第21話 仲直りの握手
「あ、ソル。お前かよ。一人でトイレにも行けねえのか! てめえは!」
現れたアッシュと目が合ったソルは、疲れたように首を振った。
そして騒動の原因となった悪質な体当たりを実行した双子を、顎で示す。
「……なるほど」
アッシュはアーリを見てから、首を動かしてソルの後ろにいるフィリアも確認した。
「あーどうも」
いくらか顔を強張らせたかと思うと、小さく手を振るフィリアに笑顔で手を振り返し、一言だけ挨拶を返して部屋の中へと戻ろうとした。
ソルは素早く近づいて、部屋に戻ろうとするアッシュの肩を掴む。
「おいおいおい。アッシュよぉ」
「ふん。そっちの男は、何度か会ったことがあるわね。てことは、あんた本当に機関の人間だったの? それにしてはずいぶんと生意気じゃない」
「なになにー。お友達ぃ?」
好奇心に釣られ、フィリアが近くに寄ってきた。
ふんぞり返って何かを言っているアーリには視線を送ることもなく、ソルはアッシュに詰め寄る。
「このうるさい小娘どもにも、何か言うことがあるだろうが」
「ない。元気があっていいじゃないか。それよりお前も男なら、もう少しお嬢さん方には優しくしろよ」
「あん? なんだ、気持ち悪いな。今更紳士気取りか? こいつらは女の前に子供なんだよ。しかも悪ガキの類――」
「あーソル! いったん口を閉じような! 何があったか知らんが、まずは落ち着いて話し合おうや」
不自然に言葉を遮ってきたアッシュによって、ばんばんと強く背を叩かれ、室内へと誘導される。
「さあ、お嬢さん方もどうぞ。このソルってやつは口が悪いし、根も悪いが――」
「おい」
「機関の人間であることは間違いないので。きっと何かすれ違いがあったに違いない」
「ふうん。ま、悪い奴だってのは一目見てわかってたわ」
「わーい、お邪魔しまぁす!」
言いたい放題のアッシュが、双子も室内へと誘う。
散らかっていた資料を雑に隅に寄せると、ソファに二人を座らせ、茶を汲みに行った。
その様子を窓の近くから立って見ていたソルは、あっけらかんとした口調で言った。
「よし。じゃあ話を始める前に、トイレに行ってくる」
ソルの言葉に、アッシュが早足で戻って来る。
「おーい! その手には乗らねえぞソル! 話し合いが終わるまでは、どこにも行くんじゃねえぞ!」
「え、そういうこと!? 逃げようとしたのね。なんて卑怯な男なの!」
「逃がさないよぉ。私たちとお話、するんでしょ」
「信用ないな」
三者に睨まれ、諦める。トイレにも行かせてもらえないなんて、あんまりだろう。
そもそも話し合おうにも、理不尽な包囲網を敷いていた双子が落ち着いた今、話すことなんてないのだが。
腕を組んだソルは、天井を仰いだ。
「それで? どうしてあんなことになってたのか、聞かせてもらっても?」
素早く茶を汲み終えたアッシュが戻り、双子の正面に座った。
アッシュの質問に、用意されたお菓子を口いっぱいに詰めていた双子は、もごもごと何事かを話すも聞こえない。
窓の側に突っ立ったままのソルは、双子を一瞥して鼻で笑ったあと、先に口を開いた。
「簡単に言えば、トイレに行こうとして邪魔が入った」
ソルがそう言うと、双子の姉アーリが目を見開き、立ちあがる。
「邪魔なんてしてない! 私たちからしたら、あんたが邪魔だった!」
勢いよく否定したアーリの口から食べかすが飛ぶ。
被弾したアッシュが無言で払い落すのを見ながら、ソルは説明を続ける。
「丁字路の先から、挟み込むようにしてこいつらは走ってきた。事前に察知してどうにか回避を試みたが、曲がり角の先に人がいるなんて考えもしない馬鹿姉妹とそのまま衝突。底のない懐の深さで許してやろうとしたところ、チンピラと化した姉妹が難癖をつけてきた。大体こんな感じだ」
「ちっがーう! 何もかも言いがかり! 私たちをチンピラと一緒にするな!」
「馬鹿でもないよ、お姉ちゃん!」
いや馬鹿だろ、と言いかけてソルは口を噤んだ。
何を言おうが認めず、噛みついてくるような双子だ。ここは一度冷静になって、間に入った審判員のアッシュに判断してもらった方が早い。
