第10話 会議

「あーとりあえず、中に入らせてもらうぞ」


 言葉の端々だけを拾い、何かくだらない勘違いをしているであろうアッシュ。

 ため息を吐いたソルは掴まれていた腕を振りほどくと一人で先に建物の中に入っていった。


「いいだろう。じっくりと話を聞かせてもらおうか」


 挑戦的な表情をしたアッシュは、落としたマグカップを拾うとソルの背中に続く。

 兄とその友達らしき二人の一連のやり取りを見ていたルナは、建物の外観を一度眺めると、楽しそうに後を追った。


「それにしても久々だな」


 どかりとソファに腰を下ろしながらソルは言った。隣にはルナが姿勢よく座る。

 部屋にいるのはソルとルナ、そしてアッシュの三人だけ。

 同期で同じ年齢のアッシュ以外、中央に顔見知りも少なかったソルは、挨拶もそこそこに、まず事前に会う約束をしていた室長に会いに行った。

 しかし目当ての室長が会議中である事を聞かされ、空いている応接室で待つことになった。


「いつから、中央で働いているんだ? 確か前は――」


 三人分の飲み物を運んできたアッシュにソルは続けて問いかける。

 気をつかう相手もいないため、くつろいだ様子で机に置かれたカップに手を伸ばした。

 

「待て待て。何を親し気に話し始めてんだ」


 対面に座ったアッシュが手のひらを突き出し、待ったをかけてくる。


「まずはさっきの問題についてだろ」

「問題?」

「そうだ。ま、俺には直接関係のない話かもしれない。でも聞いてしまったからには捨て置くことなんてできねえ。その件をうやむやにしたまま、お前を友人としてみていくのは俺には厳しい」


