第13話 ソウルチップ

「なるほどな。大体の事情は分かった。とりあえずこれからはお前と一緒の職場ってことだな。まあ気楽にやっていこうぜ」


 ある程度の近況を聞けたと判断したのか、アッシュは話を替えるように明るい表情で切り出した。

 ソルは一度その言葉に頷くも、少し悩んでから口を開く。


「それなんだが、実はまだ研究チームに入るかどうかは保留にしててな」

「なんだよ。何か他にやりたいことでもあるのか?」


 アッシュの問いかけに一度視線を逸らして考える。

 怪物の研究には興味がある。それに少なくともアッシュという気の許せる相手がチームにいることが分かったことは僥倖で、天秤はチームへの参加に傾きかけていた。

 しかし、と躊躇ってしまう。

 何を悩むことがあるのかと、何度目かも分からない自問自答をしたが、答えがでることはなかった。


「そういや聞きそびれていたが」


 ソルが口を閉ざしているとアッシュが思い出したように言った。


「怪物捕獲の件は中央、というかレドルドさんが中心になって進めてたんだよな?」

「そうだ」

「じゃあ、お前はこの三年間何をやってたんだよ?」

「ああ。それはだな――」


 考え事をしていたソルは顔を上げてアッシュを見た。

 これまではほとんど一方的に話していたが、アッシュに聞きたいことがあって連れ出したのだ。

 決して、荷物持ちをさせるためだけに連れてきたのではない。

 現在はまだ公になっていない情報を共有したのも、アッシュが数少ない信頼のできる友人というだけでなく、協力してもらいたいことがあったからだ。

 ソルが地上探査のあとに費やした三年間は、そのほとんどがその研究に集約される。


「兄さんを、ごく潰しみたいに言うのはやめてください!」

「え? 違うよルナちゃん。そういうつもりじゃなくてね……」


 ソルが口を開きかけると、いつの間にか近くにいたルナがアッシュに向かって噛みついていた。

 話の一部だけを聞いたのだろうか。確かに最後の方だけを切り取ると、ぶらぶらと遊び暮らす友人を糾弾しているかのようにも聞こえる。


「兄さんは頑張っています!」

「大丈夫だよ、ルナちゃん。俺もそんな風には思ってないからね」

「誰の兄が昼行燈ですって! ましてや引きこもりの根暗などと!」

「言ってない、言ってない。というか誰かがそんなこと言ったの? こいつに酷い目にあわされなかった?」

「兄さんは大変だったんです! 忙しかったんです!」

「心配しなくても分かってるよ……って、おーい。聞いてる?」

「この三年間は仕事仕事仕事で、私なんて全然構ってもらえませんでした!」

「それはよくないよね。うんうん。よくないよくない」


 誤解から非難され、何を言おうと無視されているアッシュは見ていて非常に面白かった。

 果てにはまるで話が通じていたかのように一人納得して振る舞う姿には哀愁を誘われる。

 ただ非難の矛先が自分に変わり始めたことを察したソルは口を挟んだ。


「そんなことないだろ」

「いいえ!」


 振り向いたルナから即座に強い否定が返ってきた。

 仕事の時間以外はほとんど一緒にいたはずだけどな、と思いながら側に寄ってきたルナの頭に手を置いた。

 少し勢いを失ったルナだが、この機会を逃すものかとソルを上目遣いで見ながら話を続ける。


「兄さんは、まだまだ全然ダメダメです! 分かってません!」

「そうだそうだ。ソル、お前には他者を思いやる心が足りねえんだよ」

「妹を可愛がるのは、兄の義務なのに!」

「その通りだ! 友達ももっと大事にしろよ!」


 ルナのイエスマンと化して、後ろから声を上げるアッシュが非常にうるさい。

 ソルはアッシュを視界から遮断した。


「そんなこと本人が言ってて恥ずかしくないか?」

「義務なんで! 義務ですよ? 義務。意味がお分かりですか兄さん!」

「だから、それなりにだな――」

「いいえ!」


 再び一言で強く否定してくるルナ。

 ソルは自分なりに時間を作っていたつもりだったが、どうやらルナには不満があったようだ。

 肩を竦め、やれやれとため息を吐く。


「こんな妹がいたら、俺ならもっと可愛がるけどなぁ。ようし、ルナちゃん。これから俺のことは第二の兄だと思って接してくれていいからねぇ。きっと寂しい想いなんてさせないよ。はい。まずはお兄ちゃんって呼んでみて」

「いえ、遠慮します」


 ルナは露骨に嫌な顔をして、アッシュの申し出を断った。

 そして新しく買ってきた何らかの荷物を、当然のようにアッシュに持たせたルナは、ソルの手を引き次の店へと向かおうとする。


「あとアッシュさん。朝から思ってたんですが、その私に対して子供をあやすような話し方やめてもらっていいですか。なんだかちょっと……」

「ああ。それは俺も思ってた。ねっとりしてて気持ち悪いよな」

「それが初対面の兄の友人と、久々に会った友人にかける言葉か?」


 肩を落としつつも、なんやかんやでめげることなく付き合ってくれるのがアッシュである。

 先ほどソルが言いかけていた話が中途半端だったが、次にルナが向かう店を見て、ちょうどいいかとその店に入ってから話すことにした。

 店はチップクラフトという名前の、ソウルチップの機能を拡張する店だった。


「わぁ! 広い! いろいろある!」


 子供のような感想を漏らし、ルナがはしゃぎながら店の奥へと駆けて行った。

 感想だけでなく、行動も子供染みている。

 先ずは店内を一周してみるつもりなのか、はたまた何か特定の興味があるものを見に行ったのか。なんにせよ入口近くに男二人が取り残された。

 ソルは近くの商品にざっと目を通すと、感嘆の息を吐いた。

 やはり中央島にある店は基本的にどこへ行っても規模が大きく、特にソウルチップ等といった地上探査機関の関連商品を取り扱う店は、質も量も中央島が一番だろうと再認識する。

