第18話 治安維持
月明りだけが頼りの薄暗い路地の中、一人佇んでいたソルの元に、ルナとアッシュが合流した。
走り去った女の方向を神妙な顔で見ていたソルは、小走りで駆けよってきたルナに袖を引かれ、振り向いた。
「どうしたの?」
「いやな……」
何が何だか、とソルは思う。
絡まれていた女は被害者であり、特にこの場に留めておく理由もないため追いかけなかったが、去り際に言われた言葉が気にかかっていた。
「まあいいか。何でもない」
悩みはしたが、ソルは女とのやり取りを心の内に留めた。
走り去った女が誰かも、どこに行ったのかも分からない以上、考えても仕方がない。今は、そう判断するしかなかった。
「ふうん。それより兄さん、怪我はしてない?」
「大丈夫だ」
「ごめんね。私が変なお願いをしたから」
「これも機関の仕事といえば仕事だからな。俺は、治安を維持しただけだ」
ルナに頼まれるまでは、無視するつもりだったとは言えない。
ルナの後ろで乾いた笑いを見せたアッシュを、ソルは視線で黙らせた。
「あれ、絡まれてた女の子は?」
「もうどこかに行ったよ」
「そうなんだ。助けてもらっておいて、ちょっと冷たくない?」
「礼なら言われたぞ。急ぎの用でもあったんだろ」
言いながら、ソルは思考を走らせた。
見た目は、特に何の変哲もない、華奢な若い女という感じだった。
しかし礼こそ言われはしたものの、果たして彼女に助けは必要だったのだろうか。
あの時、あの瞬間。あの場に出ていく必要性を感じたのは確かなのだが。
「いち、に、さん……と、五人もいたのか。結局こいつらはなんだったんだ」
意識のない複数の男が転がっているのを横目に、アッシュが苦笑いをしながら口を開いた。
「想像通りの奴らだよ」
「はぁん。しかし、また派手にやったな」
「警告はしたんだがな」
ソルがそう言うと、複雑な表情をするアッシュ。
時間をかければ話し合いで解決出来たような気もしたが、面倒だと思ったことは黙っておいた。
「俺は、治安を維持しただけだ」
「いや、別に責めてるわけじゃねえよ。そこらの素人が、お前の相手になるわけねえのは知ってるが……」
「俺は、治安を維持しただけだ」
「結果的にお前に行ってもらってよかったな。俺だったら、五人相手に無傷とはいかなかっただろうし」
「俺は、治安を維持しただけだ」
「てか、さっきからなんだよそれは。気に入ってんのか? 聞きたいのはそういうことじゃなくてだな」
はぐらかすつもりはなかったが、どこから説明しようか、とソルは考えていた。
五人を素早く無力化できたのは、オーラウェポンの力である。
何年も、何年も、機関の訓練期間では発現することが出来なかったその力を、今回使いこなした。
その結果を得た過程を考えれば、吹聴するわけにもいかず、機関にも報告はしていなかったが。
「アッシュ、このあと話したいことがあるんだが、聞いたことは秘密にしてくれると助かる」
「秘密の多い男だな。昼間聞いた話も十分に……」
「あれくらいなら、聞かれたとしても妄想だと笑われて終わるだけだろ」
「そうかぁ?」
「まあまあ。とりあえず、こんな暗いところで話してても仕方がない。行こう」
アッシュの肩に手を乗せたソルは、路地から出るよう促した。
「そういや、こいつらは?」
途中、その辺に転がっていたチンピラ共に、アッシュが視線を向けた。
「酔っぱらいの延長みたいなもんだ。放っとけ」
「結構、事件性のある倒れ方してるけどな」
路地から出て、歩き出した三人は再び宿へと向かった。
今度は変な不都合に巻き込まれることはなく、のんびりと歩いた。
夜になってもルナとアッシュの口数は減らず、こいつら元気だな、等と考えていると宿に到着した。
「今日はありがとうね、アッシュさん」
「いやあ、全然いいよ。ルナちゃんのためだったら、いつでも付き合うから言ってね」
アッシュに持たせていた荷物を素早く部屋に置いて戻ってくると、二人が宿の入り口で別れの挨拶をしていたのでソルも加わる。
「待たせたな。行こうか」
「じゃあね、アッシュさん」
「おう。また今度」
手を振るルナを宿に残し、ソルとアッシュは歩き出した。
歩き始めてすぐに、アッシュは何かに気付き狼狽える。
「ん? いやいや。待たせたな、じゃねえよ。なんでお前も来るんだよ」
「話があるって言っただろ。おーい、ルナ! ちょっと俺は出かけてくるから、戸締りはしっかりな!」
「はーい! 行ってらっしゃい。早く帰ってきてね!」
狼狽えるアッシュの肩に手を回し、逃げられないようにしたソルはにっと笑う。
「ちょっと、頼みがある」
「お前が思ってるより、実は結構疲れてんだけどな」
「疲れてるところ悪いが、頼みがある」
「前置きを挟めばいいってことじゃねえよ。嫌みだよ、嫌み」
「性格わる……」
「お前に言われたくないわ! どっちかと言えば優しさだよ! やんわりと断ってんだよ!」
嫌だと言いながらも、構われると嬉しがるこいつの性格にはうんざりだ。
やれやれ、と首を振ったソルは、アッシュの言葉を流した。
「面倒くせえ奴だな。本当に……」
「多分だけどな、ソル。お前が今考えていることは、間違っていると思う」
「今日ソウルチップについて話しただろ。あれに関係する、というかあの推測を裏付けるようなことなんだが」
「いきなり始まっちゃった。今日じゃなきゃ、駄目なのか?」
「ああ」
この友人になら伝えても良い、というよりも伝えた上で協力してもらいたいことがあった。
本当はアッシュが中央に戻ってきてからと考えていたが、路地で会った女の言葉が妙に気にかかっていた。
漠然とではあるが、急いだ方がいい、そんな風に思った。
「頼む」
ソルが真剣な表情でそう言うと、アッシュは大きくため息を吐いた。
「……ああもう、分かったよ。手短に頼む」
アッシュが話を聞く体勢に入ったのを見て、ソルは肩に回していた手を解いた。
「内容は、歩きながら話そう。目的地に着くまでには終わるから」
「ソウルチップが、どうとか言ってたな……いや、待て。その前に」
「どうした」
「手短にって言ったよな? 目的地ってなんだよ。話だけじゃねえのか? 今更だが、俺たちは今どこに向かってるんだよ」
「お前の研究室」
首を傾げたアッシュは、腕を組み黙り込んだ。
そしてしばらくして一度だけ頷き、口を開いた。
「俺の宿泊先とは真逆なんだが?」
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