第16話 小さな幸せ
陽が傾き始め、街に街灯が灯り始めた。
最後に一つ、行きたいところがあると言ったルナの言葉で、長かった午後の散策もようやく終わりを迎えることを知る。
両手一杯に買い物袋を持ったアッシュの表情が一瞬、あからさまに喜びへと変わったのをソルは見逃さなかった。
「大変だな、お前も」
先を歩くルナには聞こえないように、アッシュに小声で話しかける。
「そう思うなら、ソル。お前も持ったらどうだ」
「今日の主役はルナだ。そのルナの意向は絶対だ。ルナがお前に渡した以上、俺がそれを横からかすめ取るわけにはいかない」
「なんだそれ。そんな理屈が通るとでも――」
アッシュの反論を聞き切る前に、ルナが目的地と思われる店の前で立ち止まり、二人は口をつぐんだ。
「目星はつけてあるから、ちょっと待ってて。アッシュさんも、重いかもしれないけど、もう少しだから。ごめんね」
「ルナちゃんの荷物なら、喜んで持つさ」
最後の最後になって、荷物を持たせていることを気にかけ出したルナと、張り付けた笑顔で強がるアッシュ。
ルナが店の中へと消えたあと、ソルは口を開いた。
「大変だな、お前も」
「ついさっきも聞いたな、その台詞」
「これといった話題がないからな」
「天気の話みたいなものか」
「そうだな」
ルナの買い物に付き合って、数時間は経っただろうか。
話す時間はたっぷりとあった。仕事の話や近況を語り合う以外に、男二人の間にすでにこれといった話題はない。
昔話をするには二人は若く、懐かしいと言えるほどの再会でもなかった。
「じゃあ、大変だと気遣っているようで、本心では何も思ってないってことだな」
「まあな」
「何すんなり認めてんだ。今のも、気遣うタイミングだったろ」
「大丈夫。宿泊先は、この近くだ」
「なるほど。買った荷物を、そこまで運べって言ってるんだな」
「あと少しだ、頑張れ」
「何が頑張れだ。そういうのはな、気遣ってるとは言わないんだよ」
「お前は髭が濃いから、毎日大変だろ」
「朝に剃っても、昼にはちくちくするから毎日剃るのは諦めた。どうでもいい気遣い、ありがとよ」
実のない話が続く。
ソウルチップの空き領域を、無駄に消費しているような気分だった。
このような些細な会話でも、自分が覚えている限りは記憶されているのだろうな、とぼんやりと考える。
「そういや、ルナのことはどう思ってる?」
「さすがお前の妹だ」
「答えになってねえけど」
「これ以上にない回答だろ。なんだ、珍しいな。お前がそういう話をしてくるのは」
「こんな時間まで付き合う必要はなかっただろ。あいつに、気でもあるのかと思って」
「いいや? どうにも、可愛い子の命令には逆らえない性質でね」
顔だけは良いルナに、騙された
からかって遊ぼうとしていたソルは、一つ舌打ちをすると、硬派気取りで格好をつけ始めた
「ちなみに、その中には俺の荷物も入ってるぞ」
「嘘だろ」
「服選びなんかは、ルナに任せているからな」
「嘘だろ」
あらゆる分野をそれなりにこなす自信のあるソルだが、芸術方面の才能はからっきしであった。
服の良し悪しなんて分からない。選ぶのは大体ルナに任せていた。
ソルの身に着ける物を選んでいる時のルナが、いつも楽しそうにしているという理由もある。
「まあ、自分の買ったものを他人に預けるなんて、ある意味信頼の現れだろ。よかったな」
「うるせえ」
「もちろん俺もお前を信頼している。今日は荷物持ち、お疲れさん」
「うるせえ」
二人の男が、同じ方向を見ながら無表情で会話をしていると、笑顔のルナが店から出てきた。
手招きをする姿を見て、アッシュと一度目を合わせたあと、二人で店の中に入る。
ルナはいくつかの商品を抱えており、今回はアッシュに渡すことなく、ソルへと手渡してきた。
さすがに両手一杯に買い物袋を抱えるアッシュでは、これ以上は持てないと判断したのだろうか。
「いや、自分で持てよ……」
「それはそうなんだけど、まだ買ってないから。あと兄さんに選んでほしくて」
