第12話 買い物
「さあ! 買い物へ行こうよ!」
互いに同じ研究チームで働くことになるかもしれないと知り、ソルとアッシュの二人が情報交換をしていると、唐突にルナが大声でそう言った。
重要な話をしている間は控えていたようだが、二人が一息入れた瞬間に好機と見て割り込んだのだろう。
予想外の元気な大声にソルは肩を跳ねさせ、アッシュは再び手に熱い飲み物をひっかけ、悶えていた。
「へい兄さん! ショッピング、ショッピング!」
「なんだよ、うるせえな」
「うるさくなんてないよ! 今日は、お仕事の報告が終われば、私に付き合ってくれるって言ってたよね!」
「あー……」
心配の一つもされない哀れなアッシュを横目に、ソルは考える素振りを見せる。
「俺は、もう少しこいつと話があるから」
ソルがアッシュを顎で示しながら言うと、ルナはぷくっと頬を膨らませた。
中央島に到着する前からルナが店回りを楽しみにしていたことは知っていたが、今は情報の交換をしておきたかった。
怪物の研究チームへの参加可否の件を除いても、アッシュの専門分野であるオーラについての情報は今ソルにとって最も価値のある情報だった。
アッシュも似たような気持ちなのか、申し訳なさそうな表情をルナに見せるだけで否定はしない。
「なによ! 男二人で分かり合っちゃって!」
いじけたような声を上げるルナ。
アッシュは火傷した手を振りながら気まずそうにしていた。
「ルナ」
「……もう」
ソルが真剣な表情を向けると、勢いの失ったルナは口を尖らせた。
ルナが本気で怒っているわけではないことをソルは理解しているし、そもそもルナ自身も、兄に無理についてきたことを理解していた。
「分かってる。分かってるけどぉ――」
「悪いな」
「それは……今日じゃなきゃ駄目、なんだよね?」
不満はあるのだろうが、仕事の邪魔はするわけにはいかないという葛藤から小さくなった声でルナは言った。
「ごめんな、ルナちゃん。俺が明日からいなくなっちゃうから」
アッシュは明日から中央を離れるらしく、しばらくは会えなくなるとのこと。
ソルとは違い研究チームへの参加が正式に決まっているアッシュは、本格的に中央で暮らす準備のため一度実家に帰るようだった。
「そう、なんだぁ」
「心苦しいけど、ちょっと今日のところはお兄ちゃん貸してもらうね」
「う~ん。んん……」
煮え切らない返答。
唸り声を上げながら、ルナはソルの顔をちらちらと見る。
「明日はお前に付き合ってやるから」
「それは当たり前なんだけどぉ。今日だって夜には終わってるよね?」
「まあ、さすがにそうだと思うが――」
「夜には帰ってきて。絶対に」
「ん? それはもちろん構わないが……あっ」
ルナはなぜ今日という日に固執しているのか。
些細な違いでしかなかったが、仕事に対して理解のあるルナがいつにもまして粘ってくるな、と考えているとソルは急に思い出した。
「やっぱり、行くか」
「え?」
「買い物。行きたいんだろ?」
失敗した、という表情をしたソルは前言を撤回してルナにそう言った。
ルナの目は開かれ、徐々に大きくなっていった。
「え、え、いいの?」
「ああ」
本当に良いのか確認はしてくるものの、明らかに綻んだ表情のルナは喜んでいるのが分かりやすい。
なぜ忘れていたのだろう、と思った。
朝から非常に重い話し合いがあったのは確かだが、言い訳にはならない。
「わーい! やったぁ!」
今日は、ルナの誕生日だ。
「ありがとう! 兄さん!」
素直に礼を言われて、何とも言えない顔をしながらルナに準備を促した。
嫌味の一つも言うことなく感謝だけをされると、寸前まで誕生日のことを忘れていた身としては、余計に罪悪感が増す思いだった。
部屋から出ようとする、るんるんと楽しそうなルナの背中にソルは言った。
「……悪かったな」
主張こそしてくるものの最後は兄を優先するところは昔から変わらない。
反応を見る限り楽しみにしていたであろうに、自分の誕生日という大事な日を引き合いに出さなかったのも、ルナの美点と言えるだろう。