 困ったような、どこか苦しんでいるようにも見えるアッシュの表情。

 相変わらず暑苦しく生真面目なやつである。


「ん……そうか」


 対照的に冷めた表情のソルは、カップを机に置くとあっけらかんと言った。


「じゃあ、ここでさよならだな。悪いけど向こうの会議が終わったら教えにきてくれ」


 ソルの言葉にアッシュは焦ったように腰を浮かせた。


「待て待て待て待て! それはちょっと割り切りすぎだろ!」

「お前が言い出したんだろうが」

「そうだけど、もっとほら……あるだろ? そこはかとない理由とか、事情とか」

「ない」

「ないことはないだろ。思い出せ。きっと何かあるはずだ。男の友人にしか言えないような何かとかさぁ!」

「ない」

「もちっと言い訳とかしようや、なあ!」

「あーまあ……あるといえばあるな」

「なんだよ全く。へへ、聞いてやるよ」

「お前が面倒」

「取ろうよコミュニケーション!」


 両腕を左右いっぱいに広げたアッシュが、身振り手振りで構ってくれと訴えかけてくる。

 その様子を見て嫌な顔をしたソルがちらりと隣に視線を移すと、ルナが笑いを隠すようにカップで顔の下半分を隠しながら飲み物に口をつけていた。


「それで?」


 咳ばらいをした後、再び座り直したアッシュが真剣な表情で問いかけてきた。


「それでとは?」

「何か言い訳があるなら聞いてやるぞ」

「だからないって。そもそもお前の言う問題ってなんだよ」

「しらばっくれる気か? 俺は聞いていたんだぞ。そっちの、その……」


 アッシュの視線がルナの方を向き、意図を察したルナが口を開く。


「ルナです」

「そう。ルナちゃんとやらから話を聞いてもいいんだぞ!」

「勝手にしろよ。むしろ助かるわ」


 ソルは気だるげに手を振った。

 取り合う様子のないソルを見たアッシュは、唇を結んだあとルナの方へ視線を向けた。


「ルナちゃん。初めて会ったばかりの男を信用しろとまでは言わないが、どうか君の口から聞かせてくれないか? 大丈夫。悪いようにはしないから」

「……はい」


 辛そうな顔でこくりと頷くルナと、熱い勘違い男アッシュの、謎のやり取りが始まった。

 ソルは心底面倒そうな視線を二人に投げかける。


「私には最近、とても大事なものが出来ました」


 ルナがお腹のあたりに手を当てながら話し始めた。

 目を見開き、ハッとした表情で立ち上がったアッシュは鋭い視線を向けてくる。


「……やっぱり」

「何がやっぱりだよ」


 アッシュの視線に肩を竦めていると、ルナは続きを話し始めた。


「それは世界でたった一つのもの。その人との繋がりを感じることのできる、唯一無二の証明。でもそれを私は――」


 ルナの話を聞きながら、口を半開きにして立ち尽くすアッシュ。

 体が小刻みに震え始めたルナ。

 あくびをするソル。


「その宝物と私は、近い将来お別れしなければいけなくなる。でも、そんなの。そんなのってないよ! そんな……」

「もういい!」


 ルナの嘘くさい演技に、声を荒げたアッシュ。

 心底どうでもいいやり取りに、ソルは溜息を吐く。


「もういい。もういいんだルナちゃん。そこまでだ。全て分かった。あとは俺に任せておけ」

「お前は何もわかってないと思うけど」

「うるさい! いいから俺の質問に答えろ、ソル」


 そう言って、アッシュが前かがみに詰めてくる。

 おそらくルナの言った宝物とは、先ほど貰った入館証のことだろうが、一々指摘してやるのも億劫だった。

 勘違い男を生み出した元凶であるルナに恨めしい視線を向けるも、ルナは澄ました表情で成り行きを見守っていた。


「なぜだ。なぜそんなふうになってしまったんだ。この子は、お前の恋人じゃないのか?」

「違うけど」

「違うだと!」

「認めて、くれないの」


 横やりを入れて場をかき乱してくるルナ。

 アッシュが悔しそうな表情をする一方で、ルナはどこか楽しそうにしていた。

 初対面だというのに、兄の友人が揶揄い甲斐のある男だと知って遊んでいるのだろう。


「くそ。そういう……ことか」

「きっとアッシュさんの想像通りです」

「こいつ妹だけどな」


 ソルの言葉に、今度は一転して驚愕の表情を浮かべるアッシュ。

 そのまま力が抜けたようにソファに崩れ落ち、頭を抱えてしまった。


「ん――?」


 このままストレスを与え続けていればどうなってしまうのだろう、とだんだん興味の湧いてきたソルだったが、小さくノックの音が聞こえてきたため席を立つ。

 扉を開けて対応すると、そこには知らない顔の女性が立っていた。


「分かりました」


 どうやら待っていた会議が終わり、室長がソルを呼んでいると伝言を届けに来てくれたようだった。

 感謝を伝え、すぐに行くと返事をしてから扉を閉める。


「い、妹に手を出したのか? しかし、だからと言って――」

「怒らないで! 私からなの。私から……」


 室内の様子を見て、まだやっていたのかとソルは辟易とする。


「君は、それでいいのか?」

「よくない。よくないけど諦めきれないの。どうしても。認められなくても側にいたいの。離れる方がつらいの」

「そこまで……」


 諦めたように首を左右に振ったソルは、すでに自分がいなくなっても続く茶番に背を向けた。

 室長との話が終わって帰ってくる頃には、さすがにルナも作り話だと伝えているはずだ。そうであれ、と祈った。


「俺……俺じゃだめかい? ルナちゃん」

「え? アッシュさん?」

「今日初めて会った時から、君のことは好ましく感じていた。俺なら、あの厚顔無恥男よりも君を幸せにする自信がある! きっとあいつのことを忘れさせてみせるから!」

「……嬉しいです」

「おお。それなら!」

「でも」

「でも?」

「でも私、無精ひげが汚い人ってちょっと……」

「君のために残しておいたのに!?」


