすでに伝えていた。戯言だと切って捨てることもできたが、やや意味深な内容だったため気にはなっていた。
無理を言って今日のうちにアッシュに協力を求めたのも、彼女との会話が発端ではあった。
「どうするもなにも、近づくなとか言われても無理だろ。俺たちはそこで雇われてんだから」
「まーそうか。長期休暇を取るって方法もあるが」
「厳しいな。今は特に。大体しばらくっていつまでだよ。何が起こるかも分かっていないどころか、何も起きない可能性の方が高いのに」
「いい加減なことを言っただけの可能性は?」
「なさそう、としか。あの状況で悪意を振りまける奴がいたなら、俺はもう他人を信じることはできない」
ソルの受けた印象だけなら、彼女は冗談を言ったわけでも、胡散臭い思想に取りつかれた様子でもなかった。
何かが起こることを確信して、単純に心配をしていたかのような、そんな口ぶり。
ただそうだとしても、全てを鵜呑みにするわけにはいかず、具体的な情報もないまま動くことなどできない。
「それに、外せない予定もあるしな」
アッシュの協力のおかげで、ソルの研究は間違いなく次へと進むだろう。そのために機関に関係のある施設へ行く必要があった。
そしてその後には、捕獲された怪物との対面が控えている。こればかりは、どうしても外せない。
変化の兆し。
組織的なものにしろ、個人的なものにしろ、全ての研究分野が加速している予感があった。
主要因の一つはソルノートの発見だろう。謙遜する意味はない。
後になって、今が最も大事な時期だったと気づいても遅いのだ。
「俺からしたら、何が起こるか分からないあれこれより、双子先輩と会ってしまうかもしれないってのがな。こわいこわい」
「それはそうだが、怖い? お前今日、めっちゃ舐めた態度取ってたけどな」
「いくら馬鹿でも、相手は先輩で戦闘部のエースだぞ。次がないことくらい分かってる。今度会う時は礼儀正しく接するさ」
「今ので確信したわ。お前は次も舐めてかかる」
笑い合いながら、双子の対策案を考えた。
途中くだらない脱線が続き、夜に出勤しなければいいということに気付くのに時間を要した。
そんな雑談をしながら夜の街道を歩く。
互いの宿泊先は違う。分かれ道に差し掛かり、笑っていたアッシュが突然小さくため息を吐いた。
「なあソル――」
「ん?」
「あまり、急ぎ過ぎるなよ」
アッシュは真面目な声色でそう言った。
なぜだかソルは返す言葉がすぐには出てこなかった。
「じゃあな。気いつけろ」
アッシュは再び顔を綻ばせ、ひらりと手を振り去っていった。
「……ああ」
大股で歩くその後姿をしばらく見ていたソルは、体の向きを変えると、自分の宿泊先へと向かった。
アッシュが中央を離れてからの数日間は、特に警戒するべきことは何も起こらなかった。
機関関連の施設に行き、アッシュにもらった資料に載っていた人物に会いに行く。ソルがやったのはそれだけだ。
何もないなら何もないで、杞憂であればそれでいい。そんな風に思っていたが、変化があったのは明くる日の朝だった。
宿泊先のベッドで寝ていたソルは、部屋の扉をノックする音で目を覚ました。
すでに起きていたルナが、誰だろうかと首を傾げながら扉へと向かう。
何事かを話すルナと、訪ね人の声に耳を傾けた。
内容は聞こえない。相手は女性のようである。
「兄さん!」
ルナの呼ぶ声に、がばりと上半身を起こした。
どうやらお客さんの目当ては自分らしい。
まあ旅行気分で中央に来たルナに、会いに来る奴がいたらいたでおかしいのだが。
頭を掻き、一つ大きなあくびをする。そうしていると、小走りで戻ってきたルナに部屋の入口から声をかけられる。
「同じ顔の女の子が二人、兄さんに会いたいって……」
「追い払ってくれ」
ソルは即座に言い切った。
そんな奴らと会う約束はしていない。訪ねられる理由もない。
きっと部屋を間違えたか何かである。
「すっごく可愛いかったから、もうお部屋に入れちゃった」
「……」
そのような理由で他人を部屋に入れてしまうなど、ルナの危機意識はどうなっているのか。今度しっかりと言っておかねば、と頭の隅で考える。
考えている内、ルナの後ろから顔だけを覗かせた双子が、ソルの姿を見つけ飛び出した。
