第3話 未探索領域
行軍は順調だった。
大した問題が起きることもないまま、ソルの所属する隊は境界を越え、未探索領域と呼ばれる場所へと到達していた。
「お、もう終わったのか」
作業していた手を止め一休みしていると、周囲を警戒していた隊員の一人に声をかけられる。
「はい。ビーコンの設置は完了しました」
「お疲れさん。隊長呼んでくるから休憩してな」
「ありがとうございます」
服についた汚れを叩き落とし、埋めたビーコンの地面の上で何度か跳ねてみた。
手に持った地図を広げ、間違いなく領域が拡大されていることを確かめると、一度大きく深呼吸をする。
「大丈夫かな?」
簡単に動作確認をしたとはいえ、不安の残るソルは自問自答した。
地上探査における部隊にはいくつか種類があるが、この隊に与えられた主な任務は探索領域の拡大である。
未踏地域に足を踏み入れ、小指の先に乗るほどの小さな機器――ビーコンと呼ばれるもの――を地中に埋め込むことで、地図が拡大されていく。
未探索領域に侵入し、地図を拡げたあとはまた新しい境界を目指し、同じことを繰り返す。
そうして探索領域を拡げていくのがこの隊の目的であり、技術部に所属するソルが地上探査に同行する理由の一つではあるのだが。
「まさか初日から仕事を頼むことになるとはな」
今しがた考えていたことと同じことを、近くまで来た隊長が言った。
「早めに経験出来て、良かったと思います」
謙遜ではなく、素直にそう思った。
技術部に所属するソルが地上探査に同行するための必須技術。
いつかはやらなければいけないことであり、早めに経験できたのは僥倖と言えた。
「一応隊長の方でも、見てもらっていいですか」
地図には特殊な技術が使用されており、一度更新された領域は、地上探査を行なう全部隊で共有することができる。
初めての作業ということもあり、ソルは確認を願い出た。
「おう」
一言返事をした隊長は、ソルから地図を受け取った。
地図は上空から見下ろしたような簡素な平面図であり、大きく高低差のある場所はやや線が濃くなっている程度である。
よって複雑な地形は地図からでは読み取れない場合があるが、領域の拡大は地図になかった道が付け足されているため分かりやすい。確認自体はすぐに終わった。
「問題ない。作業時間も含め、言うことなしだ」
隊長はそう言って、白い歯を見せた。
一呼吸を置き、口元から順に筋が解れていくのが分かった。
体の内側から上がってくるどうしようもない喜びに、思わず口角が上がるのを抑えきれなかった。
「ありがとうございます」
「これからも頼むぞ」
ソルの肩を優しく一度叩くと、隊長は去っていった。
手が自然と握りこぶしを作っていた。
自他共に認める大きな欠陥を抱えていたソルが、本当に安心できたのはこの瞬間だったのだ。
「なんだか、今のソル君の顔を見てると胸がキュンキュンする。これって……」
突如として阿保な発言が聞こえてきたかと思えば、そこにはエマがいた。
いつの間に近くにいたのか、厄介な女に目を付けられたと、瞬時に笑顔が引っ込んだ。
良い気分が台無しだった。
「恋? いや、愛ね!」
「知らねーよ馬鹿。持ち場に戻れ」
しっしと野良犬を追い払うように手を振る。
休憩を重ねる度に、不要なちょっかいをかけてくるエマに対して、すでに遠慮という言葉は消えていた。
ただの隊長と部下のやり取りだったはずだが、なぜだか弱みを握られたような気がして居心地が悪い。
「ソールくーん」
そんなソルをじっと見ていたエマだったが、離れるどころか嬉しそうな顔をして、さらに近づいてくる。
注意をしているはずなのに、人の言葉が分からず、遊んでもらえると勘違いした犬のようであった。
スキップをしながら近づいてくるエマに転べと念じてみるも、願いが叶えられることはなかった。
「え! 今、ソル君から何か飛んできた!」
「えっ」
「愛の波動……かな」
「何を言ってる?」
そんなものはもちろん飛ばしていない。
やや邪悪な願いはした。
謎のエマの第六感に、ソルは身震いした。
「ふうん、まあいいか。持ち場に戻るも何も、この隊に明確な持ち場なんてないよ。何となく、ベテラン組が散らばってるだけなんだ」
「へえ。そんなもんか――」
「それよりもぉ!」
まともな話であればと一瞬油断したが、エマが怪しい笑みを浮かべたことで頬の筋肉が引きつったのが分かった。
「私、気付いちゃった」
そう言って、エマがちらちらと窺うようにソルの顔を盗み見る。
変な奴だと思ってはいても、別に嫌っているわけではない。
それに、さすがに面と向かって話をしている先輩相手に無視をすることは難しく、ソルは渋々と聞き返す。
「あー何を?」
「ソル君ってさ、普段からあまり表情が変わらないよね」
「普段て。あんたとは、まだ会って間もないけど」
「険しいというか、鋭さがあるというか」
「そうか? そんなこと、言われたことないけどな」
「本でよく見るような澄まし顔って、こういうのなんだ! って感じ」
「なんだそれ……てか聞いてる? 俺の話」
「でもだからこそ!」
エマが突然声を張り上げ、驚いたソルは少し仰け反った。
「さっき隊長に見せてたような笑顔が、とても尊いものなんだって気付いたわ!」
どこか遠くの方を見ながら、得体の知れない何かを力説される。
やはり聞かなければ良かったと後悔した。
初めて言葉を交わしてからというもの、まともな話が一つとしてあったかどうかも怪しい相手だ。
「今すぐ帰って、病院に行った方がいい」