 意気投合した劇団バカを残して、ソルは一人応接室を出た。


「楽しそうで何よりだ」


 話をする間どこでルナを待たせておくかと考えていたが、アッシュに任せておけば問題ない。

 良い暇つぶしになるはずだ。


「第一会議室……だったか」


 伝えられた場所に向かったソルは扉の前で立ち止まった。

 待っているのが室長一人だと思っていたものの、会議室の中からは複数の人の気配がしたからだ。

 念のため目の前にある部屋が第一会議室だと再確認してから、意を決して扉を開いた。


「失礼します」

「ああ、来たか」


 会議室の中には四人の男。見覚えのある顔が二人と、見覚えのない顔が二人。

 見覚えのある顔の一人が、穏やかな笑みを浮かべてソルを歓迎する。

 今回会う予定になっていた技術部怪物対策課室長のレドルドだった。

 レドルドは肩書通り中央島における怪物対策の専門家であり、ここ数年第七島にいるソルと連絡を取り合っていた。


「ンン。どうした? 特に固い場というわけでもない。座りたまえよ」


 ソルは表情を変えず頷いて、勧められるがまま席に着いた。

 勧めてきたのはソルが知るもう一人の男。第七島の技術部を束ねる、丸眼鏡をかけたトカゲ顔の男。モイスだった。


「ソル君とこのあと話をすると言ったら、残ってくれると言ってくれてね。まあ君の上司だし問題ないだろう」


 レドルドの説明に、なんて余計なことを、とソルは内心で毒づいた。

 モイスとはあまり馬が合わない。

 何の会議をしていたかは知らないが、偶然居合わせたのであれば不運だった。


「残りのお二人も、僕たちの話に興味があるそうだ」


 知らない顔の男が二人。

 ソルが視線を向けると二人と目が合った。


「ソルです。今日はよろしくお願いします」


 レドルドの二人への態度から考慮して、先にソルの方から簡単な挨拶をした。

 記憶にない顔だが、お偉方であることは間違いないだろう。


「ソル君は多分、会うのが初めてだったかな。こちらが技術本部長のポールダスさんで――」


 レドルドが自分に近い方から紹介を始めた。

 出てきたのは何とも大きな肩書。地上探査機関における中央技術部の最上位に位置する人物だった。

 紹介されたポールダスはソルに向かって小さく片手を上げた。


「本部長の対面にいらっしゃるのが、地上探査機関の長であるノア様だ」


 レドルドの紹介にソルは最初耳を疑った。

 技術本部長だけでも大変な人物だというのに、さらにその肩書を大きく上回る人物が目の前にいた。

 ノア・エクシルアーク。地上探査機関の長にして、空の世界に逃げ延びた唯一の貴族。

 貴族特有の特権を持っているわけではないが、当時の名残から様付をされるのは彼らの一族だけである。

 頷いたノアに合わせ、ソルは小さく頭を下げた。


「今日は君を合わせたこの五人だ。なに、緊張することはない。ただ僕たちの話を聞きたいだけだそうだ」


 レドルドは笑って見せたが、ソルの頬は引きつった。

 近日中に行くとは伝えていたが、やはり昨日のうちか、もしくは明日以降に訪ねるべきだった。

 ソルは自分の運のなさを呪った。


「それではまず、事の経緯から――」


 簡単な挨拶と少々の雑談を挟み、話し合いは始まった。

 話し合いというよりは、レドルドの説明に対しソルにも適時質問が飛んでくるという形だったが。


「――というわけでして、ソル君は今回転送装置に乗っても分解されない新素材を発見するに至りました」


 一通り既知の情報を話し終えたレドルドが一息をつく。

 ソルは面々を見渡し、追加の質問がないことにひとまずは安心した。

 ノアに関しては一つの質問もなく静かに話を聞いていただけだった。

 ソルが唯一の生き残りだと話した時に、一度目を開いて反応していた気がするが、それ以外は腕を組み、目を瞑ったままの姿勢を貫き通していた。


「ここからはまだ公になっていない情報ですが、新素材の名をソルノートと名付けました」


 レドルドが次の話題に移る。

 モイスがその言葉に片眉をあげた。


「ンン……ソルノート?」

「ええ。特に深い意味はないですが」

「今この場で変えていただいても構いませんよ」


 モイスとレドルドのやり取りに口を挟む。

 新しく発見されたものには発見者の名前が付けられることが多い。

 光栄なことであると分かってはいても、ソルにとってはあまり興味のないことだった。それにどこか気恥ずかしさもある。


「いや、聞いてみただけだ。なんだっていい」


 名称の変更を申し出るも、モイスは即座に一蹴した。

 なんだかんだで付き合いの長いモイスは、ソルの心情を察してにやにやとした表情を向けてくる。


「ソルノートについては分からないことがまだまだ多いですが、いくらかは回収する目途がことが出来ました。そしてその運用についても、三年前にソル君が発案したものを有用だと判断して進めてきました」

「ほう。それが例の……」


 本部長のポールダスが顎を撫でた。

 すでに何かを知っている様子であり、レドルドと互いに頷きを交わす。

 レドルドはソルの方を向いた。


「連絡が遅くなってすまない。この度ソル君に中央へ来てもらったのも、その実証が終わったからなんだ」

「……実証、ですか」


 呼び出されるくらいなのだから何か進展があったことは分かっていた。しかし。


「先日ソルノートを加工して作られた箱が完成しました。そして――」


 少しの興奮が混じり始めたレドルドの言い方に、まさかと思いながら言葉の続きを待つ。


「ついに我々は怪物を捕らえ、空の上へ連れてくることに成功しました」


 ソルの心臓の鼓動は早くなり、手の平にはじとりと汗が滲んだ。


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