どたどたと朝の静寂を壊す足音が迫り、ベッドから上半身だけを起こした状態のソルの前に二人が並んだ。
「なんだ、まだ寝てたの」
「お兄さん、おはよぉ!」
夢なら覚めてくれ、と覚醒しきっていない頭で願う。
何の用があって、この姉妹はやって来たのだろう。純粋に疑問だ。
もしかして戦闘部は普段暇なのだろうか。
「全く。私がわざわざ来てやったわよ。喜びなさい」
「お兄さん、おはよぉ!」
朝から押し入ってくるなんて、なんて迷惑な姉妹だ。
呼んでないうえに、押しつけがましい。それでもう一人のこれはなんだろう。挨拶を返さない限り、一生同じ台詞を繰り返すのだろうか。恐ろしい。
「帰れ」
布団をかぶり直したソルは、横になりながら言った。
先日礼を尽くすと言ったばかりだが、礼を尽くさない相手にまで配慮する必要はないのだ。
起きるつもりのないソルを見て、姉妹は顔を見合わせた。
「お兄さん、寝るの? じゃあ私もまだ眠いから、一緒に寝るー」
「フィリア! 駄目よそんなの」
もぞもぞとフィリアが布団に潜り込もうとしたところで、ソルは仕方なくベッドを出た。
「なにしに来た」
簡単に朝の準備を済ませたソルは、宿の一階にある食堂で朝食を食べていた。
高級と言えるほどではないがサービスは行き届いており、朝食も無料で食べられる。
いつもはルナと二人だが、今日は対面に双子が座っていた。
「この前は結局あなたを捕まえられなかったからね。悪いけど、宿を突き止めさせてもらったわ」
「私たちも、しばらくは朝に起きることにしたんだよ」
「健全ではあるが、理由が不健全だな」
朝から疲れた顔をしたソルは、パンを齧った。
時間が経ったのが良かったのか、隣にルナがいるおかげかは分からないが、ひとまず怒っていないようで何よりだ。
次に会ったらいきなり襲われることまで想定していた身としては、悪くない再会と言えるだろう。想定していた以上に早すぎるが。
「そもそも俺を捕まえる必要がないだろ」
「あるでしょうよ。あったはず。だよね? フィリア?」
「うん。どうしてって聞かれたら、困っちゃうけど」
「なさそうだ」
本当にこの二人は何の目的があってここに来たのか。人類の希望が、このような考えなしの小娘たちで大丈夫なのだろうか。
人類の行く末を想って、ソルは頭を抱えた。
「もう兄さん、そんな意地悪しなくていいじゃない」
双子の挙動に、にこにこと笑顔を見せていたルナが言う。
「二人は、兄さんに会いたかっただけだよね」
「ち、違う!」
「そうだよぉ」
ルナの言葉に双子が別々の反応を示した。
アーリは否定の言葉を口にしたあと、フィリアの方を見ながら震え、最後は赤面しながら脱力した。
すぐに姉を裏切る定評があるフィリアのことだ。きっとまた、悪意なく姉の意向を無視したのだろう。
「今日はソルに話があったの! 本当だから! だから付き合って!」
「わっ、お姉ちゃん。こんなところで。すっごく大胆だよぉ」
「え? ちが……」
「なんだか照れるな。でも今は、うーん」
「違うって言ってるでしょ! 悩むな! もう、先に行ってるからね!」
「ルナお姉ちゃんも、またねー」
言うだけ言って、勢いよく席を立ったアーリをフィリアが追いかけて行った。
嚙みちぎったパンをゆっくりと咀嚼したソルは、ため息と共に飲み込んだ。
「あ、やっと来た」
「おっまたせー!」
「待ったのは私たちよ、フィリア!」
ソルが宿を出ると、入口の外で待っていた双子が小走りで駆けよってきた。
何とも騒々しく、道行く人たちに奇異の目で見られている。思わず他人の振りをしたくなった。
「あれ……ちょっと! どこ行くのよ!」
「おにいさーん! 無視しないでぇ」
気付けば、自分の体は双子を背にして歩き始めていた。理性が、欲望を制しきれなかったらしい。
フィリアの物悲しい声に、ようやく進んでいた足が止まる。
「失敬。気づかなかった。もう帰ったのかと」
「待ってるって言ったわよね?」
「ひどいよぉ」
追い付いてきた二人に、今度は逃がさないとばかりに両脇を固められた。
言葉も交わさない自然な連携は、さすが戦闘部のエースといったところか。
ただ、この布陣のまま出発するのは気乗りがしなかった。
