第2話 エマ
この質問はなんだろう。
態度や言葉遣いについて固いと言われたことに対して、皆さん年上なので、とそう返した。そういう話はした。
しかしそれは好きとか嫌いの話ではなく、緊張や委縮をしてしまう相手ばかりだという意味であって。
わざわざ話しかけてきたので最初は何事かと警戒していたが、どうやら彼女は雑談相手を探していただけのようだ。
ソルは肩の力を抜きながら答えた。
「嫌いじゃないけど」
「おお、いいね」
なにがいいね、なのか。心の中で呟いた。
女性隊員は心なし嬉しそうな表情をしてから、何かを納得した表情に変わり、最後は満足そうに頷いていた。
そして身を乗り出してきたかと思うと、興奮した様子で口を開く。
「じゃあじゃあ! 気になる女の子とか、付き合っている女の子はいるの?」
女性隊員の直接的な質問に、ソルは再び言葉に詰まる。
やはりこの類の話だったかと思いつつも、この時この場で聞かれるような内容ではなかっただけに、少々面食らっていた。
地上探査とは、もっとこう張り詰めたものを想像していた。
「いきなりなんだよ。大体――」
先ほどは、男女問わず年上のことを嫌いじゃないと言っただけだった。意味合い的には苦手ではないと言い換えてもよい。
そう説明しようとしたソルの言葉を掻き消すように、女性隊員は勢いよく話し出す。
「あ、そうね。私の名前はエマよ。よろしくね」
女性隊員はエマと名乗った。
聞くのはもしかしたら二度目だったかもしれないが、この際それは置いておく。
いきなりなんだ、とソルは確かに言ったが、それは自己紹介から始めろという意味ではない。
「ソルだ。こちらこそ……」
「うん!」
「じゃなくて、いきなり何? 話、繋がってたか?」
「繋がりがある女の子はいるの?」
「変な繋げ方をするな」
「あなたの周りに、大切にしている女の子はいるかって聞いてるのよ」
なぜか少々苛立った口調でエマは言う。
突拍子もなくおかしな質問を重ねているのはお前だろう、とソルは呆れた表情を向けた。
苛立ちたいのはこちらの方だった。
「そういう意味でなら、妹が」
「あはは! やだ、きもーい」
「一回殴ってもいいか?」
両手で口を隠しつつ、にまにまと笑うエマを見て、手刀の一つでも叩き込んでやろうかと本気で考える。
「冗談よ、冗談。そんなに真剣に怒らないでよ。あれ、まさか――」
「なにがまさかだ。家族として大切って意味だ」
「そんなのわかってるけど」
「わかってるなら、変な捉え方をするな」
「だったら君も、はぐらかすのはやめてね」
「そういった個人的な情報を、あんたに言う必要があるとは思えない」
「あるよ」
エマは即座に言い切った。
理由はとても分かりそうになかったが、なぜか言い切った。
「あるよ。だってこれはもう、あなた個人の問題ではなく、私たち二人の問題なのだから!」
いやに芝居臭く言うエマに、再度呆れた目を向ける。
知り合って挨拶を交わしただけのような二人に、なんの問題が発生したのか。
全く身に覚えがなかった。
「きもちわる」
自然な感想が理性の検閲をすり抜け、口を突いて出た。
言ってからそのことに気付くも、まあいいかとすぐに思い直す。特に後悔はなかった。
エマの目が、かっと見開かれた。
「あー! ひどい! 傷ついた! さっき年上は嫌いじゃないって言ったのに! 嘘だったの?」
「嘘じゃない。意味も違ったからな」
「じゃあ好きってことね」
「好きとは、言ってないが。まあでも……」
「でも?」
「今急速に、嫌いになりかけている」
ソルがそう言うと、エマは驚いた様子で一歩後退った。
「え、今?」
「ああ」
「急速に?」
「おう」
「滑り込みセーフ!」
そして再び、元の位置に戻って来るエマ。
「……なんだこの人」
「それで、恋人はいるの?」
ころころと表情を変えていたエマが、何事もなかったかのように会話開始時点の表情に戻り、話題も始まりに戻る。
どうやらまともなやり取りをする気はないようだと悟る。
段々と対応が面倒になってきたこともあり、隠すことはないかと素直に答えることにした。
「いないけど」
「募集中ってわけね」
したり顔で頷くエマ。
もはや何をどう言おうが勝手に解釈され、準備された罠にかけられるような気分だった。
「一言でも、そんなこと言ったか?」
「男は目と背中で語るものなのよ」
「面白い意見だ。今、俺の目は何を語っていると思う?」
ソルがそう言い、しばらく互いに目を見つめ合っていると、エマが照れたように視線を逸らした。
前髪をしきりに触りながら、そわそわと体を所在なさげに揺らしている。
嫌な予感しかしなかった。
「やだぁもう、積極的。こんなところでなんて……でもいいよ」
「何一つ、通じてないことはわかった。俺は今、何を許された?」
「私の口から言わせる気? 仕方ないなぁ。ためらう私にソル君が――」
言いたくて仕方がないという表情で、すでに何事かを言いかけていたエマを手で制す。
「言わなくていい」
「え、でもソル君が私の……」
「言うな。何を想像してるか知らないけど、やめような」
「ま、さすがにここではね。周りの目もあるし。じゃあ次の話題として、話を戻すけど」
ソルはエマの言ったことをかみ砕こうとして少し混乱した。
「……ちょっと、あんたが何を言っているのかわからない」
「うん」
「うんじゃないが」
「ソル君はこの中だったらどの女の子を選ぶ?」
「俺らってさ、本当に同じ相手と会話してる?」
戻すと言われた話は、やや道を逸れていき新たな道へと繋がっていた。
