第19話 丁字路
機関の建物は、昼夜を問わず開かれている。
決まった働き方を指示されていない者は、何時に出勤しようが、何時間働こうが、構わない仕組みになっているからだ。
そのため夜にだけ出勤したり、ほとんど会社から帰らないような物好きもいたりする。
もちろん色々と不都合なこともあるが、ソルはその自由な働き方が可能な点は気に入っていた。
「うーす」
「こんばんワンダホー」
入口に立っていた守衛にアッシュが舐めた挨拶をしながら、本日二度目の門をくぐる。
日中と比べ、人の出入りがほとんどないのだろう。ソルとアッシュを一瞥した守衛は、特に何も言わず、遠くの方から片手を上げただけだった。
今の確認方法で、不審者かそうでないかを見分けられているのかは甚だ疑問である。
門を抜けた後は、どこにも寄り道することなく技術部のある棟へ。
守衛を始め建物内にいる顔ぶれが、朝来た時とは結構変わっているのが、なんだか少し変な気分だった。
「どこに置いてたっけな。ちょっと探さないとだめだ」
すでにアッシュには、ソルの用件は伝えてあった。
必要なのは、オーラ研究をしている上でアッシュが集めた資料である。
「時間かかりそうか?」
「多分な」
「ならちょっとトイレに行ってくる」
「おう」
きちんと整理されていなかったのか、がさがさと目的の資料を探し始めた男の背中に声をかけ、ソルは廊下に出た。
トイレは建物内に数か所あるが、どのトイレが一番近かったかと一瞬考え、丁字路がある方へ向かって進み始めた。
左右のどちらかは忘れたが、丁字路を曲がった先にトイレがあったはずだと覚えていた。
「……ん」
人気のない廊下。丁字路の近くまで来たソルは足を止める。
右に曲がった先から、誰かが駆けるような足音が聞こえてきたからだ。
駆けてくる相手が、自分に気付いているかは分からない。
丁度曲がった際に、衝突する可能性のある距離感だと思ったソルは、通路の左端に寄った。
そうすることで、勢いよく内側を攻められても衝突を回避できる算段だ。
「……ふむ」
しかしそれほど間を置かず、今度は左に曲がった先からも駆けるような足音が聞こえてくることに気付いた。
ソルは無言で通路の真ん中に戻った。
左右から迫る者たちは、ほとんど同じタイミングで丁字路に進入するだろう。そして、共に内側を攻められたとしても対応できるようにと。
駆ける二人は互いのことが見えているのだろうが、おそらくソルの存在には気づいていない。なぜなら二人とも、曲がった先に人がいることなど考慮もしない速度を保ったままだからだ。
こんなことなら早めに丁字路の視界を確保して、どちらかに曲がるべきだったと後悔した。というよりも、施設内を走るなよ、と思った。
「よし。来いよ……」
迫りくる足音に、静かに闘志を滾らせたソルは構える姿勢を取った。
全力では立ち向かえない。僅かな尿意に、集中力を乱されているからだ。
「うおお!」
それでも、と思う。
それでもこの困難を、どうにか乗り越えなければいけない。
考えろ、考えろ、考えろ。
屈辱と後悔に染まったあの三年前には、もう戻らないと誓ったのだから。
丁字路の左右から現れたのは、随分と年下に見える二人の少女だった。
「わっ! 何こいつ。敵!?」
「ぶぶぶ、ぶつかっちゃうよぉ!」
咄嗟に浮かんだ表情こそ異なるものの、二人は全く同じ顔だった。見るのは初めて。おそらく双子というやつなのだろう。
予想通り、二人は勢いよく同時に角の内側を曲がり、ソルへと迫っていた。
「敵ではない!」
「ええ?」
そもそも敵ってなんだよ、とソルは思う。
「そして……俺を信じろ!」
「どういうことぉ!?」
右に左。素早く二人を視線に捉えたソルは、瞬時に自分がどう動くべきかを判断した。
二人の少女と、一人の男。それらが交錯する瞬間、男は構えを解いた。
男、つまりソルが選んだのは静止だった。
左右のどちらかに避ければ、片方と衝突してしまう。それならばこのまま中央で待機しようと考えた。
まず、その場から動く素振りを一切見せないことで、少女たちの中から焦りと迷いを排除する。そしてその勢いのまま、自身の両脇を抜けてもらうのだ。
一人しか救えないなんて、誰が決めた。どうせ救うなら、全員が幸せになる道を選びたい。
誰かの犠牲のもとに成り立つ未来なんて、望んではいない。
ソルはふっと笑った。
「……ちくしょう」
笑顔でそのように呟いた時には、すでにどうしようもなかった。
二人の少女は進路を変更し、頭突きのような形で、通路真ん中にいるソルへと突っ込んできた。
「うぐぉああ!」
衝突され、廊下を少し転がったソル。
思わぬダメージを負った腹に手を当てながら、ゆっくりと上半身を起こした。
「何すんだ、てめえら!」
いてて、と言いながら同じような動作で頭を抑えていた少女二人も、ソルの方を見て立ち上がった。
「いったいわねぇ! 何すんのよ!」
「うう。避けてよぉ」
「な、何するはこっちの台詞だ馬鹿ども! 避けてよ、じゃねえんだよ! 避けたらお前らのどっちかと、ぶつかるかもしれなかっただろうが!」
最初に出てくる言葉が、謝罪ではなく非難とは。
年下だろうが、女であろうが関係ない。
この世の理不尽を嘆いたソルは、徹底抗戦することを胸に誓った。
「はぁ? 私たちのせいにするつもり? そもそもあんたが、あんな所でぼーっと突っ立ってるのが悪いんでしょ!」
「ぼーっとなんてしてるかよ! 適度な緊張感を持って、衝突しないよう対策に対策を重ねてたんだ!」
「その割には、全然駄目だったじゃない!」
「俺だって目と耳を疑ったわ! こんな屋内で、本当に廊下を爆走してくる奴らがいるとは思わなかったんでねぇ!」
「あはは。それはね、お兄さん。私たち同時に別々のおトイレに行ったんだけど、帰りも偶然お姉ちゃんと一緒になったから、なんだか嬉しくなっちゃって」
同じ顔ではあるが、目つきが鋭く口調が強い方が姉で、のほほんとした雰囲気を纏っているのが妹のようだ。
「……だから何だよ。教えてくれよ。嬉しくなっちゃって走ったのか? お姉ちゃんと会えて良かったなぁ!」
「あ、そう。それ! よくわかったね!」
双子妹の不思議世界に引きずり込まれ、毒気が抜かれたソルは大きくため息を吐いた。
「なんだぁ、お兄さん。教えてくれって言いながら、全部わかってるじゃあん」
へらへらと笑う双子妹に無言で近づいたソルは、頭をはたいた。
「なんで、叩くのぉ!?」
「あ、あんた! なんてことを!」
騒がしい双子に背を向けたソルは、元来た道を戻り始めた。
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