まるで休日に娘を連れ歩く父親のようだ。双子とソルの見た目を考えれば、実際には兄と妹といったところか。
とにかく仲良し家族のようで、なんだかむず痒い。
「大丈夫だって。逃げないから離してくれ」
罪人を連行するかのようにアーリに袖を掴まれていたソルは、その手を振り払った。
口を尖らせたアーリが、疑わし気な視線を送ってくる。
「む。本当?」
「本当だ。信じろよ、責任感ある大人の言葉を。俺を」
再び無言で服の袖を掴んでくるアーリ。ソルは舌打ちをした。
今更さっき無視したのはわざとじゃなかったのだ、と言っても信じてもらえないだろう。
まあ、信じてもらう必要はない。
半分は本能で、もう半分はわざとだったのだから。
「お兄さん、私もー」
「利き腕だから、なにかあったらすぐに離せよ」
「わかった!」
「ずっと思ってたんだけどね。あんた、フィリアにはちょっと甘くない?」
しかしなぜ、と思った。
年下に懐かれるのは悪いことではないが、いつの間にこのような形に落ち着いてしまったのか。理解に苦しむ。
二人に出会ったのはあの夜の一度だけ。しかも二人が言うには、非常に失礼な輩だったという話だ。
もしかして、とも思う。
仏頂面ながらも、会話を始めると途端に笑顔が見え隠れするアーリと、常に呑気な笑顔を見せていても、時に芯がある所を感じさせられるフィリア。
それはもちろん、ただの性格の一部としか言えないが、人格形成には周囲の環境が関わってくる。
今思うと、機関への出勤が基本的に夜だけだったというのもおかしな話だ。一般的な家庭では、なかなかそんなこと許してもらえないはず。
二人とソルの共通点。
ソルが二人に感じ取ったように、二人もそれをなんとなく感じ取ったのではないだろうか。
「お前らってさ」
親はいるのか――そう聞こうとして、思いとどまった。
聞いてどうする。この二人はすでに親の庇護が必要な子供なんかではなく、自分の意思を持って行動している。
聞いたところで、ソルには何もできない。
「え、なによ」
「どうしたの?」
ほんの一瞬だった。
ほんの一瞬、意味ありげな態度を取っただけで、双子の瞳に不安の色が混じった気がした。
ソルは頭をがりがりと掻いて、顔を綻ばせる。
「いや、話があるって言ってただろ」
パッと笑顔になったアーリは頷いた。
「聞いてやるから早く話せ」
「せ、急かさないでよ。あんたが忙しそうにしてたのは知ってるから……あのね、ソルは地上に行ったことがあるのよね?」
アーリの質問に、ソルは眉根を寄せた。
何となくフィリアの方を窺うと、笑顔で頷きだけを返される。
「逆にお前らはないのか。戦闘部のエースなんだろ」
「正確には、次期エースなんだよね。私たちはもうちょっと年齢を重ねてからじゃないと、行かせられないって言われた」
「早く行きたいって話か?」
そういう話であれば自分は相談相手として不適合だが、と思いつつソルが問いかけると、アーリは考え込む仕草を見せた。
そして意を決したような表情をした後、乾いた笑みでソルを見上げた。
「やっぱり、怪物って実際に見ると怖かった?」
掴まれていた袖が、ぎゅっと強く握られたのが分かった。
一度唇を結ぶと、アーリは続ける。
「私たちより強いなんて、ありえないよね?」
アーリがそう言ったタイミングで、反対側の袖も引っ張られる感触がした。
やや傲慢とも言える言葉。ただ、そこに秘められた感情は異なっている。
「自信、ないのか?」
「あるよ。あるに決まってる。訓練では何も問題ないしさ。いつ地上に行ったって、問題ないよ。皆だって、そう言ってくれてる。だっておかしいよね? 私たちに出来ないことがあったら、それは――」
「期待が重いのか」
ソルの言葉に、アーリは明確に口にすることは避け、笑って誤魔化した。
見栄を張りたがる彼女の精いっぱいの強がりと、責任感。
「期待されることは、悪い事じゃないのよ。嬉しいし、誇らしい。だけど、一回も地上に行ったこともないのに、まだちょっと早いと思わない?」
それでも、彼女たちは逃げるわけにはいかないのだ。
人類の希望。彼女たちの肩には、想像以上の想いが乗っかっている。
もしかしたらそれは、自身が望まなかった重荷だ。