「そうしようかな? 胸の動悸が凄いもん」
興奮した様子でエマは胸のあたりをおさえる。
ソルは悲痛な表情をして、首を横に振った。
「診てもらうのは頭の方だ」
「あの笑顔は、私だけに見せてほしいって、今は思う」
恍惚な表情で再び一人語り出すエマ。
視線はこちらに向いてはいたが、意識はどこか別の世界にあるようだった。
「やっぱり何にも話聞かないな、こいつ」
「んー。なんだろう、この気持ち」
「話し相手の気持ちも、もっと考えられるといいな」
「あ、ソル君。これだけは言っておくね」
都合の悪い言葉だけを無視して話を進める手腕は大したものだな、と変に感心していると、エマは言う。
「私って攻めるタイプだと思ってたんだけど、ソル君には攻めさせてあげる」
彼女は、一体何の話をしているのだろうか。
言いしれようのない悪寒に、身体がぶるりと震え上がった。
「会ったばかりのあんたに言うのも変だが、いつも通り何を言っているのか分からない」
「攻めるか、守るか。戦いは、その二つに分かれるからこそ面白いのよ」
「説明されても理解できなかったのは貴重な経験だ」
きっと理解できないのではなく理解したくないのだな、とソルは自らを分析した。
「よく分からないけど、戦いだというのであれば提案がある」
「え、さっそく? いやんいやん! 私の守りは、君が思うよりずっと固いんだから!」
「はあ……」
城主エマが自軍の城門は固いと喧伝する。
破ってみろと挑発されているようだが、そもそもその城を攻めること自体に興味がない。
「不可侵条約を結ぼう。俺とあんたで」
「不可侵条約?」
「ああ。平和のためにはそれが最善だろう」
「わかったわ。両国の安寧を民に印象付けるため、条約に際してエマ姫をソル王子の元へ嫁がせることにします」
「そんな世界観だったんだ?」
「ふふ。女の子はいつだってお姫様なの」
「そうか。でも、実は王子は反条約推進派だったんだ。派閥争いに巻き込まれて、すでに命はない。諦めてくれ」
じゃあな、とエマに向かって手を振った。
くだらない話はここまでだ、と強引に打ち切り歩き出したが、向かう方向は同じである。
一度はきょとんとした表情で固まっていたエマだったが、何事もなかったかのように隣に並んできたのを見て、思わず舌打ちが出た。
「お前ら、いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」
その後もしょうもない攻防を続けていると声がかかった。
声をかけてきたのは隊長で、面白そうなものを見つけたとばかりに口元を歪めている。
エマと同類だと思われたくはなかったが、隊長をぞんざいに扱うことなどできない。
仕方なく、隊長を加えた三人で固まって歩き出す。
「仲がいいように見えますか」
「ああ。違うのか?」
違います、違わないですとソルとエマの声が被った。
むっとした顔をエマから向けられたのは分かったが、気付かない振りをして無視を決め込む。
目を合わせれば終わりだ。
苦笑いの隊長が、質問を続ける。
「どんな話をしてたんだ?」
「相性の悪い俺たちが、これからどうすれば互いに干渉せずやっていけるか、についてですね」
至って真面目な顔でソルは説明をした。
「違います。姫のキスで息を吹き返した王子が、とびっきりの笑顔を姫に見せたところでした」
淑やかな表情でエマが返してくる。
別々の主張。困惑した様子の隊長は、なんとか話の内容を理解しようとしているようで、厳しい表情になっていく。
「どっちの話だったとしても、続きが気になるけどなぁ」
中立を貫く隊長は、どこまでも呑気な感想を呟いた。
「そういえばさぁ、ソル君」
何はともあれ隊長が会話に入ったことで、一つ落ち着きが生まれていた。
先ほどまでよりは比較的真面目な表情になったエマが問いかけてくる。
「残存オーラは?」
「あ、そうだ。エリア拡大なんて久々で、聞くのを忘れてたよ」
隊長もしまったという顔をしてから、話に乗っかってきた。
「あと何回くらいいけそうだ?」
「ええっと……」
「もしかして、もう」
「いえ、大丈夫です。さっきの消費量は確か――」
言い淀んでしまい、一度計算する振りをして誤魔化した。
エマの言ったオーラとは、人が持つ特殊なエネルギーのことを指すのだが、実態はよくわかっていない。
分かってはいないが、使えているから使うという、人体のブラックボックスエネルギーと言えるもの。
オーラには個人差があり、用途は様々。
先ほど地面に埋めたビーコンの起動などにも使われており、隊の目的を考えるとソルのオーラ残量次第では部隊の帰還も視野に入れなければいけないのだが。
「数十回はいけるかと」
結局すぐに口に出したのは何とも曖昧な数。
分かるのは計算などまだまだ必要がないほど、余裕があることだけだった。
「え、すっご!」
「ビーコンの起動って、結構消費するはずなんだけどな」
決して二人を驚かせるために言い淀んだのではなく、反射的なものだった。
ソルはこのオーラと呼ばれる謎のエネルギーに、良い感情を持ってはいなかったからだ。
「私たち、今日だけでどこまで行けるんだろう……」
「数回のマップ更新で帰還しなければいけない部隊に比べると、遥かに効率はいいだろうな」
隊長とエマに同時に視線を向けられる。
ソルにはこの後言われる言葉が予測できた。
「さすが、天才君ね」
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