 見ている棚には主に地上探索で使用する様々な武器や防具が並び、その隣には各種サバイバル道具が置かれていた。

 しかしこれらは精巧につくられた模造品であり、見本のようなものである。

 この店はそれらをデータとして売っているのだ。


「なあ、アッシュ。ソウルチップってなんだろうな」


 ソルは近くの商品を手に取り、側にある商品説明を読みながらアッシュに話しかけた。


「なんだ突然。ソウルチップは……ソウルチップだろ」


 いつからなんて分からない。分からないが、人はソウルチップなんてものを体の中に埋め込むようになった。

 それは当然のことであり、今を生きる人々にとって当たり前のことだ。

 人体には基本的に目と耳が二つずつあり、口と鼻は一つ。その事実を疑問になんて思わないのと同じように、人はソウルチップが体内に存在することを受け入れている。

 その点はソルだって同じような認識だったので、アッシュの反応に対して特に思うところはなかった。


「けど、わざわざ俺に聞くってことは、そんなことを聞きたいわけじゃないんだな?」


 ソルは頷くと、アッシュは何度か頭をかいた。


「認識の間違いがないかを確かめるためにも、最初から頼む」


 どこから説明を始めようかと考えていたアッシュは、ソルにそう言われ、結局一から説明を始めた。


「生まれてすぐに一人の例外もなく体に埋め込まれるソウルチップは、一言で言えばその一個人全てのバックアップのようなものだ。人体の情報、見聞きした情報、それらの情報から得た思考の過程と結果まで。特定の情報だけでなく全ての情報が常に更新され続けている、とされているな」


 分野は多少異なるとはいえ、若いながらも研究者として優秀なアッシュはすらすらと答えていった。

 ただここまでは誰もが知っていて当たり前のこと。常識の範疇である。

 アッシュはソルの反応を待たず、話を続ける。


「じゃあ何のためにあるか。やはり一番は肉体の死を避けるためだろう。老衰や病気なんかは仕方ないが、不意に起きる事故での肉体の損傷や死は免れられる。空へ逃げた人類は、まず安定して人口を増やす必要もあったからな」


 アッシュが予想のような言い方を交えて説明するのは、ソウルチップもまた空に浮かぶ島と同じく過去の天才が作ったものだからだ。

 まだまだ不明な点が多く、だからこそアッシュのような研究者がいるのだが、製法は伝わっているが本当の意味で仕組みは理解できていないブラックボックス技術の一つだった。


「どうせなら老衰や病気もなんとかなればよかったのにな」


 ソルは軽口を挟むように、ぽつりと呟いた。

 思わず思い浮かべたのは両親のこと。

 両親が病気で亡くなったのは、ソルとルナに物心がつくかどうかのまだまだ幼い頃の話だ。

 思い出せる記憶も少なく、悲しいや寂しいといった感情なんてほとんどない。

 ただ人は死んでしまうのだ。あっけなく。それも二人とも。

 その単純な事実だけをソルは受け止めている。


「俺もそう思うが、保存するデータ量には限りがある。それにそれは――」

「分かってる」


 病気だけならまだしも、老衰にまで話が拡がるとそれはある意味で禁忌的な側面を見せ始める。

 そもそもアッシュの言うように技術的な問題もあった。

 仮に病気をする前のデータと、現在のデータと、などといったように節目節目でデータを保存できるような仕組みになっていたとしても、ソウルチップの容量には限界がある。

 人が存在するだけで得られる情報量は、思っているよりも遥かに多いのだ。

 なんなら人一人分のデータが納まっていることに驚くべきなのだろう。


「データを上書きする。つまり不必要になった情報と入れ替え続けているからこそ、機能を保っていられるってのが有力な話だな。しかしだからこそ、チップから人体を再構成する場合は、生体反応が止まる寸前までの情報が残されてしまっているため危険なんだ」


 ソウルチップが機能を停止させるのは、肉体が死を迎えた時であることは分かっている。そして次に動き出すのは、肉体が再構築され意識を取り戻した瞬間であることも。

 アッシュが危険と言ったのは死の痛み、死の恐怖という、人としては当然の反応が残ってしまうということ。

 加えて現実との乖離。

 例えば腕を切り落とされたとソウルチップには認識されているのに、肉体を再構築した際には腕が治療されていたとする。その状態で目覚めれば、歪みが生じるのは当然だ。

 ソウルチップから再生され、目覚めてすぐの人達は大抵正気を保ってはいられない。

 ソルもアッシュも機関に所属する以上、実際にそういった人たちを見てきた。

 時間が経てば落ち着き、肉体とソウルチップの認識がすり合わされていくことが普通だが、長期間感覚を取り戻せない者も、精神的負荷に耐えられなくなり発狂してしまう者もいるのが実情だった。


「必要なことだとは分かってんだ。けどよ……」


 そう言って、アッシュは真剣な表情でソルを見た。


「正直地上探査に行く奴はどうかと思ってるぜ」


 不意の事故死等を防げるのがソウルチップだと先ほどアッシュは言った。人口を安定して増やすためだとも。

 しかし現在ではもう一つ。ソウルチップが作られた理由が、地上探査を見越してのものだったと主張する声があった。

 言わずもがなソウルチップから肉体を再生するなんて技術が使用されるのは、地上探査に行く者たちがほとんどである。

 何かを察しているのか、それとも警告をしているのか。友人の視線にソルは口元を少し綻ばせ視線を逸らした。


「俺だって、そう思うよ」

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