それを強制的に背負わされている。
「大丈夫だろ」
自然と口から、そう呟いていた。
前を見つづけ歩くソルの顔を、二人が同時に見上げた。
「大人は、皆そう言うんだよ。皆が皆、他人事みたいに。でもそれって――」
「大丈夫」
ソルは二人の目を見て、もう一度言った。
「知ってるか? 俺だって、元々は天才扱いされてたんだよ」
「うん……」
「それは、ちょっとだけ聞いたけど」
知ったからこそ相談してきたのか、ただ偶然話せる相手がソルしかいなかったのか。
どちらだっていい、と思う。
期待されるだけされて裏切った実例の先輩がいるという事実があり、偶然出会った相談相手として、やるべきことをやるだけなのだから。
「そう思い詰めるな。俺を見てみろ。別に期待に応えなくても、生きていける」
「でもソルは、技術者としての才能があったんでしょ」
「なんだ。お前らは他に何もないのか?」
「もしも、ないって言ったら……」
「残念だったな。ま、気にするな」
言った途端、両側から同時に睨まれる。
ムッとした顔の双子は、ソルの肩を何度も叩きながら言う。
「その時は、あんたが養いなさいよね!」
「私もだよ! 私も! お兄さんが責任を持って、二人分稼いできてぇ!」
「なんでだよ。ちゃんと慰めたじゃねえか」
「慰めたって言うか、突き放したよね? いつかあんたのお家に、乗り込んでやるから!」
「はは。今朝のことを思えば、冗談に聞こえないな」
「そりゃあ、お兄さん。冗談じゃないからね」
殴られ続けて体は痛いが、冗談を言えるような元気がでてきて何よりである。
そもそもこの二人に関しては、オーラウェポンの覚醒にまで至っている。ソルの時の盛大なぬか喜びと違ってすでに認められており、不要な心配というものだ。
「それにな……お前らが地上に行く頃には、奴らももっと数を減らしてるさ。もしかしたら、ほとんどいなくなってるかもしれない」
「なんで、そんなことが言えるのよ」
「お兄さん、何か知ってるの?」
「別に何かあるってわけじゃないけどな……」
懐疑的な表情をする双子に、少し考えてソルは言った。
「お前らが地上に行くまでは、俺がやってみようかなって――」
目を丸くした双子を見て、ソルは鼻で笑った。
同時に、ずっとあったはずの胸のもやが晴れたような気がした。
感情のままに重要な判断を下すべきではない。そう頭では理解していたが、口をついて出た言葉が案外心地いい。
「大体お前らみたいなのはな、俺たちのような下っ端がくたばるまでは、出てこない方がいいんだよ」
決めかねていた進退。
迷い続けていた答えがこんな風に出るとは自分でも思わなかった。
「切り札は温存しておくものだからな」
ソルは人類の希望などと大層な名をつけられた二人の少女を眺めた。
成長途上の華奢な体。期待と不安で苦しむ瞳。今の彼女たちは、至ってどこにでもいる少女に見えた。
なんでこんな素性のよく分からない男を、と思う。どう考えても頼る相手を間違えている。
でも。覚悟は今、決まった。
「期待されるだけされとけ。今はまだ、それがお前らの仕事だよ」
啞然とした表情で、その場に立ち止まってしまった双子の肩を叩いたソルは、二人を置いて歩き出した。
びくっと体を震わせ、顔を綻ばせた二人は、駆け足でソルの背を追いかけた。
「そうだ。お前らも見とくか?」
相談事とやらは終わったはずだというのに、未だに周りをうろちょろとする二人にソルは言った。
「ん。何をよ?」
「怪物。実際に見たことがないなら見ておけばいい。良い経験になると思うぞ」
「え? 怪物がいるの? どこに?」
「ここ。空の上。今は限られた奴にしか明かされていない情報だけどな。ま、機関の人間には近いうち明かされるだろうし、お前らならいいだろ」
ソルがそう言うと、アーリは口をぽかんと開けた。
人差し指を唇に当て、何かを考えていた様子のフィリアが、その隣で口を開いた。
「お兄さんも一緒に行くの?」
「もちろん。というか今日の目的はそれだ」
「じゃあ行くー!」
「次期エース様なら許可されるだろうけど、寸前で追っ払われても拗ねるなよ」
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