そこまで考えアッシュに視線を移すと、本人は乾いた笑いを見せていた。
それもそのはず。具体的なことは何も説明せず感情で話す双子と、理路整然と全てを語った者。比較するまでもなく、どちらが悪いかなんて分かりそうなものだ。
さあ早くこの姉妹を部屋からたたき出してくれ、と願いながらソルはアッシュの言葉を待った。
「話は分かった。やっぱり互いに認識のすれ違いがあっただけのようだが、悪いのはソルだな。でも運よくお嬢さん方にも怪我はなかったようなので、今回は許してやってくれないか?」
「え? んーそうね。私たちも、ちょっとだけ熱くなっちゃったこともあるし……仕方ないか」
「しょうがないなぁ。今度からは気を付けてね、お兄さん!」
「不正だ!」
ソルは貼り付けたような笑みを浮かべるアッシュに、指を突き付けた。
「おかしいだろ! どう話を聞いたらそうなるんだ。最初から忖度する気満々じゃねえか! 帰れ、役立たず! 無能審判!」
「いや、いつから俺が審判に……でもほら。ソル、お前の方が二人に比べて体がでかいから。邪魔だったかもしれないし」
「話にならない! 並列で走ってきた暴走姉妹の方が悪いに決まってるだろうが! 大体さっきから気になってたが、お前の態度何かおかしくないか? なんでこいつらの味方をするんだよ。この小娘どもが一体――」
「み、味方とかしてねえし。俺は客観的な意見をだな……というかソル、ちょっと耳貸せ」
最初からアッシュの態度はおかしいことには気づいていたが、何なのか。
指摘をすると慌てた様子で立ち上がったアッシュが、小さな声で耳打ちをしてきた。
「まさかと思ったがお前、本当に気付いてないのか?」
「何をだよ」
「おい、声が大きい」
ソルが問いかけると、アッシュは口の前に人差し指を立て、双子の視線から逃れるように肩を組んできた。
そのままひそひそと小声で話し出す。
「あの二人が誰だか、知ってるか?」
「知らん。誰だ」
「やっぱり……。現代で最も才能があるって言われてる二人だよ。機関の中でも、上澄み中の上澄み。戦闘部のエースだ」
「ああ。あいつらがそうなのか」
聞いたことはあるが、見たことはなかった。
あんな惚けた双子が噂の、とは思うがそれ以上の感想はない。
アッシュはソルの反応にがっくりと首を垂れ、ため息を吐いた。
「双子って時点で気づけよ。珍しいだろうが」
「初めて見たけど、双子って本当にそっくりなのな。通路の先から同じ顔が二つ出てきたときは、ちょっと取り乱しかけたぜ」
「呑気か! どうするんだよ、この状況。どうやったらものの数分で、これほど敵意を向けられるんだ」
「出会い方が、非常によくなかったんだろうな」
「他人事か! 俺たちよりも年下だけど、機関に入ったのはあっちが先で、一応先輩だぞ」
「だからってよ。別にへりくだる必要はないだろ。あんな馬鹿娘二人に――」
「馬鹿だけど! あ、やべ。馬鹿かもしれないけど!」
「酷い奴だな、馬鹿馬鹿と」
「お前が言うな! 今いる人類の中で、オーラウェポンの覚醒に至っている四人のうちの二人だぞ。少しくらい敬ったらどうだ」
「おい、それを先に言え」
オーラウェポンは個人の力。訓練をするうちに自分に適した力が自然に備わり、生まれるものだとされている。
発現したオーラウェポンは個人で性質が変わり、似たようなものはあっても同じものはない。それだけでも特異な存在ではあるオーラウェポンだが、その力がさらに変異することが確認されている。
それが覚醒。覚醒したオーラウェポン保持者は覚醒者、または
ソルは少しだけ二人に興味がわいた。
「ふふ。ソル? どうやら、やっと私たちのことが分かったようね」
心なし嬉しそうな声が聞こえ、アッシュと一緒に振り向くと、鼻息を荒くしたアーリが尊大な笑みを浮かべていた。
「なんのことだ」
「惚けても無駄。反応で分かるもの。さっきまでは本当に相手にされてなかった……って、それもかなり癪に障るけど、今は私たちに意識が向いてるから」
アーリから視線を逸らしたソルは小さく舌打ちをした。