でも、だからこそ心配になるときがある。
だからこそ、出来る限りルナに時間を使い、要望があれば叶えたいと思っている。
小さな変化や日常の気付き、いくら気にかけていたとしても、零れる時は零れてしまうものなのだから。
続くはずだった未来が、穏やかに過ごせたはずの明日が、突然消えてなくなってしまうことがある。
あの時だって、そうだった。
そうなってしまった三十分前には、一つも想像していなかったことばかりが起きた。
皆、まだ笑っていたのだ。
「ううん。早く行こ!」
それ以上は特に何も言わず、笑顔を見せるルナ。
ルナに頷きを返して、椅子に座ったままのアッシュの方を見る。
「悪いけど、そういうことになったから」
「ああ。俺は全然構わないけど」
立ち上がり、一つ伸びをした後、扉を開けて待っているルナの元へ歩いていく。
「優しいお兄ちゃんで良かったねぇ。ルナちゃん」
ゆったりとした声が背中から聞こえ、足を止め振り返った。
笑顔で手を振るアッシュと目が合った。
「ん?」
「ん? じゃねえよ。何をまったりとしてんだ。お前も一緒に来るんだよ」
「え。あ、そうなの?」
「そしたら全部解決だろうが。なあ、ルナ」
「うん! 全く。早くしてよね!」
話の続きはルナの買い物に付き合いながらでも出来るだろう。
そんなことは一言も伝えていない兄妹だったが、二人はまるで初めからその予定だったかのようにアッシュを急かしたてた。
最後にもう一度、焦ったアッシュは飲み物を手に引っ掛けていた。
「それで、なんの話だったか――」
ルナの買った荷物を両手いっぱいに抱えたアッシュが口を開いた。
「今日はルナの誕生日だ」
「そうか。そいつはめでたいな。ちなみにソル、お前も今日が誕生日か?」
「いきなりなんだ。俺の誕生日はまだ当分先だが」
対照的に両手を自由にさせているソルは、次の店に駆けていくルナを目で追いながら淡々と答える。
「いや……」
アッシュは自分とソルの状況を見比べたあと、この世の理不尽を嘆くかのような深いため息を吐いた。
そして諦めた口調で話を続ける。
「仕事の話だよ。そろそろさっきの話の続きでもしようぜ」
「ああ。どこまで話したっけ」
アッシュは周囲を見渡し、声の聞こえる範囲に人がいないことをそれとなく確認してから口を開いた。
「ソル。お前が地上探査に行って、その後の研究で怪物を捕獲する目途が立ったところまでだな」
アッシュの説明に、ソルは相槌だけを返す。
「今回お前が中央に呼ばれた理由は分かった。まさかそこまで根幹に関わっているとは思わなかったが」
「意見したのは最初だけで、そのあとはレドルドがほとんど進めたんだがな。俺は特に何もしていない」
「そうなのか?」
「ああ。あと実際は目途が立つどころか、すでに捕まえているらしい」
そう言うと、アッシュは片眉を上げる。
「それは……驚いたな。てことはいるのか。怪物が今、この空に」
怪物が近くにいる。そう自覚したアッシュはぶるりと小さく体を震わせていた。
研究員として機関に所属するアッシュは資料の上でしか怪物という存在を知らない。
義務として最低限の訓練は受けたはずだが、怪物を見るどころか一度も地上に行ったことはなかった。
ただそれでも人類の敵として認知され、恐怖の対象とされている相手が、安全だと思っている空の上に存在していると理解して、自然と寒気が全身を襲ったのだろう。
「らしいな。俺も知ったのはついさっき。近いうち直接見に行く予定だ」
「おいおい……大丈夫かよ」
好奇心はあるのだろうが、話を聞いたばかりのアッシュはまだ恐怖の方が勝っているようだ。
三年前の地上探査の件もあるだろうに、と感心しているのか呆れているのか分からない表情を向けてくる。
閉口するアッシュにソルは言った。
「問題ない」
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