それはそうなんだけど、とルナが言った際にアッシュが面白い顔をしていたが無視をした。
ルナに見せられた商品は、アクセサリー類と服だった。
「この翡翠色のイヤリング、は似合うと思う。あと服は全部いいぞ」
「え、本当?」
「ああ。兄の社会的信用は日々向上している」
「分かった。ありがとう兄さん!」
言動から、何となく予想はついていた。これらはルナへの誕生日プレゼントだ。
自分で探して選んでほしい、とある種の難問を叩きつけられるよりも簡単で誠実だ。
単純に良いと思った物、欲しいと思った物なので、失敗はなく双方にとってありがたい。
もちろんプレゼント選びというのは、その選ぶ過程を楽しむ場合もあるのだろうが、ソルの性格を理解して実行しているルナは、出来た妹だった。
「えへへ。似合うかな?」
「いいんじゃないか」
早速買ったイヤリングを付けたルナ。
感想を求められたソルは、素直に褒めた。
ルナがアクセサリー類をねだるのは非常に珍しく、もしかしたら初めてのことだったかもしれない。
例年はもっと実用的な物を要求していたが、これも生活に余裕が出てきたからだと思うと、感慨深い。
全身で喜びを表現しているルナを、ソルはどこか遠い目で見つめていた。
嬉しさ、というよりは安心という感情に近かった。
「アッシュさんは、あれ? どこに行ったの?」
「なんだあいつ……」
突然硬派路線に目覚めたアッシュは、少々離れた距離にある壁に背を預け、静かに目を瞑り、こちらへ向かって親指を立てていた。
「他人のふり、してもいいかな?」
「元々他人だからいいぞ」
「あーそっか」
その後、お祝いとしてアッシュの奢りで外食をした三人は、のんびりと宿泊先へと向かっていた。
陽は完全に落ちているが、中央の街にはそれなりに人が溢れ、賑やかだった。
最も騒がしい繁華街を抜け、喧騒を背中に捉え始めた頃、ふとアッシュが小さな声で呟いた。
「あー、ソル」
「いやぁ……どうかな」
アッシュの呼びかけに、ソルは曖昧な返事をする。
繁華街の喧騒とは別に、やや攻撃的とも言えるような、言い合いをしている声が聞こえているのには気づいていた。
複数の男と、女だろうか。へらへら笑う男たちに対して、女が何かを言い返している。想像するまでもなく、ろくでもない状況だ。
聞こえてきたのは路地の奥の方だが、宿泊先へ真っすぐ向かうためにはその路地の前を通る必要があった。
ソルとアッシュは、同時に互いの姿を見比べ、立ち止まった。
「ちょっと、なんか……やっぱり自分たちの買った物くらい、自分たちで持たないとダメな気がしてきた。アッシュ君、荷物を預かろう」
「今更なにを言ってんだ。早くいけ」
「今すごく、筋肉に負荷をかけたい気分なんだ。貸してくれ」
「少女の危機だ。早くいけ」
「婆さんかもしれないし、仮に少女だとしても、男たちの方が危機に陥っている可能性を考える必要がある」
「そんな必要はない。婆さんと男だったら助けないつもりか? どちらにせよ行けよ……」
「お前さ、機関所属の意識が低いんじゃないか? 研究ばかりしてないで、たまには治安維持ってやつに貢献してみろよ」
「それはお前もだろ。はよ行け」
「なんで俺が、面倒くせえ。どうせ酔っ払いかなんかだろ。それに今日は、朝から腹の調子が――」
あ、とソル達が言う前に、鼻息を歌っていたルナが事態に気付き、声を上げた。
「わっ! え!? 兄さん! ここからじゃよく見えないけど、あの子困ってるみたい! 助けてあげて!」
少女の危機に気付いたルナが駆け寄ってきて、ソルが着ている服の裾を掴んで揺らす。
落ち着きのないルナの頭に手を置いたソルは、浅く息を吸った。
「まじかよ。本当だ。ちょっと見てくるから、ここで待っててくれ」
「お願い!」
「任せろ」
「なんやねん、お前……」
アッシュの呆れた声を背中に、ソルはため息を吐きながら路地へと向かった。
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