会話内容は聞こえていなくても、雰囲気だけで察したのか。
馬鹿なのにこういう事には鋭いのだな、と呆れつつも感心する。
「まあ、お前ら二人のことは噂には聞いていた。まずは名前を聞かせてくれ」
「アーリ」
「フィリアだよ」
「姉がアーリで、妹がフィリアか」
同じ顔が同時に頷いた。
所作までが瓜二つなところに、ソルは笑いをこらえつつ続ける。
「なるほど、覚えておく」
「……ちょっと待って。まずはっていうか、さっき私たち一度名乗らなかった? もしかして、あんた忘れて――」
「そんな失礼な奴、いるわけないだろうが。アーリにフィリア。ちゃんと分かってたぞ」
「え? でも今、なるほどって」
「言葉の綾だよ。つい、言っちゃっただけだ。つい」
「ま、まあいいわ。さっきまでは散々な言われようだったしね。それにくらべたら……いやでも」
余計な何かを勘ぐり、訝し気な表情をするアーリ。
ふいっと顔を逸らしたソルは、おもむろに窓の外を眺めると、知らぬ振りを貫いた。
窓の外の様子をうかがっていると、くいくいと服の裾が引っ張られた。
「お兄さん。興味のない相手でも、名前はちゃんと覚えようね」
静かに側に近づいてきたフィリアが、周囲には聞こえないよう耳元で言った。
それだけ言って距離を開けると、にこりと笑う。
「私たちのことを聞いて、何か心境の変化でもあった?」
「少しは、尊敬できる部分が見つかったからな」
「ふうん……えー! 少しだけぇ?」
「あったんだな、お前らにも。尊敬できるところが」
「なんか酷くなってる!」
驚愕の表情で固まっているフィリアを眺めていると、ぶつぶつと呟いていたアーリが会話の断片を聞きつけ、再び尊大な表情で前に出てきた。
「あーらあら。やっと自分の分を弁えたようね。ほら、他に何か言うことはない? 先輩である私たちに対して、失礼な態度ばかりを――」
「調子に乗るなよ、小娘ども」
「ん、あれ?」
二人の素性は知った。興味が湧いたのも本当だ。
しかしだからといって下手に出る必要はないという、ソルの考えは最初から変わらない。
「何をいい気になってるか知らないが、お前らのやったことは変わらないだろうが。何度も言うが、廊下を全力で走るのは危ないからやめろ。そもそもなんで二人別れて、違うトイレに行ってんだよ」
「もしも混んでたらどうするの? 別々に行ったのはリスク分散。一人一殺よ」
「お前らの行ったトイレでは誰か二人死んでるのか? どうせ分かってないのに、格好よさそうってだけで難しい言葉を使うな。大体夜にそこまで人がいるかよ」
「あのね? 女の子は色々とやることがあってね。男のあんたじゃ分からないだろうけど」
「殺人か?」
「なにそれ、ばっかみたい」
「お前が言ったんだけどな」
「あ、ほら。化粧台とかさぁ」
「嘘つけ。全力疾走してトイレに向かうような奴らが、いまさら色気づいてんじゃねえよ」
「この男……」
怒りの表情を浮かべるアーリと、何やら落ち込んでいる様子のフィリア。
色々とあったが、そろそろ互いに言いたいことは言えただろう。ここが潮時だ。
そんな結論に至ったソルは、事を円満に収めるため、被害者である自分から謝罪の言葉を口にすることにした。
「さて、もういいだろ。俺も悪かったかもな。すまんすまん」
「こ、こんなに失礼な奴に出会ったのは初めてよ!」
「心配するな。お前らも十分失礼だよ」
「ぐぎぎ……これでも、私たちはそれなりに有名だと思っているのだけど! 私たち二人に出会った時、ソルは本当に何も思わなかったの?」
「え? 凄い。同じ顔だ」
「失礼な!」
「失礼か?」
実際に見るまで、双子がこうも同じ顔だとは想像できていなかった。
聞いたところによると、容姿や性別が異なる双子も存在するらしいが、複雑な話は分からない。
求められていた返答をしなかったことは、ソルも失礼だったかもしれないと認識している。
ただ悪気が勝っただけだ。
「だからな、不本意ではあるが失礼なのはお互い様だって。それに俺、先輩とか後輩とかあまり気にしないタイプだし……」
「私たちが、気にしてるのよ!」
「あ、お姉ちゃん。私は別になんとも思ってないよ?」