この中、と言って辺りを見渡したエマ。
釣られてソルも視線を向けると、二人と同じように休憩を取る隊員たちがそこにはいた。
隊員たちは岩の上に座ったり、木にもたれたりしながら、周囲の警戒をしつつも思い思いに体を休めているようだ。
念のため見えている隊員に一通り目を通したソルは、自分を選べと強く目で訴えかけてくるエマと最後に視線を合わせた。
「一応聞いておくが、選ぶってのはどういう意味だ」
「話の流れ的には一つしかないと思うけど」
「どうにも、さっきから流れがつかめないんだ」
「おかしいわね。ここは、それほど強い流れの川ではないはずだけど……」
エマの思案顔に合わせて、ソルも眉間にしわを寄せた。
「なんで川? どこからでてきた」
「一度、選んでみればわかるわ」
「そうか。じゃあ、あんたで」
何がどうなって、話の終着点が全く分からなかったが、とりあえず言われた通り選んでみることにした。
エマはぽっと頬を赤く染めた。
「あら、嬉しい。釣り上げられちゃった。大事に捌いてね」
「それを言いたかったのか」
うまいことを言ったつもりのエマはご満悦といった表情だった。
ソルも合わせて一つ頷くと、あっけらかんと言った。
「リリースしちゃおうっと」
「きっと、すっごく美味しいから勿体ないよ」
「今まで見たこともないような強烈な獲物が引っ掛かったんだ。戻さないと生態系が壊れるかもしれない」
「一度釣り上げられて、人の匂いがついちゃった。戻されても、いじめられるだけよ」
「魚にそんな習性あったのか? 食うか食われるかだと思ってた」
「そうね。伝説の釣り人ソルとの闘いに負けた私は、食べられるべきね」
「そもそも闘ってないし。誰が伝説の釣り人だ」
「食べる?」
「いやいや。釣った覚えもねーよ」
「食べよっか?」
「見た目はともかく、内側に毒がありそうだからやめとこうかなって――」
「針が! 深く食い込んでいて外せない!」
「……なんだこの人」
馬鹿なことを言いつつ腕に抱きついてきたエマを、ぐいぐいと押しのける。
まともに思考もしないような脊髄反射的な会話が続き、気付けば呆れたような視線が休憩中の他の隊員から飛んできていた。
どうにかしてくれ、とソルが助けを求める目で見返していると、視線が合った隊員の一人がくだらなそうな表情で口を開いた。
「年下の新入りを捕まえて、なーにをしてるんだお前は」
「えー? 仕事ですよ、お仕事。見てわかりませんか先輩?」
ソルと視線が合った隊員に、エマが挑発するように言い返していた。
「わからなかったな」
「全く。自分が選ばれなかったからって、嫉妬しないでください」
そして妙なちょっかいをかけられているこの状況は、どうやら仕事の一つらしい。
エマとその先輩らしき隊員の会話を聞きソルは驚愕した。
「強引に話を持っていったくせに何をと言いたいが、別に選ばれなかったことに不満はないな」
先輩隊員が言うことにソルは何度か頷いた。
「さっきの質問だと、この隊の全員がお前を選ぶからな」
「え、なに? 私ってばモテモテ? いやんいやん。こんな深い森の中で、周りが野獣だらけだったなんて。怖いわぁ」
大げさに自分の体を抱きしめるようにして警戒するエマ。
その表情はとても怖がっているようには見えなかった。
「モテているかはともかく――」
「は? 引っ叩きますよ、先輩」
豹変したエマの威圧的な言葉を無視しながら、先輩隊員は続ける。
「そもそもお前しか女はいねえから」
そう、一択だったのだ。
女性を選べと言われたソルであったが、初めからこの隊に女性は一人しかいなかった。
選択させておきながら実は選択肢はないという、詐欺師のような手口だった。
「なあエマ。お前は慎ましさってやつをもう少し……」
「私だって人は選んでます! それにほら、ソル君は嫌いじゃないみたいですよぉ?」
そう言いながら、エマの慎ましくない部分がさらに腕に押し付けられる。
嫌いじゃないというよりも、釣り上げた魚に噛みつかれたようだと半ば抵抗するのを諦めていた。
そもそも釣りをした覚えもなかったが。
「まあ、でもなんだ」
深くため息を吐いたソルが顔を上げると、いつのまにか先輩隊員の視線が向けられていた。
「少しは緊張がほぐれたか?」
朗らかな口調で先輩隊員はそう言った。
同時に周囲にいる他の隊員からも気遣われているような視線に気づき、ようやく理解した。
一度落ち着いて先ほどまでの自分を見つめ直してみれば、体力的にも精神的にも疲弊していたのがよくわかる。
初めての地上探査ということで、思っていたよりも緊張していたのだろう。
つまりこの状況は。
「ありがとうございます」
少し照れ臭い気もしたが、ソルは素直に礼を言った。
早いと思ったこの休憩も、これといった目的もなくただエマという変人が満足するだけの茶番も、まさか新入りである自分のためだったとは。
「そろそろ休憩も終わりだ。準備しろ」
「はい」
先輩隊員が歩き出したのを見て、立ち上がったソルも後に続く。
「……え? あ、ねえ。私は結構本気だよ?」
良い雰囲気で終わりそうだったところに、冗談か本気かわからない余計な一言が飛び込んできた気がした。
「ねえ、聞いてる? ねえってば!」
話しかけられているのは自分ではない。そう言い聞かせながら、ソルは背中から聞こえてくる声を無視してまた森を進み始めた。
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