第11話 迷い

 会議室での長い話し合いが終わり、室外へ出たソルは息を深く吐き出した。

 想定していた以上の進捗具合とその内容に、考えをまとめきれないでいた。

 扉の前で呆けていても奇異の目に晒されるだけなので、とりあえずは妹の待つ応接室に戻ろうと元来た道をとぼとぼと歩きだした。


「色よい返事を期待してるよ」


 後ろから追いついてきたレドルドがソルの肩を優しく叩きながら言った。


「はい。でも……」

「ん?」

「いえ、その際はよろしくお願いします」


 ソルの返答に笑顔を見せたレドルド。

 急いでいるのかそれだけを言うと、早足にソルを追い抜き、廊下の角を曲がっていった。

 立ち止まっていた足を再び動かしながら、会議の内容を整理する。

 怪物を捕らえたという報告のあともいくらか話が続いたが、自身に直接関係するのは主に二つ。

 一つ目は、新素材の発見に対する報奨。

 事前に聞いていた話の通りであり、単純に金品等が渡されるとのこと。

 偶然ではあるが実際に成果を上げたのだ。こちらについては特に憂慮すべきことはない。

 問題は二つ目、捕らえた怪物の研究をするチームへの参加要請。

 今しがたレドルドに一声かけられたのはこの件についてだったのだが。


「なにを、迷っているのか」


 誰もいない廊下を歩きながら、ソルは自問自答する。

 最初に話を聞いた時は、ありがたいと素直にそう思ったはずだ。怪物を捕まえたと知った時、いよいよなのだと感情の昂りも感じた。

 目指してきたことの一つが、成功という形をもって結実した嬉しさもあった。

 始まりが偶然の発見だとしても、今の自分は認められ、おそらくこの先重要な研究になるであろう分野に携われるのは光栄なことだ。

 ではなぜ二つ返事で了承しなかったのか。

 その答えもソルは分かっていた。

 研究チームに参加するための条件を聞き、答えを保留にしたのだ。

 現在捕らえた怪物についての情報は入念に伏せられており、研究に参加するためには中央技術部への異動が必要だという点。

 そして情報を秘匿する性質上、限られた人材を保護する観点から、死の危険性の高い地上探査には行かせられないということ。


「良いこと尽くめだな」


 自嘲気味に笑った。

 分かっている。自分では分かっているつもりだ。

 分かったうえで、なぜか決断できずにいた。

 安全な空の上で人類のために怪物を研究する。それで良いではないかと理性は訴えていた。

 そのような将来が理想的であり、幸せだろうと思ってもいたはずだ。

 しかしいざそれらが手の届く距離に迫ると、焦燥感のようなものが身を包んでいったのは確かだった。


「迷うということは、俺はまだ……」


 冷静に自身を客観視すればそうなってしまう。

 いつの間にか消えたと思っていた三年前のあの身を焦がすような炎が、未だにくすぶり続けているのだろうか。

 心のどこかではまだ、再び地上へ。


「やめよう」


 袋小路に迷い込みそうだった考えを、ソルは振り払った。

 虚しい独り言が、無人の通路に木霊する。


「予定通り、怪物を見てから決めよう」


 三日後にソルは怪物と対面することが決まっていた。

 会議室で研究チームへの参加の是非を問われた際、どうするか決めかねたソルは実際に怪物を見てから判断したいと希望したところ、これが認められた。

 自分でもなぜ怪物を見てから判断するなどと言い出したのかは分からなかったが、咄嗟に出た対応としては満足のいくものだった。

 ただ漠然とそのようにした方が良いという予感を覚えたのは確かだった。

 考えを巡らしている内に、いつの間にかルナとアッシュの待つ応接室の前に辿り着いていた。

 扉を少し開けた途端、中から二人の笑い声が耳に届き、気持ちを切り替える。


「おーう。やっと帰ってきたか」


 扉を開けたソルに気付いたアッシュが満面の笑みで近づいてきた。

 棘の抜けた声質を聞くに、しょうもない誤解はすでに解かれたようである。


「いきなりいなくなりやがって。レドルドさんとは会えたか?」

「ああ。お前こそ目が覚めたのか」


 そう言うと、アッシュは苦い顔をした。


「あ! そうだぜソル。冗談なら冗談って早く教えてくれよ」

「冗談というか、お前が勝手に勘違いしてただけだろ」