フィリアの素直で大らかな意見に、アーリは狼狽えた。
「合わせてよ! ねえ、今だけは気にして? 私も普段は全くどうでもいいけど、今だけは!」
「意見をころころ変える先輩は尊敬できないよな」
「ソルには言われたくない! じゃあ一つ聞くけど、あんたみたいな奴が敬うのはどんな奴よ」
「年上でも年下でも、敬意を払おうと思った相手にはそれなりの対応をするぞ」
「よっし! おうけい! 私たちは、人類の希望だなんて皆に言われているのよ! 敬って!」
「すげえじゃん」
敬えというから敬ったというのに、アーリは奇声を上げながら地団太を踏んでいた。
この年頃の女は難しいと聞くが、本当に分からないものである。
ルナがこんな風に成長しなくて良かったと、ソルは密かに安堵の息を吐いた。
「その言い方と表情からして、もう違うのよ! 私たちは対象外だって言いたいのね!?」
「ごめんな」
「謝れば許されるものでもないから! 何か今、普通に傷ついたんだけど! 馬鹿にされるよりも、効くぅ!」
「はは。お前の姉ちゃん、面白いな」
一人盛り上がるアーリの隣で、ソルはフィリアに話しかける。
「ふふ、そうなの。お姉ちゃん、いつも面白くて。同じ隊の皆も――」
「そこぉ! 私を放って、ほんわかしてるんじゃないわよ!」
「ごめんなさいお姉ちゃん!」
「おい、仲良くしろよ。たとえ双子でも、こういう小さな事から傷は広がっていくもんだ。さあ、二人で仲直りの握手だ」
これ以上は見ていられないと、ソルは二人の間に割って入った。
二人の手首を素早く引き寄せ、握手をさせる。
数秒ほどそのままの状態で固まり、頷いたソルは二人から離れた。
「一件落着だな。良かった。じゃあ俺はもう行くからな」
「うん……分かった」
「またねー。ばいばーい」
微笑を浮かべたソルは、別れの挨拶を済ませると窓から外へ飛び出した。
フィリアと繋いでいる方とは反対側の、空いている方の手を振っていたアーリが、ハッとした顔をして窓辺に走った。
「って、おーい! 違うでしょうが!」
アーリが窓から顔を出して周囲を見渡すも、ソルの姿はなかった。
「え、嘘。ここ三階よね? と、とりあえず下よ! それしかないわ。追うわよフィリア!」
「待ってー、お姉ちゃーん」
アーリとフィリアの二人は、廊下に出るなり走り去っていった。
そして階下へと続く階段を降りる足音が聞こえ始めた時、ソルが窓から室内に戻ってきた。
「ふう、行ったか?」
ソルはどこかへと逃げたのではなく、窓のすぐ外、室内からでは見えない建物の壁に張り付いていただけだった。
「あの小娘共、俺を追う必要あるか? しかもあれだけ言ったのに、まーた廊下を走っちゃって」
「いやいや。行ったか? じゃねえよ。次会ったらお前、殺されるぞ」
途中から完全に姿と気配を消していたアッシュが現われ、声をかけてきた。
やれやれと首を振ると、アッシュへと近づき肩に手を乗せる。
「なんとかなったな相棒」
「誰が相棒だ。おい、俺の肩から手を離せ。共犯にしようとするな」
即座に、肩に置かれた手を払いのけるアッシュ。
「いやぁ、つい」
「つい、でやるには怖い相手だがな」
「なかなか揶揄い甲斐のある奴らだったな」
「度胸すわってんな」
「自分で言うのもなんだが、上手くやったと思う。という訳で、あの二人の資料もくれ」
「は? 資料って……」
「あるだろ? 会ったことがあるって言ってたのは、そういうことだよな?」
アッシュは片眉を上げた。
「はあ」
「最後に二人に握手をさせただろ? あの時に触れることができたから、ついでにな」
「あの時か」
「いやー覚醒者だっていう話だし、解析が楽しみだな」
「ついていけねえや」
呆れたような仕草と口調のアッシュ。しかしその態度と行動が一致することはない。
この友人もまた、研究者の一人であることを本人自身が自覚しているからだ。
薄っすらと笑ったアッシュは、開け放たれたままの扉を閉めに行った。
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