「間違いを正すのが本当の友人じゃないのか? さっきのお前に対しての、俺のように」

「お前は遊ばれてただけだ。その性悪に」


 ソルはアッシュの後ろで笑顔を携えているルナを顎で示した。

 顔を振り向かせたアッシュはルナと目が合うと、頭を掻きデレりとした表情を見せる。


「いやまあ、そのおかげでルナちゃんと仲良くなれたのは良かったが」

「幸せな男だ」


 皮肉を混ぜた言葉に、アッシュは乾いた笑いを見せた。


「さすがはソルの妹だと思ったよ」

「どういうことだ」

「どういうことも何も、そういうことだよ」

「ええ、私は兄さんの背中を見て育ちましたから」


 結託をした二人を見て分が悪いと見たソルは、一つ舌打ちをして空いているソファへと向かった。

 ソファに座ると、追いかけてきたルナがつかさず隣に座る。


「結構長かったね」

「内容が内容でな。それに話す相手が多かった分、説明に時間がかかった」

「へえ、そうなんだ」


 ソルの仕事の内容も、会う相手も知らないルナは特に興味を示さず相槌を打つだけだった。


「特に誰かと会っていたわけじゃないなら、いいけど」

「誰かと会うって?」

「んー現地妻とか」

「それ、まだ続けんのかよ」


 ソルが疲れた表情をするとルナは悪戯気に笑った。

 随分とそのくだらない設定を気に入ったようである。


「ルナちゃん、こいつしらばっくれる気だ。会うのはレドルドさんだけだって、俺は聞いてたぞ」

「もういいって。面倒くさい。いい加減黙れ、髭野郎」

「本当。いつまでやってるんですか? 引き際も生え際も悪い髭野郎ですね」

「なんなのこの兄妹……」


 ルナの話に乗っかったはずだったアッシュが、しょぼくれながら机に新しいカップを置いた。

 小さく礼を言ったソルは、カップを片手に対面に座ったアッシュに話しかける。


「会議室に行ったら、レドルドの他に本部長とモイスがいた。あとノア様も」

「モイスってのは、第七島だいななのお前の上司だったな……ってノア様?」


 驚いて、座ったまま尻だけを浮かせたアッシュ。

 手に持っていたカップが衝撃で揺れ、中に入っていた液体が零れて手にかかる。

 液体の熱さに顔を顰めたアッシュの一連の動作に、ソルはなんとも芸術的だと感心した。


「笑ってないで心配の一つでもしたらどうだ? ルナちゃんも、拍手なんかしてるしよぉ」


 指摘されたルナは慌てて腕を引っ込める。

 眉の垂れ下がったアッシュが、悲し気に量の減った飲み物を一口飲み、カップを机に置いた。


「しかしソル、お前一体何に関わってんだよ」

「まあ、色々とな」


 アッシュに内容を話してよいか分からず、言葉を濁す。


「お前こそ、ちょっと見ない間に随分と茶を入れるのに慣れたみたいだな。研究はやめて事務員にでもなったのか?」

「事務員じゃなくても茶くらい入れるだろうが。俺の方も、なんだ。まあ色々とな」


 自身と同様の反応を見せたアッシュに、ソルは少し考えながら口を開いた。


「お前の研究内容って確か……」

「主にオーラについてだ。何度も相談に乗ってやったのを忘れたか?」

「それは覚えてるが」

「いや、すまん。結局何も役に立たなかったんだ。忘れてくれ」

「違う。そういうつもりで言ったんじゃない。その件に関しては俺に才能がなかった。ただそれだけ。お前が気にすることはない」


 ソルは過去、アッシュに自身のオーラウェポンについて相談をしていた。

 結果的に花開くことはなかったが、アッシュは最後まで馬鹿にすることなく親身に接してくれた一人だった。

 感謝こそすれ、非難する要素など一つもなかった。


「なんでわざわざ中央に来たのかって話だ。ごちゃごちゃとした場所が苦手で、オーラ研究は場所を選ばないからって田舎に引っ込んだはずだろ」

「最近、面白い発見があったらしくてな。研究内容に直接関係あるかは分からないが、中央に来ないと参加させてもらえないらしい」


 アッシュも同じ考えに至ったのだろう。言葉を選びつつ、ソルに情報を与えてきた。

 互いに無言で視線を合わせ、意思疎通の確認をしたあと、ソルの方から口にした。


「怪物か」


 アッシュは口の端を上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る